第112話 いつか…絶対に

 気まずい空気が流れる中、わたしは男の子を目の前に俯くことしかできなかった。

 何か話さなきゃ…でも、怖い。


 「皇さんって勉強は得意なほう?」


 わたしがいつまで経っても喋る気配がなかったからか、佐倉くんはそんな事を聞いてきた。

 勉強…いつからか勉強しかする事がなかったから得意な方ではある。


 「?…まぁ…」


 「それならさ」


 そう言いながら佐倉くんは、テーブルの上のわたしの教科書を捲って、ある部分を指差す。


 「この辺説明できる?俺今日遅刻してこの辺まったく聞いてないんだよね」


 今の状況を全く気にしていない様な素振りでそんな事を聞いてきた。


 「え…あの…いぃけど…」


 この人は…わたしを避けないの?

 こんなにビクビクして、話もまともにできていないわたしを避けないの?


 「あの…気味悪い…っておも…わないの…?」


 わたしは思わずそう聞いてしまった。


 「誰が?」


 「佐倉…さんが…」


 「誰を?」


 「……わたし…を…」


 「なんでさ?」


 「え…?」


 なんでって…そんなの決まってる。


 「だ、だって!」


 「おう?!」


 思わず大きな声が出ちゃって、佐倉くんをびっくりさせてしまった。


 「こんな見た目だし」


 前髪が目元まで伸びてて清潔感なんてないし、かわいくなんてないし。

 …暗くて、空気を悪そうにしそうだし…。


 「人それぞれじゃない?」


 佐倉くんは、ケロッとした表情で言った。


 「それに…わたしが一緒だとみんな不幸になっちゃう…」


 「…は?」


 わたしがいる事で空気を悪くしちゃって、みんなが楽しく生活できなくなっちゃう。

 …なんか、勢いで言っちゃったけど、きっと気持ち悪いって思われてるよね…。失敗しちゃったな…。


 「やっぱり、何があったか話してくれなかな?」


 それでも、佐倉くんはわたしを気遣って、優しい声でそう聞いてきた。


 「俺は君を気味悪がらないし、怒りもバカにもしない」


 「…っ」


 「だめかな?」


 そんな事を言われてしまうと、心が揺らいでしまう。

 でも…もう、吐き出してしまいたかった。

 わたしは、全部吐き出して、楽になってしまいたかったのかもしれない。

 

