第125話 チョコっとだけの空間

 「はい旭!ハッピーバレンターイン!」


 チョコペンなどで綺麗に飾り付けされたチョコを陽葵は渡してきた。

 二月十四日、バレンタインデー。

 詳しくは覚えていないが、キリスト教のなんかがどーたらこーたらっていう日だった気がする。うん、何も覚えてないな。たしかバレンなんとかさんが関係してるんじゃなかったっけ。

 現代では女子から男子にチョコを渡す日、として広く知られている行事の一つだ。だから陽葵も俺に渡してきた。


 「うい、どうもー」


 「反応うっす」


 「いやだって、毎年もらってるじゃん」


 「毎年あげてるからね」


 俺は毎年、陽葵からチョコをもらっている。しかも手作りで。

 毎年バレンタイン前日になると、陽葵は夜に台所でチョコを作っていた。毎年よくやるなぁ、と思いながらも、優しい俺はそれを察して、前日の夜は早めに部屋にこもってゲームをする事にしている。昨日はレアアイテムが入手できてホクホクです。


 「それじゃ、あたしは学校行くから」


 「あ?いつもより早くね?」


 陽葵がいつも出る時間はもうちょっと後のはず。こいつ、日直だったか?


 「みんなにチョコ配らなきゃ!」


 「どんだけ作ったんだよ」


 「って言っても友達にあげるだけだよ?」


 「ほーん」


 「じゃ!鍵ちゃんと閉めてね!」


 そう言うと陽葵は、そそくさと家を出て行った。


 「楽しそうだなぁ…」


 陽葵が出て行くのを見届けながらそう呟いた後、もらったチョコを冷蔵庫にしまって、俺も学校に行く準備を始めた。




 はっきり言って、バレンタインは苦手だ。

 別にチョコが貰えないからとか言うくだらない理由で苦手なわけじゃない。

 バレンタインの日って、学校中が甘い雰囲気に包まれているのを肌で感じる。まぁ、それはいいんだけど、その中にピリピリとした雰囲気も混じってて、なんか妙に過ごしにくいと言うか、とにかくそれが苦手だ。だから俺は、バレンタインの日はあまり学校に行きたくないのだが…普通に平日なんだよなぁ…。


 「はぁ…」


 家の鍵を閉めながら、白い息を吐く。二月でもまだ寒い時期で、家で暖まった体が一瞬で冷えていくのがわかった。


 「…旭…?」


 少しどんよりとした気持ちで歩こうとしたところで、聞き慣れた声が俺の歩みを止めた。


 「…伊織?」


 「あ、うん」


 家の前には伊織がいた。なんで家の前に?陽葵を待っていたのか?陽葵が気づかなかったのか?

 …バレンタインか?でもそれなら学校で渡せばいいはず。


 「あれ?陽葵なら行っちゃったぞ?」


 「うん、わかってる。旭を待ってたから」


 「俺を?」


 俺は去年から、決まった時間に出る事はしていない。基本的に陽葵より早いか遅いかのどちらかに家を出ている。

 だとしたら、俺を待っていたのだとしたら、伊織はどれくらいの時間俺を待っていたのだろうか。

 伊織をよく見ると、耳は少し赤くなっていて、寒さを紛らわすかの様に自分の手を擦ったり揉んだらしていた。


 「…ちょっと待ってて」


 「え?」


 俺は閉めた家の鍵をもう一度開けて、急いで中に入り、カイロを一つ取って伊織に渡す。


 「ほいこれ。ごめん、寒かったでしょ?」


 「…私が勝手に待ってたんだから気にしなくてもいいのに」


 「いやいや、さすがにそういうわけには」


 「ごめんね、ありがとう」


 「うい」


 そう言うと伊織は俺からカイロを受け取った。


 「それで、どうした?」


 「…わかってるくせに」


 「あ、やっぱりそうなの?」


 少し不貞腐れた様な顔をして、俺をじとっと見る伊織。


 「学校でもよかったんじゃ?」


 「それは…そうだけど…私もそうしようとしたんだけど…」


 伊織も陽葵と同じように、バレンタインの日は俺にチョコをくれていた。一緒に登下校していた時期はその最中に渡してくれたり、そうじゃなければ学校で渡してくれたりしていた。

 最近、一緒に登下校していないから、今年は学校で貰うか、単純に貰えないかを想像していた。


 「その…改めて渡そうとしたら…恥ずかしくなってきちゃって…」


 「え、かわいい」


 「う、うるさいっ!」


 頬が少し赤くなっている程度だった顔が、一気に赤に染まっていった。こんなかわいい事ある?


 「は、はい!バレンタイン!」


 「お、さんきゅー」


 半ば投げやりの状態で、可愛らしい包装の小さな箱を渡された。

 俺はそれを潰れないように、大事に鞄の中にしまおうとすると、伊織が口を開いた。


 「それ…その…ほ、本命…だから…」


 「え?!あ、う、うん…あ、ありがと」


 そう言われると、途端に意識してしまう。チョコを持つ手も若干震えてきて、お互いに目を合わせづらい状況になった。


 「…」


 「…」


 「…行こうか」


 「う、うん」


 なんだか微妙な空気のまま、俺と伊織は歩き始めたのだった。

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