第7話 花売り

その日の朝の庭の手入れは、いつもより少し大変だった。

昨晩芋虫の魔物が現れた場所…そいつが死んだ場所に残された、汚らしい泥溜まりを、少女は念入りに水とブラシで擦り洗う。

散らされた花びらを箒で掻き集め処理する。

…風などのせいならば、散った花びらでも使い道があったが、魔物の唾液に触れたのなら毒になる。とても使えない。

あの芋虫の魔物と、猫の魔物は違う。

芋虫の魔物は死んでいた。

死んでしまえば、内臓が腐り、脳が腐り、血液は泥になる。意識は狂って壊れる。それでも、稀に死に切れなかった体は、残された欲望のままに動き、残る魔力を暴走させ異形へと変貌する…あの芋虫は、新たな魔力を得ようと、少女の花を食らった。

屍体は欲望に忠実になる。物を食い荒らし、怒りを暴走させ、死んでなお生きることに執着する。

…だから、猫とは違った。


庭で猫を見つけた時、彼は真っ赤な血を流していた。生きていた。生きているから、まだ生きようとしていた。

それを少女は助けた。

数分後には、呼吸も脈も止まり、体温すら失った。

死んだ猫を。

助けた。

それは神様に逆らう手助けだった。少女は魔法の花の力で、死んだ者を生き返らせてしまった。

悪い事をしたと少女はわかっている。しかし、どうにか猫を助けたかった…純粋な善意だった。

…なのに、少女は猫を突き放してしまった。

…猫の方も少女を拒絶したが、あの汚れてしまった姿に怯えず、もう一度彼を呼び止めていたのなら、きっと何かが変わっていたはずだ。

少女は猫に恐怖した。

猫は去った。

二度と来ないと言った。

渡した薬を飲むこともないと言った。

猫は何も知らない。

薬を飲まなければ苦しむことも。

その身体がもう生きていないことも。


花壇の手入れをすれば、なおさら猫への申し訳なさを覚える。

この庭には、度々魔物が現れる。芋虫の魔物のように、欲望に忠実になった死んだ魔物も、意思のある生きている魔物も。

濃い魔力が込められた花たちは、魔物にとってご馳走だ。気付いた時にはひどく食い荒らされ、少女はとても困っていた。

しかし、昨日は猫が魔物を素早く退治したお陰か、いつもに比べて花の被害が少なかった…あの大きさの魔物なら、放置していれば、花壇の一角は全て喰らい尽くされていただろう。

それに、下手をしたら少女も食われていた。

猫は、少女の花も、少女も守ってくれた。

守られた。

「……」

今更お礼なんて言えない。

彼は野良の猫だ。居場所の特定なんてできないし、二度とここには来ないとも言った。

もう死に返っているかもしれない。

或いは芋虫の魔物のように、理性なくさまよう魔物に成り果てているかもしれない。

手遅れだ。

自分のせいで。

…少女は花壇へ、魔物避けの薬を混ぜた水を撒く。その薬も、魔法の花で作った自家製だ。思うように効果はなく、弱い魔物しか追い払えない。だが、気休めでも、何もしないよりはマシだった。

念入りに薬水を撒く。

少し家を空けないといけない。

庭を守る者も居ない。

自分のものは自分で守るしかない。


少女は花売り。

鞄に、魔法の花を詰めた箱を入れる。

上着を羽織り、帽子を被る。


今日は、花を売りに行く日だ。

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