 「その…」


 気づいたら私の口は開いていた。


 「あまり…いい話じゃ…ないよ…?」


 「知ってる」


 「聞くと…!もっとわたしを嫌いになるかもしれない!」


 「本当に君が悪いことをしているなら怒るよ」


 「ぇぅ…」


 『本当に君が悪いことをしているなら』、この言葉にまた心が揺らいでしまった。

 話を聞いて、悪いかどうかを判断してくれる気がある言い方。

 わたしはこれだけで泣きそうになってしまう。

 それでも、佐倉くんは話を続ける。


 「でも…」


 「…?」


 「嫌いになることはないと思うよ」


 「?!」


 「こんなにも自分が悪いって、罪悪感を感じてる子がさ。本当に悪い子だとは思わない。」


 ずっと、味方が欲しかった。

 話せる相手が欲しかった。

 家族は心配をしてくれたけど、わたしは家族には話したくなかった。

 今の状況をなんとかしたい、そう思いながら話す勇気がない自分が嫌いだった。

 でも、この人は…嫌いにならないでいてくれるのかもしれない…。


 「うっ…ひっく…」


 そう思うともう、涙を抑える事はできなくなっていた。

 その後、しばらくわたしは泣き止む事はなかった。

 そうしている間に先生たちは戻ってきて、佐倉くんはわたしを泣かせたという誤解を受けてしまった。

 佐倉くんは授業の余った時間に来てくれたみたいで一度戻ったけれど、放課後にもう一度来てくれた。

 そして…わたしは佐倉くんに、中学校の事を話した。

 いじめられるようになった経緯、いじめの内容を簡単に説明した。

 他人が聞くと確実に不快な話なのに、佐倉くんは黙って聞いてくれた。


 「自業自得…だよね…」


 話し終えて、わたしがそう言った瞬間に佐倉くんが口を開いた。


 「ちがうだろ」


 「…ぇ」


 今まで話していた声よりも低い声だったので怯えてしまった。


 「君は全く悪くないだろ」


 そう、言ってくれた。


 「君は正しいことをしただけだよ」


 そう、言ってくれた。

 嬉しかった。

 ほんとにそんな事を言ってくれるなんて、思ってもいなかった。


 「君が止めに入ったからこそ、その人たちは過ちを犯すことはなかった」


 「…っでも!わたしがあんなことしなければ!クラスのみんなは平和に暮らしてたかもしれない!」


 それでも、わたしは余計な事を聞いてしまった。

 ほんとに性格が悪い…。


 「その程度で保たれる平和なんてすぐに消えるよ」


 「っ?!」


 それでも佐倉くんは、わたしではなく、クラスが悪いと、そう思っているみたいだった。


 「だって、悪いことを悪いと認めないような奴らなんて、ろくな奴らじゃないだろう?」


 「そ、それは…」


 「だから自信もちなよ」


 「え…?」


 「自分は正しいことをしたんだって。誇りなよ」


 今まで、自分が悪いんだって、そう思い続けていた。思い続けるしかなかった。

 そう思わなければ、気が狂ってしまいそうだったからだ。

 じゃないと、なんでこんな目にあったいるんだって疑問が消えないから。


 「何回だっていうよ。君は正しいことをした。君の行動はその人たちを救ったんだ」


 「うっ…」


 「だから自信もちなよ!『わたしはあいつらを守ったんだ!』って!」


 苦しかった。辛かった。いっその事こと死んでしまえば楽になれるんじゃないかと何回も思っていた。


 「一人でよく頑張ったね」


 そう言って佐倉くんは、わたしの頭を優しく撫でてくれた。

 もう、限界だった。


 「…っ!うん!…うん…!」


 気がついたらわたしは、佐倉くんのシャツにしがみついて泣いてしまっていた。

 多分だけど、わたしはこの時から旭くんが、気になってしょうがなくなってしまったんだと思う。




 それからわたしは、学校にちゃんと行くようになった。

 友達もできて、遊べるようになって…好きな人もできた…。

 学校での出来事を、隠さず家族にも話せるようにもなった。

 佐倉くんの事も、『旭くん』と呼ぶようになった。

 夢みたいだった。

 旭くんもわたしを名前で呼んでくれるようになった。

 それから夏休みに入り、お泊まり会、花火大会と、去年からは考えられないくらいに楽しいことばかりだった。

 そして、文化祭の日。


 「あれ?楓ちゃんじゃーん」


 「え…?」


 わたしの事を呼んだのは他校の生徒だった。

 違う制服、違う髪型でも、声には覚えがあった。


 「さ、紗英ちゃん…」


 「あ、覚えててくれたんだー」


 「あ…うん…」


 中学校の同級生で一番わたしを気に入っていなかった人だった。


 「楓ちゃん空気読めないから迷惑かけないようにしないとね!」


 「…」


 わかってる…。

 今度こそ嫌われないように、今の楽しい時間が壊れてしまわないように細心の注意を払っていた。

 そうしないと、わたしはまたひとりぼっちになってしまうから。


 「中学の時、いじめられてたんですよ。この子」


 「…へぇ、そうなんですか」


 「…やめ、て…」


 紗英ちゃんは、旭くんにわたしの過去の事を話した。

 それを聞いた旭くんの反応は衝撃的だった。


 「ははっ、マジウケるんですけど!」


 笑っていた。

 味方だと、友達だと思っていたのは私だけだったのかな…?

 視界がグルグルして気分が悪くなってくる。


 「自分からいじめてたって言ってるのマジウケるわ!」


 「…は?」


 一瞬、何が起こったのかわからなかった。

 それでもなんとか理解しようとして、さっきの笑いはわたしをバカにするような笑いではない事に気がついた。


 「…えーと?」


 紗英ちゃんも動揺している様子だった。


 「君でしょ?楓をいじめてたのって」


 「え…あ、ち、違うよ?」


 「教科書隠したり、机の中荒らしたりしたんじゃないの?」


 「え…と…」


 紗英ちゃんは、どんどん追い詰められていた。


 「…そ、そもそも!この子が空気読まないで変な事言うからこうなったの!私たちは一緒に楽しんでただけなのに変なこと言うから!」


 その後も、紗英ちゃんと旭くんの言い合いは続いた。

 そして、旭くんの言葉でわたしの世界が変わった。


 「あのなぁ…そもそも空気なんて読むもんじゃないだろ」


 衝撃的だった。

 そんなことをしたら嫌われちゃうんじゃ…?

