第二話 せっかくだから 前編
放課後のチャイムが鳴る。
それはいつも、校内の生徒たちに『さっさと帰れ』と言っているように聞こえる。
「キバセン、ばいばーい」
「さよならセンセー」
ろくに本なんか読まないくせに、図書室でたむろしていた小うるさいガキどm……特に陽気な子供たちの一団が、わらわらと固着して出ていく。
「はーい、さよならー。あと、お姉さんは先生じゃないからねー。ついでにその、既に退廃しつつある運動会の種目みたいな呼びかたはやめましょうねー」
語感が“オバサン”みたいで気にくわないのよ。
クソやかましい集団が
その大半が大人しい気性の持ち主である彼らは、先の集団のように群れてはいないものの、それぞれの行き先が重ならないよう、絶妙なタイミングで動く。ある意味、統率が取れていて、私は感心する。
読んでいた本を本棚に戻す子、カウンターの前で貸し出し申請をする子。どちらも大抵は、私に挨拶なんかせず、うつむいて図書室を出ていくから、楽なもの。
彼らの貸し出し申請を捌くのは、今は私の仕事ではないしね。まあ、少し寂しい気はしなくもなくもなくなくもないような気がするが、別にいいか。私、先生じゃないもの。
生徒が消えて、がらんとする図書室。
窓の外に目をとめて、ため息をつく。
いいなあ。
私も早く帰りたい……。
ここで、勘違いしないで欲しいのだけど。
この仕事は割と性に合っているし、本に囲まれ紙のにおいばかりのする空間は本当に居心地がいい。
けれど、問題がひとつある。
図書室を満たす不気味な朱色。
如何にもな雰囲気が、壁掛け時計の秒針の音と合わさり、焦燥感を増幅させる。
……さっさと帰りたいわ。マジで。
リノリウムの床に伸びる、本棚やらゴミ箱やらの影。無駄に長く無駄に濃く、夕焼けの中に立つ都市伝説の異形を思わせた。
二回目か、三回目のため息をついた、そのとき。
「
ほんの少しの笑いを含んだ声がして、私は床に伸びる不気味な影から視線を上げる。
見ればカウンター据え付けのパイプ椅子に腰掛けたチビッ子が、背もたれ部分のパイプに腕を乗せ、こちらを振り返っていた。
見るからに小生意気な、小動物を彷彿とさせるあどけない顔立ち。
それはプロのクリエイターが魂を込めてつくりあげた3DCGのチェシャ猫みたいに、滑らかに表情筋を操り、にんまりと私を見上げている。
「
「だって俺、図書委員だもん」
……そりゃ、そうだわ。
このちっちゃな坊やは、生徒会図書委員の
小柄で少女のように可愛らしい見た目の少年で、放課後になると欠かさずやってきては、貸し出し業務や図書室の整備業務などにあたっている。……
本来それは──私が特別に頼まない限り──私の仕事であって、お昼休みは生徒たちが当番を決めて色々とやっているけれど、放課後は私が残るから担当の生徒なんていない。
しかし、何度無用だと言っても来るので、もう好きにさせてしまっている。
おかげで私は他の業務に専念できるし、暇があれば読書すら許されるのだから、そう悪いものでもない。
これで学生の本分に影響が出てはたまったものじゃないけれど、幸いなことに彼の学業の成績は申し分ないみたいだし。
よほど、図書委員の仕事が好きらしい。
放っておいたら、私がここを施錠して帰る時間になるまで、本棚の本を並べ替えていたりするし。
奇特な子供だと思う。
「もう遅いから、早く帰りなさい」
「んー……
「なんでよ」
っていうか、なぜこの子は私を平気で呼び捨てるのかしらね。
まあ、騎馬戦よりはマシだけど。
もうちょっと優しい感じにしたら? と時たま余計なお世話を焼かれる自前の片眉を眉間に寄せ、やや怪訝な視線を彼に向かって投げかける。
先程から、窓の外から差し込む赤い光が六角形のレンズに反射して鬱陶しく、割と本気でイヤな顔をしていたかもしれない。
「だって、
腰を傷めないのか心配になるほど、大きく上半身を
「
私は自分の
私の表情の変化を受け、
「ちょっと、なんでそんなこと……」
学校での私は、ちょっぴり斜に構えたデキる美人司書ってことで通っているはず(たぶん)。
いもしないオバケや怪異や呪い、それどころか暗闇とか夜のお風呂にチキッているなんて……。
「あははっ。わかるよぉ」
まだ声変わりのきていない、無邪気なアルトがカンにさわる。子供のくせに、大人をおちょくっている。
いったいいくつ離れていると……いえ、そんなには離れていないんだったわ。せいぜい三つか四つ。そうよね。けっして十以上なんていう世代と呼ばれるような大きな隔たりはない。……いいわね?
