信じるために

第13話 少女の記憶

彼女は物好きだ。

魔物の猫と一緒に居ることを、楽しいとか、嬉しいとか、幸福だと言う。

例えその所為で、親に見捨てられてしまっても…彼女は家族よりも、魔物を選んだ。

「分からず屋はみんなよ。どうしてみんな、ひととか魔物とか、差別なんてするの。みんな同じように生きてるじゃない」

彼女はそう言って頰を膨らませる。

その様子は愛らしいが…魔物の猫は、彼女の言葉に喜びはしなかった。

彼女は幸福だった。優しい両親に守られて、温かい場所で生きていたのに…何故、それを放棄した。

何故、魔物の自分と一緒に居るんだ。

猫は、わざと怒るように尋ねる。

しかし彼女は少しも怯えず、むしろ幸せそうに微笑んで猫に答える。

「だって貴方が好きになってしまったんだもの。運命よ。ずっと一緒に居たい」

少しも恥ずかしがるそぶりもなく、彼女は猫に告白した。

猫にはよくわからなかったが、『好き』という単語を向けられ困り果てた。

何故だ。

自分は魔物なのに。

何がそんなに気に入ったんだ。

問いただすことはしなかった…隣で笑っている彼女は、楽しげに鼻歌を歌っている。たった今の言葉に嘘はないとわかるほど、無邪気な笑みだった。


だから、突き放すのは残酷に思えて。

もう手遅れで。

純血の彼女を連れて、魔物の生活を続けた。

岩場を登って果実を手に入れたり、自然の洞穴で雨をしのいだり、木の根や石の上を枕にして眠りについたり…時には、魔物を討伐しようとする連中と戦ったりした。

そんな日々が続いても、彼女は幸せだと言った。

「貴方と一緒なら、何があっても幸せよ」

…彼女は必ず、眠る前にそう呟く。

猫はもう何度も聞いた。その度に嬉しくもなり、同時に申し訳なくも思う。

魔物討伐隊は、魔物の猫だけではなく、純血である彼女までも傷つけようとする。魔物と一緒に居る者は、魔物に侵されていると奴らは言う。

例えば、明日の朝に彼女を突き放し、別れたとしても…もう彼女には帰る場所はないかもしれない。

魔物に侵された女として、両親はもう彼女を受け入れない。周囲の純血のひとびとは偏見の眼差しを向ける。

この数日間、彼女を受け入れて過ごした所為で、彼女はすっかり呪われてしまった。あんなに幸福だったのに、不幸にさせてしまった。

猫は自分が魔物であることに、少しばかり自覚がない。実感が薄い。時折疑っていた。自分は最初からこんな奴だったのか、などと。

だが、こうしてひとを不幸にさせてしまった現実を見れば、ようやく、自分がどれほど忌まわしい者なのか理解した。

…今更こいつをひとりにはできない。

しかし、いつまでも連れて歩くのも申し訳ない。

魔物の世界は荒んでいる。純血で力のない、純粋な彼女では、いつ命を落としてもおかしくない…彼女が死ぬところなど見たくない。

猫は考える。

どうしたら、もう一度こいつに、幸福な日々を返してやることができるだろうか。

猫は考える。

考えて、考えて…。


脳裏に、知らない屋敷が浮かんだ。


想像にしてはいやにはっきりと浮かんだ。思い出した、と言う方がしっくりくるほど、鮮明に映像が浮かび上がる。

森に囲まれた大きな屋敷。広い庭にたくさんの花が植えてある。そこには確か、優しい住民が居る。

そのひとなら、きっと受け入れてくれるだろう。屋敷の庭に入り、彼女を置き去りにして去れば…あとはそのひとが、彼女を迷子だと思い、きっと助けてくれる。

…想像のはずなのに、確信がある。

猫は目を見開いた。


翌朝、彼女の手を引いて森の中を進む。

どこへ行くの、と何度も問われる。

連れて行きたい所がある…猫はそれしか答えない。早足に森の中を進む。

昨晩の想像は、目を覚ました時には、より一層はっきりしていた。あの屋敷を知っている。あの庭を知っている。あの花の香りを知っている。

そして、そこはこの近くにある。

彼女は素直に猫についてくる。猫が行く所にならどこへでもついていく。好きだから。

だから、猫がこれから別れを告げようと考えているだなんて、少しも思わなかった。

猫は無我夢中で歩く。

すると、ふ…と甘い香りが鼻をくすぐった。

やはりこの近くだ。

あの屋敷はもうすぐそこ。

猫は彼女の手を引き、走り出そうとした。


途端。

目の前に、真紅の眼を持つ狼が現れた。

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