第15話 優しさと距離
「ただいまぁ」
玄関の扉を開けて挨拶。その声に反応してリビングの扉から陽葵が顔だけひょこっと出してきた。
「おかえり、遅かったね」
「あーちょっとな」
なにもやる気が起きなくてつい、適当な返事をしてしまう。
それだけさっきの出来事がショックすぎたのだ。
『もう私にかまわないで!』
あの後、朝香は何も言わずに走り去ってしまった。
一人残された俺は呆然とその場に立ち尽くしていた。
『もう私にかまわないで!』
何度もあの言葉が脳内で再生される。
「―さひ!旭!」
「?!」
一気に現実に戻された。陽葵が俺を呼んでいたようだ。まったく気づかなかった。
「あぁ、わりぃ。俺疲れたから部屋いってるわ」
「え?あ!ちょっと!」
陽葵の静止の声を無視して自室に入り込む。
特に何の変哲もない部屋に少しだけゲームや漫画などの趣味のものを置いたくらいの普通の部屋。その部屋のベッドに自分の身を投げ捨てる。
『もう私にかまわないで!』
悩ませていたのは俺だった。今まで朝香の悩みを何度も聞いてきた。
けれど、一番の悩みの原因は俺だったのだ。
俺が一番朝香を悩ませていた。苦しめていた。まったく気づかなかった。朝香のことなら大抵のことは分かっていたつもりだった。
でも、なにもわかっていなかった。
「ごめん」
俺しかいない部屋、ひとり呟いた。
「ごめん」
朝香は今までずっと我慢してきたのだろう。あいつは優しいからな。だから今まで俺のことを突き放さなかったのだろう。
でも今日、朝香は限界を迎えた。
『もう、鬱陶しいのよ!』
俺は朝香にとっては邪魔者でしかなかった。恋人は無理でも、ずっと仲のいい友達くらいにならなれるんじゃないかと思っていた。
でも、その権利は俺にはなかった。
俺は今まで朝香のやさしさに甘えてきたのだ。彼女は誰にでも優しい。その優しさの一部を俺にも分けてくれただけにすぎない。
だが俺はその彼女を壊してしまった。彼女があんな風に叫び散らす姿を見るのは初めてだ。俺が彼女をそうした、そうさせてしまっている。
「眠い」
考えることを拒否し始めたいる。自分の脳が今すぐ「寝ろ」と訴えかけているようだ。考えれば考えるほど眠たくなってくる。
俺はそのまま目をつむった。
目を開けるとそこには陽葵の顔があった。いや、なんで?
「やっと起きた」
「…なにしてんの?」
「寝顔みてた」
そう言って笑って見せる。相変わらず訳が分からない。
とりあえず陽葵を無視してベッドから降りる。
「というか、ほんとに何しに来たんだよ」
「なにって、晩ご飯できたから呼びに来たんじゃん」
「あー…」
そう言われて時計を見てみると時刻は午後七時を過ぎていた。帰ったのが五時くらいだから二時間ほど寝てしまったようだ。
俺たちの両親は共働きで、どちらも出張か残業等で俺たちにかまっている暇がない。だから家のことは大抵陽葵か俺がやることになっている。
晩ご飯ができたということは陽葵が作ってくれたのだろう。
「悪い、すぐ行くから待っててくれ」
「うん、待ってる」
部屋の扉に向かいながら優しい声でそう言った。
そこで違和感を覚える。陽葵が妙にやさしいような。そんな感じがする。
すると扉を開けた陽葵がこちらを振り返らずに言った。
「何があったかなんて聞かないから。しゃべりたいときにしゃべってくれれば、あたしはそれでいいよ」
そこまで言って顔だけこちらを向く。
「…あまり、無理しないでね」
優しい笑みを浮かべていた。
突然、部屋の中にブーブーと音が鳴り響く。制服のポケットに入れていたスマホが着信を知らせていた。
それに気づいた陽葵は「じゃ」と言って部屋を出て行った。
俺は画面に表示された名前も見ずに通話ボタンを押し、スマホを耳に近づける。
「もしもし?」
『…もしもし』
「…朝香?」
通話の相手は朝香だった。なぜ?頭の中に疑問符が浮かぶ。拒絶したばかりの相手になぜ電話をかける必要が?
俺からは話すことがないため朝香からの言葉を待つ。
『…ごめんね』
「え?」
謝罪だった。いったいなぜ?なんのために?
…いや、これが彼女のやさしさなのだろう。俺がさっきのことをあまり気にしないように、悪いのは俺だけじゃないと、きっと伝えたいのだろう。
彼女はいつだって優しい。誰にだって優しい。俺はそんな彼女が好きだ。
『今日、いろいろあって…なんかイライラしちゃってて…』
彼女には拒絶されてしまったが俺が彼女が好きなことは変わらない。一度や二度拒絶されたぐらいじゃ変わらない。俺は彼女が好きだ。
だから、そろそろ覚悟を決めるべきだろう。
恋愛は振られたら終わりか、否。振られたからこそやらなければならないことがある。
『だから、今日の――』
「いいよ、伊織」
『…え?』
本当に好きな人を思うのであれば。
「本当に今まで迷惑をかけた」
『っ…』
好きな人を幸せにしたいのであれば。
「今まで悪かった、伊織」
『…』
好きな人の幸せを願うべきなのだろう。
そこで俺は通話を切った。後悔はしていない。
拒絶された俺が彼女にできることなんてよく考えなくてもわかる。
彼女から距離をとることだ。
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