第12話 夕暮れ

花売りと猫が去った後…アケビが花の整理をしている間、イチゴは、猫に返し損ねたアンプルを眺めていた。

正確には、返す気などなく、成分の分析をするためにくすねた。

花売りほどではないが、イチゴにも魔法の花の知識はじゅうぶんある。何の花にどんな効果があるか、何を調合すれば目的の効果を発揮させられるか…魔法の花での治療となれば、院長よりも確実な治療ができる。その才能がある。

その知識のほとんどは、花売りから聞いたものだ。花売りに教えてもらったことは全て覚えている。今まで色んなことを教わった。

そもそも、童話などでしか知らない魔法の花が、この世に実在することも、彼女との出会いで知った。


道端で、魔女と罵られながら、売り物の花をぶちまけられていた所を、イチゴが拾う手伝いをして…そこで、花が異様な光を発しているのを見た…それが魔法の花を知ったきっかけだ。

恐ろしいとは思わなかった。イチゴはそこで魔法の花と花売りに興味を持ち、それが、自分がいずれなろうと夢見ている医者の仕事にも役立つものだと知り…花売りとはすっかり仲良くなった。


治療に使える花についての事務的な話はもちろんするが、お茶を飲みながら、他愛のない近況報告だってし合う仲だ。

花売りは、魔法の花についての話なら、何でも丁寧に教えてくれた。

なのに。

この緑のアンプルの中身は何なのだろう。

今まで花売りから聞いたものではなく、植物の活力剤と似ているようで違う。

猫が出血と吐血に苦しみ、死にかけていた所を、あのアンプルの中身ひとつで、嘘のように一瞬で回復させた。

それが、不完全な魔法の花を活性化させるのだと花売りは言ったが…どうも無理がある。

無理がある?

いや。

イチゴは気づいていた。

猫の本当の姿が『死にかけ』なんて、生易しい話ではない。出血だの吐血だの、医者のイチゴの聡明な瞳に、あのどす黒さで見紛うはずがない。

猫の体から流れ出ていたものは、泥だ。

その意味も、イチゴは知っている。


猫はもう死んでいる。

だとしたら、花売りが与えたアンプルは、魔法の花を活性化させるものではなく。

死んだ猫を生き永らえさせるための薬。

与えた花というのは、蘇生の花か。


イチゴは青ざめる。

仲良くして、信頼していた花売りが、恐ろしいことを行なっている。

死んだ者を生き返らせた?

それは童話でも、古い本でも、やってはいけないことだと必ず書かれている。神様に反する行為…それを、自分が憧れているあのひとが行なったというのか。

花売りは街で何と呼ばれている。

魔女。

魔女。

魔女。

「あああ…やめろ!」


「す、すみません!」

タイミング悪く、イチゴの『やめろ』が重なり、アケビは差し出そうとしたマグカップを引っ込めた。

「ほ、ホットミルク…いらなかったんですね。すみません」

「ああ、わりぃ。ミルクはよこせ」

トレイに戻された白いマグカップをイチゴは手に取った。糖分が欲しい。

口に含めば、ふんわり甘い味が口の中に広がる…お腹が温まり、頭が冷静になる。

そうだ。まだただの憶測。想像に過ぎない。

花売りが神様に逆らうことを行なったなんて、本人の口から聞いたわけではない。自分が信じるあのひとが、そんな恐ろしいことを行なっているなんて…。

そうだとしても、だったらこのアンプルは何なんだ。猫はどうして死に返る。そもそも、純血の花売りの魔法はどこから…───

ぐるぐる、ぐるぐる、頭がぐるぐるする。

考えれば考えるほど…花売りが魔女としか思えなくなる。自分が彼女の家を訪ねることができないのも、イチゴもまた心底で、彼女を魔女と忌避しているからだ。

嘘をついているつもりはないが、なんだかとても残酷なことをしている気がする。

「イチゴ先生」

「…ん?」

溢れる思考を一度止めてくれたのは、アケビの澄んだ声。いつもは、病院だというのにきゃんきゃんと騒々しい助手だが、今日はよく、こうした真面目な声を聞いている気がする。

自分の分のミルクは用意していない…アケビはトレイを胸元に押さえ、暗い目をしていた。

「あの魔物ですが…」

「ああ」

「あの猫は…最近の事とは無関係なんでしょうか」

「…そうだな」


最近この病院に、ひどい怪我を負った者が多く運ばれてくる。命からがら逃げてきて助かる者、既に致命傷で、治療を始める前に息を引き取る者。

そのほとんどが、猫だった。

病院に担ぎ込まれる者だけではない。新聞などでも目にする、猫の大量虐殺、行方不明。

あの猫も、耳や目を失っていたようだが、それもこの事件と関係があるのか…。

「なんとも言えねーな…本人も、何も覚えてないみてーだし」

「まあ…あのひとは…ひと、と言うか魔物ですから。魔物ですものね」

魔物がどんな生き方をしているなんて、純血のふたりには想像もつかない。だから、あんな怪我など、魔物の世界では当たり前なのかもしれない。

死にかけても。

死に返る体でも。

それを助けたのは…───


魔女。


「…今日は疲れたよ。アケビ、診療時間はお終いだ。玄関のカーテンを閉めてきてくれ」

「はい」

花売りのことは信じたい。

花売りがそうするのなら、あの魔物の猫を助けたことも悪い気分ではない。

しかし、あの猫を助けなければ、こんな風に花売りを疑うことはなかったのだろうか…何も知らないまま、純粋に友人で居られたのではないか。

あの魔物猫に会わなければ。

まるで呪いだ。

…考えるほど、頭も視界も暗くなっていく。

イチゴは考えるのは得意ではない。

今日はもう休もう…もう一口、ホットミルクに口をつけた。甘い、優しい味。


×


真紅の眼を持つ狼は、純血の猫を追いかける。尻尾から青龍刀を引き出し、その刃を猫に向けて振り下ろす。

背中を縦に引き裂かれた猫がその場に倒れ、痛みに絶叫する。

そして、真っ青に怯えた顔で…助けを乞うのではなく、ただ疑問の眼差しを狼に向けた。

なんで。

どうして。

ぼくがなにかしたのか。

狼は冷たい真紅の眼で猫を見下ろし、邪悪でもなく、楽しげでもなく、怒りもなく、ただ無表情で青龍刀を振り上げ。

「お前たちに生きている価値はない」

猫の背の左側を貫いた。

絶叫はぴたりと止み、痙攣を終えた猫をしばらく眺めていた狼は、死んだその体を担ぎ、闇の中へ消えていった。


その様子を、木の上からコウモリが見ていた。

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