第110話 濁り

 気がついたら、中学校生活が終わっていた。

 三年間って、こんなに短いんだなってこの時、初めてわたしは思った。

 でも、普通の人なら、この短い三年間が、いい思い出になってくれるんだと思う。

 でも、わたしは普通じゃなかったみたい。

 いい思い出になんてならなかった。

 わたしは三年間、どうして学校に行かなきゃだめなんだろう、と思っていた。


 「すめらぎぃ〜?お前、今日いたんだ〜?」


 「影薄すぎてわかんなかったよね〜」


 不快な声、あからさまに向けられた悪意、汚いものでも見るかのような視線。

 中学校の思い出、と言ったらこれだった。


 「ねぇ、楓ちゃん…なんでいるの?」


 「うははっ!ひっでぇ!」


 クラス中が笑いに包まれる。


 「…ぇ、えと…」


 「え?なに?聞こえなーい」


 「っ?!」


 目の前の男の子が、突然わたしの机を叩いて、大きな音を出してきた。


 「なぁ皇、まだ質問に答えてもらってないんだけど?」


 「あたしらさぁ、楽しく学校生活を送りたいんだけどさぁ…あんたがいると無理なんだけど。なんでいるの?」


 「…ご、ごめん…なさぃ…」


 「謝るくらいなら、空気読んで来なきゃいいじゃん?はぁ…あたしらチョー不幸」


 目の前の女の子がそう言った。

 『空気が読めない』

 それが、わたしがいじめられる原因だった。

 わたしは、この事を親や先生には伝えていない。

 伝えたところで、取り合ってくれるかわからない。

 けれど、話せば少しだけでも楽になれるのかもしれない。

 いっその事、全部伝えて登校拒否すれば、いじめられる事もなくなる。

 だけど…。


 「そ、それは…無理…」


 それだけは本当にできない。

 わたしのワガママで、お父さんやお母さん、お兄ちゃんには迷惑をかけたくない。

 あとちょっと…あとちょっとだけ我慢すれば卒業だから…。

 卒業すれば、ここのみんなと会わなくてもよくなるから、あとちょっとだけ我慢すればいい。


 「はぁ?」


 「…っ」


 女の子の声が低くなった。


 「おーい、座れお前らー。何してんだー?もう授業の時間だぞー」


 「ちっ」


 「おいお前、舌打ちしたな?」


 「してないでーす」


 先生が教室に入ってきた事によって、話は終わった。


 「…皇、何かあったか?」


 「え…?えと…」


 周りを見ると、「余計な事を言うな」とでも言いそうな目で、みんなわたしを見ていた。


 「…いえ…何も…ないです…」


 「…そうか」


 こんな事が毎日続いていた。

 これが、わたしの普通。

 私の日常。

 こんなやり取りがしばらく続いていたけど、受験が近づいてくると、みんなわたしに構っている余裕がないのか、わたしをいじる事はなくなった。

 わたしは、単純に一人になったんだ。




 無事に華野高校に受かる事ができ、入学式当日。

 さすがに高校では、わたしの事を知っている人は少ないはず。

 中学では出来なかった友達も、もしかしたら作れるかもしれない。

 新たな気持ちでスタートできるかもしれない。

 そう、思っていた。

 わたしは一年E組。

 クラスの中に、同じ中学校だった人はいなかった。

 気がついたら、みんなもう、仲のいいグループを作ってしまっていた。

 わたしも話しかけるべきだ、そう思った。

 けれど、出来なかった。


 『空気読めよ』


 …今、話しかけてもいいの…かな…?

 もし、話しかけて、お話を中断しちゃったら…?


 『はぁ?なんなのお前?』


 怒らせちゃうんじゃないかな…?

 それに、もうみんな仲のいいグループを作ってるのに、そこにわたしが割り込んじゃダメなんじゃ…?


 『うっわぁ…空気読めよなぁ…』


 「っ…!」


 そんな事を考えてしまう。

 そして、考え始めた途端に、周囲が怖くなってきた。

 ここにいたら、ダメなのかな…?

 もしかしてわたしの事、みんな知ってるの…?

 だからみんな…早めにグループを作ったの…?


 『ねぇ、楓ちゃん…なんでいるの?』


 「…」


 なんで…学校になんているんだろう…。


 『あたしらさぁ、楽しく学校生活を送りたいんだけどさぁ…あんたがいると無理なんだけど。なんでいるの?』


 …学校になんて…いたくないよ…。




 「ただいま…」


 わたしが唯一安心できる場所は、結局家しかなかった。


 「おかえり、楓」


 お母さんがいつも通り、家事をしながら答えてくれた。


 「高校はどうだった?」


 「…」


 結局、わたしは何も変えることができなかった。


 「…お母さん…」


 「…どうしたの?」


 「…わたし…学校…行きたくない…」


 「…そう…」


 お母さんは驚かなかった。


 「わかったわ。先生に相談しておかないとね」


 お母さんはそう言って、優しく笑った。

 …もしかして、わたしが隠そうとしていた事、知ってたのかな…?


 「…ごめんね、何もしてあげられなくて…」


 「お、お母さん…」


 お母さんは、わたしを強く抱きしめて、頭を撫でてくれた。

 …何もしてあげられないのは、わたしの方だよ…。




 コンコン。


 自分の部屋でぼーっとしていると、突然ノックされた。


 「…楓?大丈夫か?」


 「お兄ちゃん…」


 皇陽斗。

 わたしのお兄ちゃんで、生徒会長。

 格好良くて、人当たりが良くて、明るくて、人気者で…本当にわたしのお兄ちゃんなのか、疑ってしまうほど良く出来た人だ。


 「…なぁ楓、中学の時に何があったか話そう?」


 お兄ちゃんは、わたしと同じ中学だったから、わたしに何があったのか大体知っている。

 だから心配してくれているんだ。

 お兄ちゃんが何回か先生に話しているところも見た事がある。


 「やっぱり本人から言わないと誰も信じてくれないし、動いてくれないんだよ」


 お兄ちゃんの言う事は信じてもらえなかった。

 わたしのクラスの人たちは、みんな上手にいじめを隠していたから。


 「…何もなかった…よ…?」


 「楓!」


 「大丈夫だから!」


 「…」


 もう、その話はしたくない。

 家でくらい心を落ち着けたい。

 そんな思いが募りに募って、わたしはお兄ちゃんに強く当たってしまった。


 「…ごめん、楓…」


 「…」


 そう言って、わたしの部屋から出て行くお兄ちゃんは、すごく悔しそうだった。

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