 でも、よく考えたら旭くんが嫌われているなんて聞いた事がなかった。


 「…もういいや…じゃあね…」


 「あれ?もう帰っちゃうんだ?」


 「っ!」


 あれこれ考えていたら、話はもう終わろうとしていた。

 すると、旭くんはわたしの口にクレープを入れてきた。


 「っ?!」


 「え?もっと欲しいって?」


 「…んっ、い、言ってないよ?!」


 さっきまで言い合っていた人とは思えない雰囲気だった。


 「…あの、旭くん…どうしてあんなこと言ったの…?」


 わたしがそう聞くと、旭くんはちょっとだけ怒った雰囲気だった。


 「ムカついたから?」


 「…え?」


 「ムカついたから」


 「あ、うん」


 「友達の事を貶されたんだ。黙ってられるわけないだろ」


 そんな事をあっけらかんと言ってしまう旭くん。

 旭くんも、わたしを友達だって思ってくれている事が嬉しかった。


 「…さっきも言ったけど、空気なんて読むもんじゃないぞ?言いたい事があるなら言ってくれていいから。別に空気読めないとか言わないし、それでハブったりもしないからさ。あ、でも譲れない意見がある時は俺も対抗するからな!その時は言い合おうぜ」


 この言葉で、わたしの世界が変わった。

 ほんとに、言いたい事を言ってもいいんだ…。

 そう思うと、心が軽く感じて、自然と笑顔になっていた。




 それからも色々あって、クリスマスの日。

 みんなでクリスマス会を旭くんのお家でする約束をした日。

 旭くんとスーパーで買い物をしていた時だった。

 旭くんも色々あって、ちゃんと高校生活が送れるか心配だったらしい。


 「だから俺さ、感謝してるんだぜ?」


 「え?」


 「楓にさ、もちろんみんなにも」


 「わたしに…?」


 「そ…俺と関わってくれて、ありがとね」


 「っ…!」


 わたしも、誰かの役に立てるんだって、この時初めて思った。

 でも、わたしだって感謝してる。

 旭くんが関わってくれなかったら…わたしは…。


 「わ、わわわたし!ちょっとあっち見てくるね!」


 「え?あっちょ…」


 嬉しくて、恥ずかしくて、思わずその場から逃げ出してしまった。

 だからクリスマス会が終わったその日の夜。

 わたしは旭くんと電話をして、その時言えなかった感謝の気持ちを伝えた。


 「旭くんがスーパーで『関わってくれてありがとう』って言ってくれたけど…それは、わたしもだから…」


 『お、おう』


 「旭くんがいなかったら、わたし、こんなに楽しめてなかったよ?…もしかしたら、ずっとひとりぼっちだったかもしれないし…」


 『楓…』


 本当に、わたしは旭くんがいなかったら部屋に引きこもっていただろう。


 「だから、旭くん!ありがとう!」


 『お、おう…』


 わたしが電話越しにそう言うと、耳に照れ臭そうな声が聞こえてきた。かわいいな…楽しいな…。

 わたしは、旭くんが好き。

 わたしを暗い世界から救ってくれて、中学校の嫌な思い出も、わたしのトラウマも、全部飛ばしちゃった彼が好き。

 空気を読まない、言いたい事を躊躇わずに言っちゃう彼が好き。


 「…ねぇ、旭くん」


 『お、ん?どした?』


 「…わたしね…好きだよ、旭くんが…」


 …やっぱり、いざ伝えようとすると、どうしても恥ずかしく感じてしまう。

 でも、全部言い切る前に、わたしは通話終了ボタンを押したから、内容は聞こえていないはず。

 それでも、誰も聞いていないはずなのに、さっき言った言葉のせいで、自分の体温がどんどん上がっていくのを感じる。

 そんな時、わたしのスマホにメッセージが届いた。


 旭 「通話切れちゃったんだけど、なんて言おうとしたの?」


 「…ふふっ…」


 思わず笑みが零れてしまう。

 どんな状況でも、旭くんはちゃんと話を聞こうとしてくれている。

 …でも、これだけは、直接会って言いたい。


 カエデ 「さぁ…なんて言おうとしたでしょう?」


 だから、いたずらっぽく送ってみた。


 旭 「oh…」


 「ふふっ…」


 困惑している旭くんの顔が浮かぶ。

 きっと旭くんは、何がなんだかわかっていないんだろうなぁ…。


 「さぁ…なんて言おうとしたでしょう♪ふふっ…」


 部屋の中で一人、ベッドの上でそんな事を呟いてしまう。

 今は恥ずかしくて、きっと直接会っても伝えることなんてできないと思う。

 …一度、伝えようとして失敗しちゃってるし…。

 でも…いつか…絶対…。

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