III. WAND


『ねえピーター、もうお店閉めていいかな?』

『まあ、今日はもう誰も来ないんじゃね』


 というわけで、しばらくお昼休みにするわ。午後は、そうね、気が向いたらってとこ。

 魔女は気まぐれなものよ。


 ちなみに残業はしない主義だから、私。


『買い物行くのか、ミカゲ? 美味い土産よろしくな』

『切手を買うだけよ。そろそろピーターに葉書出さなきゃ』


 ああ、ウサギのことじゃないわよ。人間。今はロンドンに住んでいる。


 この家は元々、彼のお祖母様ばあさまのものだった。私はまあ、管理人ね。だから彼に絵葉書で定例報告を行っているの。古風でしょ?

 

 そうそう、彼がウサギのピーターの名前の由来。

 あら、「ウサギだからピーター」なんて、安直な命名してないわよ。失敬ね。


 


 今日は日除けのフードが必須ね。


 黒いフードを被っていると、さらに魔女っぽいってみんなに喜ばれるの。魔女もたまにはサービスするわ。


 日本のような蒸し暑さはないけれど、そのぶん、降り注ぐ日光は肌を突き刺す。だから私は年中長袖。ここの人たちは紫外線の怖さをわかってないのよ。


 黒ばかりな理由? それは、コーディネートを考えるのが面倒だから。

 ミニマリストって言ってちょうだい。


 え、ちょっと待って!


 パブの前にいるのは、二人組の女性。黒髪と茶髪の後姿。距離があるから、話している内容までは聞き取れない。

 でも、笑い声でだいたいわかる。


 どうして? なんで日本人が、こんなところに。


 この村は『ロンドン発!憧れのコッツウォルズ4つの村1日観光ツアー♪』みたいなバスツアーには含まれていないはず。

 観光客、それも日本人がホイホイ来るような場所じゃないのよ。


 足が震える。家に帰らなきゃ。


 今日は臨時休業にしよう。まあ、もともと不定休だし。




『ピーター、おいで!』


 ケージを開けて召喚する。食いしん坊の灰色ウサギは、餌でおびき寄せれば何の疑念も抱かず私の膝によじ登る。


 温かい。命の温もり。そして生命の重み。


 ……でも、やっぱりちょっと重い。


『あんた、またちょっとチャビったんじゃない?』


 Chubbyチャビーはぽっちゃりのこと。日本語と違ってネガティブなイメージはほぼないから、私はこの単語を使うの。

 ウサギに人間の言葉がわからないからって、何言っても許されるわけじゃないもんね。


 ピーターはそんなことお構いなしに、私の膝の上でロメインレタスをもしゃもしゃとやっている。いいわよね、ウサギは。


『あ、ここじゃない?』


 えっ、日本語!? さっきの二人? どうしてここまで?


『本当にあったね! あれ、でも閉まってない?』

『えー、せっかくここまで来たのに。でも、さっき「おいで」みたいな声聞こえなかった?』

『私たち、魔女に呼ばれてる?』


 違う、アンタ達なんて呼んでいない!


『案外、開いてたりして』

『私たちのために貸し切りとか?』


 あれ? さっき、鍵閉めたっけ?


『どうしよう、開けてみる?』


 来ないで。

 来ないで。

 来ないで……!


「ちょっとアンタ達、何してんのよ! 『CLOSED』って書いてあるでしょ。読めないの?」


 この声は、マギー?


『何? あのオバサン、何て言ったの?』

『わかんない。でもなんか、怒ってるっぽくない?』

『えー、感じ悪。私たち何かした?』

『もう行こう!』






 目を覚ましたとたん、酷い頭痛が襲ってきた。覚醒するほどに痛みを増すそれは、脳神経を滅茶苦茶に攻撃しているかのようだ。海馬かいばからの記憶の遡行そこうを防ぐために。


 起きなきゃ。仕事行かなきゃ。頭が痛い。

 重い。重い。闇に飲まれる。

 黒に染まっていく。

 

 ガラガラガラ。チェスの盤面がバランスを失う。転がり落ちる、白と黒。


 

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