第10話 本当の姿

戸惑う花売りの美しい姿、顔、眼差しに、猫もまた戸惑う。

なにかの間違いではないか。

高い背丈、若草色の髪と瞳、兎の耳…よく似ているだけではないか。ワンピースがよく似合う…似ているだけではないか。

昨日と服装が違う…バンダナではなく、リボンが付いた帽子を被り、薄いコートを着ている…その下のワンピースも昨日とは違うものだ。

似ているだけだ。間違いだ。

猫は何度もまばたきをする。

目の前の花売りの女を、昨日の彼女だと認めたくなかった。二度と会うつもりはないと言ったのに。こんな、医者の居る所で点滴をうたれているみっともない姿なんて見られたくなかったのに。

…認めたくない。何度も頭の中で繰り返す。

だが、狂ったように早く脈打つ心臓は、嫌悪や絶望よりも、嬉しいと言っていた。

「猫くん…昨日の、猫くんよね?」

花売りが再度、猫に問いかける。

何度も『猫くん』と呼ばれては、どんなに否定しようと確かになる一方だ。

この女は昨日の花売りだ。死にかけた自分を助けてくれた花売りの少女だ。

…猫違いだろ、なんて気取った言葉も出てこない。彼女が一番覚えている。この姿。失った目と耳を覆う包帯。それを留める花飾り。

「また、会っちまったな…」

呪いを振りまく低い声を発すれば、猫は間違いなく、昨日花売りが助けた『猫くん』だ。

花売りがゆっくり目を見開き、頬を染めた。


「何だよ。お前ら、知り合いなのか?」

イチゴが驚いた声を上げる。

ええ、と頷く花売りを庇うように、アケビが彼女の前に立つ。

「気をつけてください。この猫は、ひととよく似た姿をしていますが、本当は凶悪な魔物なんです!」

牙をむいたアケビに睨まれる。猫は背中のボタンを開けっぱなしにされているため、浮遊する尻尾は露出し、ふわふわとゆれる。

くす、と花売りが笑った。

「大丈夫よ、アケビさん。猫くんが魔物だというのは知っているわ」

「え、そうなんですか⁉︎」

「えぇ。悪い魔物じゃないのも知っている…だから大丈夫よ。怖がらないで」

花売りに静かに宥められ、アケビは牙をしまう…花売りに肩を触れられ尻尾を振っているが、ちらと猫を睨む目は、それでも猫を信用していない、敵意の眼差しだった。


「猫くんは、どうしてここに…」

…小さく呟いてから、花売りは首を横に振り、持っていた鞄を抱え上げる。

「…いえ、先にお仕事のお話をしましょうか。イチゴ先生、今月の分のお花を持ってきました」

「いつも助かるよ。ここで良い。出してくれ」

イチゴはポン、ポン、とベッドを叩く。花売りは少し困ったような顔をしたが、鞄を開け、小さな木箱をいくつか取り出した。

ふ、と広がる強い花の香りに鼻をくすぐられ、猫とアケビは同時に、大きくくしゃみをした。

猫が思わずアケビを見ると、憎悪の色をした目と目があった。

「貴方、わざと…!」

「偶然だ」

ガルルと唸る彼女は、わざとだと決めつけ聞く耳を持っていない…必死になって弁解するほどのことでもない。猫はそっと目をそらした。

その様子を、花売りはクスクスと小さく笑いながら、箱を開き、中の花を手に取った。

「これは、いつもの…傷の治りを早める効果のあるお花です」

「ああ、最近は怪我人も多くてな…ちょうど不足気味だった」

「それから、風邪薬に使えるお花…今月は多めに入れておきました。季節の変わり目で、体調を崩すひとが増えるかもしれないと思って」

「気がきくねえ」

花売りが箱の中から取り出す花は、昨日、彼女の屋敷で見たものと同じものや、おかしな形のもの、いろんな色が混じり合うもの…そのひとつひとつを丁寧に説明する。

イチゴは話を聞いて頷き、時には笑う。

「あの、ひとつ教えてもらいたいことが…」

アケビもノートを持って花売りの側へ行く。

「不眠改善のお花の調合の仕方について」

「見せて」

…花売りはアケビのノートを見る。それから、鞄から小さな本を取り出し、本とノートを並べ、指をさしながら説明を始める。

アケビは真剣に頷き、理解したのか、ああ、と声を上げ、ニコニコと嬉しそうに笑う。

笑う。アケビも。イチゴも。

…猫はぼんやりしていた。

花売りの話は皆目理解できない。花の使い方、成分、調合の割合、聞き慣れない単語、細かい数字…猫の頭はぐるぐるする。なんとなく聞いていても難しすぎて、頭がぼーっとし、眠くなってくる。

