第1話 ─5─

 時間にすると、ほんの数秒だろうか。

 ほこりっぽい、少しかび臭い匂いに、清太郎は恐る恐る目を開けた。


 すでに光は消えていた。というか、薄暗い程だ。


(……え?)


 床も、壁も、石造り。

 今まであった蛍光灯の光はなく、壁にかけられたローソク?のようなものの明かりだけが、頼りなく周囲を照らしている。


「ようこそ、わたしの世界へ」


 すぐそばから聞こえる声に、清太郎は驚いて振り向いた。──手を握ったままのマイアが、不思議そうな顔で立っている。


「ここがわたしの神殿だ。おまえからすれば『異世界』ということになる」

「……は?」


 混乱するまま、周囲をみまわす。

 ──広さはだいたい、学校の体育館くらいだろうか。ちょうどステージのように床が一段高くなっているエリアがあり、清太郎とマイアはそこに立っている。

 床と壁は石のブロックを積み上げたような造り。

 壁や天井には燭台のような金属が取り付けられていて、蛍光灯とは違う、淡い光を放っている。天井はかなり高く、幾何学的な装飾が施されているのが見える。

 ──どう見ても、さっきまでいた会社のミーティングルームではない。


(いや……落ち着け……)


 いったん目を閉じ、深呼吸する。

 いやいや待て待て。異世界って冗談かなにかだろ?女神を自称するちょっと頭のおかしい女、じゃなかったのか?どうせ本当は食いつめた動画配信者かなにかで、これもなにかのトリックとかじゃないのか?


 恐る恐る、もう一度目を開ける。

 ……どう見ても現代日本じゃない雰囲気の場所。


「マジか……」

「驚くのも無理はない……世界の創造主たる女神の力を目の当たりにしたんだからな」


 どこか得意げな顔で、クスッと笑うマイア。

 そのマイアと手をつなぎっぱなしだったことに気づいて、清太郎は慌てて手を離した。


(落ち着け……まず状況の整理を……)


 軽く頭をふってから、清太郎はもう一度周囲をゆっくりと見回した。


 まず……ここが自分の会社の中ではないことは、確かだ。

 当然だがあのビジネルビルの中にこんな部屋は存在しないし、サイズ的にもあり得ない。

 じゃあどこなのか。どうやって移動したのか。

 覚えているのは、光に包まれて目を閉じたところまで。目を開けた時にはここにいた。


(その間……意識を失っていた、とか?)


 意識を失った成人男性を、誰にも見つからないように会社のビルから運び出し、運んだあとわざわざ意識のないまま立たせる──まだ瞬間移動と考えたほうがマシなくらい、非現実的だ。

 しかも、ただの一会社員をそこまで手間暇かけて。


(俺をだます理由も動機も見当たらない。一瞬で『異世界』に連れてこられた、と考えるのが一番合理的だ)


 非常にバカバカしい結論だな、と自嘲気味に清太郎は笑った。

 そして改めて、周囲を見回す。


 柱や天井の装飾はかなり細かく丁寧で、手がかかっている。まさに「神殿」と呼ぶのにふさわしい荘厳さを持っている。

 長方形の広間には、両開きの大扉。

 ステージ状の後ろの壁には、後光を背負った女神が描かれている。


(女神──)


 ふと横を見ると、マイアがニコニコしながらこっちを見ている。

 女神マイア。描かれている姿とそっくりだ。


(マジで……女神なのか……)


 その結論が一番つじつまが合う。

 というか、そう考えたところで自分には不都合はない。マイアが女神だろうがここが異世界だろうが、自分のやることは決まってるじゃないか。


「ひとつ、確認したいのですが」


 わざとらしく咳払いをしてから、清太郎はマイアのほうへ振り向いた。


「いつでも元の世界へ帰れる……というのは、本当なんですね?」

「ああ、もちろんだ!この神殿からおまえの世界へ、女神の力をつかえば一瞬だ」


 胸を張り、自信たっぷりに言うマイア。

 原理はよくわからないが……これが女神の力というやつなのだろうか。ともかく、いつでも帰れるというのは信用してもよさそうだ。


(なら……俺にとってリスクは、ほとんどない)


 世界を創造した女神というのが、この世界でどの程度の権力と財力をもっているのかわからない。ランキング最下位というくらいだし、ほかの女神に比べれば小さいのかもしれない。


(それでも……これだけの規模の神殿がある、ということは……)


 ざっと見回しただけでも、100人以上は余裕で入れる広さ。装飾、作りから見てもかなり手が込んだ作り。資産価値として見ても相当高いはずだ。

 おまけに、女神。

 会社じゃないのだ。倒産などの危険はないと思っていいだろう。


(これは……思ったよりも楽な仕事になるかもしれないぞ)


 女神を助けて、異世界で経営再建。

 どんなコンサルティング案件だよ、と自分でツッコみながらも、清太郎はドキドキしていた。

 こんな仕事、自分の世界あっちでは絶対に見つからない。


(まずは情報収集からだ──)


 この女神の経営状態の確認。手持ちの資産。キャッシュフローが確認できればなおいい。

 それから、今までの活動実績。顧客情報なんかもあればいい。そして、競合相手となる他の女神たちの情報。


(いーじゃんいーじゃん、面白くなってきたじゃないか)


 自由に、思うままに。

 自分の能力を最大限に発揮して、この女神の願いを叶えてやる。俺の能力を証明して見せる。

 知恵と才覚だけを頼りに、時には冷静に冷酷に。そして徹底的に合理的で効率的に。


(こういう仕事がやりたかったんだ、俺は──!)


 そのとき、清太郎は後ろから近づいてくる足音に気づいた。


「マイアさま?帰ってらっしゃるんですか?」



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