「いいから帰りなさい」
「やだ。帰らない」
「なんでよ」
「こんな時間に、
「大袈裟ね」
とか言いつつ私は、あっそー、だったら待っててもーらおーとか考えていた。
口ではこう言ってるけど、私だって、
というか、わかってるから、こういうこと言うんでしょうね、この子は。
「言っとくけどね、私は別に怖がってなんかいないわよ。出るなら出なさい。まとめて合コンの話のネタにしてあげるから」
正確には創作のネタですどね!
……合コンの予定なんてありませんとも。
学生時代の友人は皆、身を固めて私とは違う人生のステージを歩んでいる。
人の気配が消え、真っ赤に染まる図書室は
けれど、この生意気な存在のおかげで、恐怖は薄れ、私はやや気が大きくなっていた。
この調子なら、ちょっとくらいなにか出てきても平気じゃない?
むしろ出なさいよ。
ま、出るわけないけど。だってそうよね、にじゅうはち……二十年生きてきて、今まで一度も遭遇したことないのよ。
先日も、まさかと思ったらパンツをかぶったただの変態だったし。
「またまた。
「ゲッ……。そんな……いつの間に」
「いや、そういうとこだし。
「オイ、今なんつった」
もー。
オバサンだなんて酷いわ、藤村くーん。
「ほら、心の声出てる。面白いなあ」
発声すべき言葉と、心に秘めておくべき言葉を間違えた私を、
「けどね、あんまり刺激しないほうがいいよ」
「え……?」
私が首を傾げるよりもわずかに早いタイミングで、信じがたいことが起きた。
バサバサッ。
バサバサバサッ。
本棚から一斉に抜け落ちる大量の本たち。
地震が起きたわけでも、誰かが棚を揺らしたわけでも、ましてや私が酒を飲んで酔っ払っているわけでもない。
「ちょ、ちょ、ちょっと……なによコレ!?」
バササッ。ドタッ。
私の声に呼応するようにして、またも本が落下する。
「ひゃあああっ!?」
叫ぶたび、ひとつふたつと、本の列が崩れていく。
「あーあ……」
半ばパニック状態の私をよそに、
「
「ノッて来たって、なにが!?」
ヤバかった。
怖かった。
ひとりだったら、絶対に動けなくなってた。
私は全身のふるえを抑え込むように、自らの肩を抱いた。
やや斜めになったパイプ椅子の座面からずり落ちそうな臀部を、ガクガクする脚で必死に支える。
心臓が爆発しそうだ。
「決まってるじゃん。この学校にウヨウヨしている彼らのことだよ」
「う、ウソ……だよね?」
「ううん。
「いやーーーーっ!」
ドサドサッ。
「ああほら、否定するようなこと言うから怒ってる。どーせさっきも、“そんなのいるわけない”とか“幻でも見てる”だなんて考えてたんでしょ? そういうのって、伝わるよ」
「じゃあどうしろっていうのよ!」
叫ぶ。また落ちる。
デキる女が聞いて呆れるわ。
私は半泣きの状態で、目の前の子供に助言を求めた。
「それは──」
<②へつづく>
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