イチゴもアケビも笑っているが、どこに笑える要素があるのかわからない。

野良の猫には、学校などで習う基本の知識さえ少ない。医者見習いのイチゴと、イチゴの助手を務めるアケビは、普通よりも知恵がある。

…自分がバカなのか、なんて認めたくなくて、猫はあくびを噛み殺し、ぶるぶると頭を振った。

その横に、ぽすん、とイチゴが座る。

「お前はもう知り合いだったんだな。僕の憧れのひとと」

「知り合いじゃない。昨日会ったばかりだ。この怪我の治療も、あのアンプルも、あいつがくれたものだ」

「あー…どうりでなんか、あのアンプルの形に見覚えがあると思ったよ。だが成分は…」

うーん、と唸るイチゴを花売りが呼ぶ。

「頼まれていたお花はこれで全部ですか」

「ん、ああ。助かったぜ」

「他に何か、追加のものはありますか。持ち合わせで良ければ…」

「良いよ…あまり安売りするんじゃねーや」

「そうですよ。お花はお手入れが大変なんですよね。安いものではありません」

二人に窘められ、花売りは恥ずかしがるように、そうね、と俯いた。

「で、今月はいくらだ?」

「えぇと…その前に、いいかしら」


花売りが再び、猫の方を見た。

「猫くん…どうして、ここに居るの?」

若草色の瞳に猫を映す。

昨日と変わらない傷を隠す包帯。

昨日着せられたものと違う衣服。

左手の甲から繋がる点滴。

じっと見つめられ、猫はひくっと呻く。

正直に話すしかない。花売りの言い付けを破ったが故に苦しみ、イチゴたちに助けられた、自業自得の、みっともない事実を。

二度と会わないと言った矢先の現在を、認めなければいけない。

だが、恥ずかしくて声が喉に詰まる。

猫が沈黙していると、イチゴが口を開いた。

「今朝、助けたんだよ。路肩で血まみれ血反吐まみれで、苦しんでたからな。医者として見逃すわけにはいかなかった」

「私も見ました。とてもひどい状態で…イチゴ先生が助けなければ、死んでいたかもしれません」

「死んで……」

花売りは目を見開き、慌てたように鞄を漁り始める…取り出したのは緑色のアンプルだ。

「猫くん、今すぐにこれを…───」

一瞬で青ざめた顔で猫に駆け寄り、口元にアンプルの先端を近づけてから…はた、と花売りはまばたきをする。

見開いた目は猫の左手を見、管を伝い、点滴液を見る。

「…イチゴ先生、まさか、これ」

「点滴か? そりゃ、こいつが持っていたアンプルの中身を真似しただけだ。よくわからなかった成分は作れなかったけど、体の傷と吐血は回復したぜ」

すごいだろ、とイチゴが鼻で笑う。

花売りは点滴とアンプルを交互に見てから、ほっとしたように肩の力を抜いた。


猫の体をよく見れば、まだ薄らと皮膚が裂けた跡が残っている。それから吐血していたと言った…恐らく、猫が助けられたその時は、花の効果が切れ、危篤寸前だったのかもしれない。

それをこうして助けた。模造した薬で。


「ありがとうございます、イチゴ先生…」

「おうよ」

「でも猫くん、これもちゃんと飲んで」

「んぐっ…!」

イチゴの言葉と、花売りの安堵した様子から油断していた猫の口に、結局容赦無くアンプルが突っ込まれた。

昨日の今日では、頼んだ味の改善はされていない…当然だ。二度と会わないと言ったんだ。要求も何も無効だ。

口の中にとても苦い味が広がる。二度と味わいたくなかった…そういう理由で飲みたくなかったわけではないが。しかし飲まないと、あのザマになるのはちゃんとわかった。猫は少しずつ液体を啜り、飲み込む。

「しかし一体何なんだ、その猫は。左耳はないし、その包帯の下は失明もしてた。それから吐血までしやがる。どんな生き方をしてきた」

「身体が勝手に裂けるなんて、聞いたこともありません…魔物特有の持病なんですかね?」

アンプルを差し出す花売りの目が曇る。

猫も知りたかった。何者かに襲われて失った身体の一部の話は昨日聞いたが、この薬がなければ死にかけるなんて、花売りに会う前まではなかったことだ。

まさか、自分の体を治した魔法の花の副作用が死、などと言うのではないか…口の中が一層苦くなり、飲み込んだ薬が逆流しかける。

「猫くんは」

花売りは静かに口を開く。

「昨日、庭に倒れていたんです。その時にはもう、右目と左耳は失っていました」

「貴方は何も覚えていないの?」

睨むような眼差しを向けるアケビに、猫は小さくこくりと頷いた。

「たぶん、何かに襲われたのでしょう…でも、魔物を嫌うひとたちが負わせるような傷ではない気がしました」

「討伐隊じゃねーとすると…同じ魔物か」

猫の頭に浮かび上がる今朝の夢。

真紅の瞳の狼。

いや、あれは夢のはずだ。

「…身体が裂けたり、血を吐いてしまうのは、たぶん」

たぶん。

「魔法の花の効果が、不完全だからだと思います」

「魔法の花を使ったんですか」

「猫くんの身体を治療するために、特殊な花をいくつか使ったの…」

引き裂かれた内臓を縫う花、切り刻まれた皮膚や肉や骨を修復する花、そぎ落とされた部分を埋め合わせる花、血液を補給する花。

猫は毛を逆立たせる。花売りの言葉を聞く度に、今朝の夢がはっきりしていく。狼に内臓を切り裂かれ、全身を切り刻まれ、肩や腿をそぎ落とされ…痛い、痛い、痛い。

「この薬が───」

「ぐ、ゔええっ…」

「バカ、受け皿を使いなさい!」

薬の苦味に耐えられず、激しくえずく猫に、素早くアケビが受け皿を差し出すが、嘔吐まではいかず、猫は項垂れて背中をふるわせた。

痛い。痛い。思い出したくない。死ぬのは怖い。失うのは怖い。あれは夢だ。夢のはずだ。だったら何故、俺はこんな傷だらけなんだ。俺は何をしていたんだ。

…大切なものが抜け落ちている、気がする。

はあ、はあ、と息を乱す猫の背を、花売りがゆっくりとさする。

「…この薬がなければ、花の効果を保つことができないんです。効果が切れてしまうと、猫くんの身体は、元に戻ってしまう」

元に戻る。

青ざめたのは猫だけでない。

アケビとイチゴも、苦しげな顔をした。

元に戻る…猫の本当の姿は死にかけなのだ。

「…なるほどな」

大きな目を伏せたイチゴは、持っていたアンプルを見つめ、ぎゅっと握った。

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