第二話 せっかくだから 後編
「それは──」
それから、
「
ひどく慌てた様子で、私に向かって小さな手を伸ばした。
手首を掴み、強く引っ張られる。
ドサドサドサッ!!
「……!!」
ふたりで重なるようにして、冷たい床に転倒する。
直後、私の背後でひときわ重く、大きな落下音が響く。
本棚に詰まっていた大量の“特別図書”が残らず床へと落下し、本の山を築いていた。
特別図書というのは、我が校において、特例を除いては図書室から持ち出しを禁止されている、それはもう大切な本。
貴重なものなのに、側面に貸出禁止の赤いスタンプがデカデカと押されているのが残念なのよね。
そして、学校司書としての私の楽しみのひとつは、空いた時間にこれらの本を読みまくること。
……つまり。
「私が築き上げた城がーーー!!」
床についたままの両手の間には、掃除機の音に驚いた猫みたいな顔になっている
あっ、これはさすがにかわいそうだわ。
後で謝ります……。ゴメン。
とはいうものの、私は怒りが先行して、下敷きになって守ってくれた生徒を気遣う余裕ゼロ。
信じられない……。許せない。
せっかく著者やジャンルごとに、完璧に整列して、次はあれを読もうとか、いつまでに本棚のここからここまで制覇しようとか、いろいろ楽しみにしていたのに!
怒りに支配された足で、空になった本棚の前に立ち塞がる。
「藤村くん、まだソイツここにいる!?」
「いるいる。もう少し右の、下の方」
いったいどんなモノが見えているのかわからないけど、この子には見えざるなにかが見えているみたい。
私は口から大きく息を吸うと、
「よくも……」
やわなストッキングに包まれつつも、毎朝のロードワークで鍛えられた健脚を、
「よくも私の
守るべきものを失った空っぽの本棚、中央からやや右下に向けて、鋭く叩き込んだ。
硬質な衝突音ののち、本棚の木材が軋む音がして、図書室は静まり返った。
もうどの本棚からも、本が落ちる気配はない。
「……無茶苦茶だね」
体を起こしながら、やや呆れて苦笑する
いや、ほんとにね。
学校の資産である本棚に蹴りを入れるなんて、学校にバレたらきっと処分だけど……。
ま、壊れてないからセーフでしょう!
「さっきはごめんなさいね、藤村くん」
ようやっと、生徒の身体を心配する余裕が戻ってくる。
「大丈夫だった?」
訊ねると、彼は軽く頷いてから、私の右脚に視線を落とした。
「俺は平気だけど、
あれは人体が発していい音ではなかったと、のちに彼は語る。普通の人間であれば折れていたとも。
それって、どういう意味かしらね?
「なんてことないわね。それよりもう、今日は帰りましょう」
「これ、このままでいいの?」
「良くはないけど、こんなの今から片していたら日付が変わるでしょう」
深夜の学校。
いたいけな男子生徒とふたりきり。
ふたつの意味で、絶対に避けたいシチュエーションだわ。
「まあ、たしかにコレは相当時間がかかるね……」
「少なくとも明日いっぱいは、ここを開けられないと思うわ。残念だけど」
この広い図書室に、所狭しと並べられた本棚。そこから溢れた本の海を見て、思わず深いため息が出た。
明日は朝から、ひとりでここの復元作業に追われることになるはず。
授業で使う予定が入っていなかったのは幸いだけれど、あまりに多いので放課後は図書委員であるこの子の手を借りなければ。
本を愛するすべての生徒たちよ……本当に、ごめんなさい。
私が余計なことを言って、よくわからんヤツらを怒らせたばかりに……。
……あら?
コレ、私のせいなのかしら?
オバケに『出てこーい』と言っただけで、こんなことになるなんて、思う? 思わないわよね? そもそも図書室を荒らすという蛮行をはたらいたのはヤツらのほうで……。
まあ、責任自体は当然、私にあるんですけど。
あー……腹立つ。
「ねえ
不意に、
私が声を出さずに振り向くと、彼は内緒話でもするみたいに、顔を寄せてくる。
その顔の、ウキウキして、うれしそうなことといったら。
いやな予感しかない。
「なによ」
「ふたりでここをさ、今夜中に片付けちゃわない?」
ほら、もう。
めちゃくちゃいいこと思い付いた!
って顔してる。
「……はい?」
なに言ってんだコイツ。
「せっかくだから、夜の学校にはナニがいるのか、ふたりで見に行こう?」
せっかく、の意味が私にはわからない。
「冗談じゃないわよ。……ちょっと、くっつくな!」
無邪気に腕を絡ませてくる少年のフリーダムさに、思わず素が出てしまったけれど、もうどうでもいいわ。
「放しなさい! 淫行の疑い掛けられたらどうすんのよ!?」
「その時は、刑務所まで会いに行ってあげるね♪」
かわいこぶってペロリと舌を出す
内側から鍵を掛けると、私はひっくり返ったパイプ椅子を直して腰掛けた。
いつの間にやら、闇色に染まった窓枠の中を見つめる。
声なきもの。姿なきもの。
人にあらざるもの。この世のものならざるもの。
それらは存外身近なところに存在し、ちょっと声をかけただけで、やり過ぎなまでのサービス精神を示してくれる。
うんうん。すばらしい。
今まで無縁のものだと思っていたけれど、世の中は案外、実話怪談のネタに事欠かないわ。腰抜かすかと思ったけど。
そこはまあ、廊下に閉め出されてもなお、健気に私を待ってるあの子おかげってことで。
「ねえ、ちょっと。聞こえるかしら」
私は誰もいない空間に向けて語りかけた。
我ながら、性懲りもなく。
もちろん、喧嘩を売るつもりはない。
先ほどの一件で、ここにいる子たちとは(力ずくで)仲良くなれたような気がしている。
ポケットから飴玉を出し──昼休みに、よくうるさいほうの生徒たちがくれる──、カウンターの隅に置いた。
お供え物よ。
「あのね、騒ぎを起こしてクビだけは勘弁なのよね……」
今後、学校の備品を損なうような演出──ラップ現象や
……あ、それと。
ひとりの時は、くれぐれもご遠慮ください。
<了>
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