第162話 溜め込み、解放
音羽先輩はアイスコーヒーを一口飲んで、大きく息を吐いた後、ゆっくりと口を開いた。
「でもやっぱり、楓ちゃんは気持ちを伝えたほうがいいと思うんだ」
「…どうしてですか?」
「私ね、後悔してるんだ」
「…後悔…?」
「うん。私、実は皇君の事が好きだったんだ…」
「え…はい…そうでしたね…」
「うん…って、えぇ?!知ってたの?!」
少し会って話すだけでもわかるほどに、音羽先輩はわかりやすかったと思う。
だって、お兄ちゃんと話す時はいつも楽しそうだし、私と話す時は決まってお兄ちゃんの話題が出てくる。あぁ、この人はお兄ちゃんの事が好きなんだなってすぐにわかってしまった。
でも、お兄ちゃんと付き合ったのは音羽先輩じゃなかった。
「私ね、ずっと『好き』って気持ちを隠してたんだ。振られたらどうしようとか、関係が壊れるのが怖い、とか色々考えちゃってね」
「…」
「…はぁ…気づいたら、皇君には恋人ができてた」
聞いているだけで胸が張り裂けそうな内容なのに、音羽先輩はそれでも笑顔を崩さずに話し続ける。
「その時は『あぁ、失恋しちゃったか』で済んだんだけどね、その後が大変だったんだよ」
「…?」
…大変だった?
「その…どうなったんですか…?」
「…………死にたくなっちゃった…」
「…ぇ…?」
俯いた音羽先輩から出てきた言葉は、今までのどの言葉よりも強烈だった。
騒がしいはずのファストフード店が、私たちの周りだけとても静かだった。
数秒の後、音羽先輩が顔をパッと上げると、何事もなかったような顔をして笑って見せた。
「なんてね!さすがにちょっと重かったね!ごめんね?びっくりさせちゃったかな?」
「へ…?あ、いや、その…」
さっきの重苦しい雰囲気からの急な転調のせいで、どんな顔をして話せばいいのかわからなくなってしまった。
「…まぁ、『死にたい』までは行かなかったけど…すっごく苦しかったよ」
「っ…」
音羽先輩はお皿の上のパンケーキを食べるわけでもなく、一口サイズに何度も切り分け始めた。
「皇君と付き合ったのは琴乃ちゃんだった。私より大人っぽいし、綺麗だし、気遣い上手だし…皇君が好きになるのは当然かなって納得はしてた…納得、してた…」
音羽先輩は切り分けられたパンケーキを口に運ぼうとしたけど、それを口に入れる事はなく、フォークを下ろした。
「でもね?意味ないってわかってても思っちゃうんだ。もっとアピールしてたらとか、私が先に告白してたらもしかしたら…とかね?なんでもっと早く気持ちを伝えなかったんだろうって何度も何度も頭の中で問いかけて…告白しなかった事を後悔して、自分を恨んだよ…」
「っ…」
「それで私、思ったんだ。自分の気持ちを伝えられるのって、すごく幸せな事だったんだなぁって…」
それは、音羽先輩の経験からくる『答え』だった。
さっきは冗談っぽく言ってたけど、きっと音羽先輩は本当に死にたくなったんだと思う。だって、きっと私もそう思うから。
「私は楓ちゃんに同じ目に会ってほしくない。けど、これは楓ちゃんの事だから私が強制できるわけじゃないんだけどね」
「…はい」
「楓ちゃんがやりたいようにやればいいと思うよ…なんて、結局無責任なアドバイスになっちゃうんだけどね!」
「…決めました」
「へ?」
私は、逃げたくないし後悔もしたくない。だから…。
「…私、告白します…!」
「…そっか…!」
この想いを伝えられずに終わってしまうくらいなら、伝えて終わってしまおう。
その意味を込めて音羽先輩に向かって放った言葉を、音羽先輩は嬉しそうに受け止めてくれた。でも、音羽先輩が纏う空気は、やっぱりどこか寂しそうだった。
…
「今日は話してくれてありがとね」
「い、いえ!こちらこそご馳走になっちゃって…!」
「いいのいいの!」
店を出て、音羽先輩と帰り道を一緒に歩く。
そういえば、音羽先輩と帰りが一緒になる事ってあまりなかったような…?
「それにしても旭君かぁ…やっぱりモテるんだなぁ…」
「あ、えと、その…」
「気遣いできるし、仕事もできるし、なにより優しいし…あっ、でもデリカシーないのは原点だね。旭君、すぐ失礼な事言うんだもん」
すごく楽しそうにそんな事を話す音羽先輩。でもやっぱりどこか寂しそうだ。
旭くんの話をするとそんな雰囲気を纏う気がするんだけど…もしかして…。
「この前メッセージ送った時なんかね…」
「あ…あの…!」
「うん?」
「えと…間違ってたらごめんなさい。その…音羽先輩ってもしかして…」
これを聞くのは、ここまで話してくれた、アドバイスしてくれた音羽先輩に対して聞いてはいけない事なのかもしれない。でも、聞かずにはいれなかった。
「旭くんの事、好きなんですか…?」
「…」
音羽先輩が歩みを止めた事によって私も歩みを止める。
静かな中に、涼しい風が髪を撫でながら吹き抜けていく。
時が止まった。
きっと時間はそんなに経っていないはずだけど、音羽先輩が口を開くまでの時間はそれほど長く感じられた。
「…まさか!私、歳下はタイプじゃないから!」
そう言う音羽先輩は笑って見せた。
それは誰が見てもわかる、作り笑いだった。
「あの…」
「あ、私、そろそろ帰らなきゃ!じゃあね!」
「え…あっ!」
「また今度話そうね!」
そう言って背を向けて走っていく音羽先輩を、私は止める事ができなかった。
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