第30話 言葉の意味

 勉強道具を持ってリビングに戻ると既に陽葵と伊織は教科書やノートをテーブルの上に広げ勉強を始めていた。

 これ、俺欲しい?いらなくない?

 そう思いつつも俺は空いている伊織の対面に座り教科書を開く。

 勉強っていう気分じゃないしなぁ…。

 今回は教科書を読むだけにしよう。テーブルは彼女たちに広々と使ってもらおう。

 特に何か問題が起こる訳でもなく、陽葵と伊織が問題を教えあっている声がたまにするだけで、静かな時間が過ぎていく。

 チクタクチクタク。針が時間を刻む。窓から吹き抜ける風はとても心地よい。

 伊織に感じていた気まずさも時間が経つにつれて薄れていくのを感じた。


 「ん〜!疲れた!」


 そんな静寂の中、気の抜けた声が響く。


 「ちょっと、休憩しよ!」


 「そうだね」


 そう言われてスマホを確認してみる。

 午後三時過ぎ。勉強を開始してから二時間くらい経ったらしい。

 陽葵は「ん〜!」と伸びをし冷蔵庫に向かう。


 「ちょっと、何もないじゃん」


 陽葵は冷蔵庫の中を見てがっかりする。

 そういえば俺が食べたバナナが最後だったか。

 陽葵は冷蔵庫から離れ、財布を持って出かける準備をする。


 「自販機でなにか買ってくるから留守番よろしくね」


 「俺が行こうか?」


 「いいよ、すぐそこだし」


 そういって陽葵は玄関に向かっていった。

 リビングには俺と伊織が残された。

 さっき感じていた気まずさはあまりない。

 それでも、伊織と何を話していいかわからないので教科書に目を通してこの場をやり過ごす。


 「久しぶり…だね」


 「ん?」


 「最近、こうやって三人で遊ぶ事なかったから…」


 「あぁ…そうだな」


 確かにこういうことは久しぶりだ。

 あの日、伊織に拒絶された時から俺たちの関係は大きく変わってしまった。だからこんな休日を過ごすことも無くなってしまった。


 「…まぁ、高校生だからな。みんな忙しいんだろ」


 「…そうなの…かな…」


 違う。

 三人とも部活も習い事もしていないし、昔から生活は変わっていない。変わってしまったのは俺たちの関係。それだけだ。


 「そのうち、こうやって集まることもなくなるんだろうよ」


 「やっぱり…そうなのかな」


 「多分な」


 伊織の方を見ないでそう答える。

 実際今の時点で話すことも会うことも少なくなってきている。

 きっとこのまま時が過ぎて、今あったことも忘れて大人になって、離れ離れになってしまうのだろう。


 「…嫌だな…」


 「え?」


 「まだ、離れたくない…」


 思わず伊織の方を見てしまう。伊織は悲しそうな目で俺を見ていた。


 「旭はさ…今、楽しい?」


 縋るような目で俺をみる。

 今、これはおそらくこの状況のことを指しているのだろう。

 今のこの状況、お世辞にも楽しいとは言えない。


 「…えっと」


 返答に困る。

 どう返せばいいのだろうか。


 「私は…楽しい…」


 俺が返答に困っていると伊織はそう言った。


 「え…?」


 「旭とこうして話せて、楽しい」


 そういう伊織は、決意に満ちた目をしていた。


 「そ、それって…」


 それってどういう意味?そう聞こうとしたが俺の口からは出てこなかった。

 たった一言そう聞くだけなのに喉から声が出ない。

 沈黙が部屋を支配する。

 俺と伊織はしばらく見合う。

 しかし、そんな沈黙は長くは続かなかった。


 「だだいま〜」


 ガチャ。

 そんな音と共に陽葵の声が聞こえてくる。

 ドタドタと音を鳴らしながらリビングに入ってくる。


 「…どったの二人とも。なんかあった?」


 入ってきた陽葵は俺たちを見て聞いてくる。


 「いや、陽葵は何買ってくるんだろうなって話してただけだよ」


 そういって伊織の方を見る。


 「う、うん。そうそう」


 俺の意図を汲み取った伊織は俺の話に合わせる。


 「ふーん、まぁいいや」


 そういって興味なさそうに自分の席に座る。

 伊織の真意はわからないままに終わってしまったが、正直陽葵が来てくれて助かった。

 伊織がなぜあんなことを言ったのか、あの時は聞こうとしたが、聞けないことに安堵している自分がいた。

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