I. THE MAGICIAN


 皆様ごきげんよう。魔女の館へようこそ。

 ……なんちゃって。


 別に怪しい者じゃないわよ。しがない雑貨屋&カフェを営む、ただの日本人ですから。一人と一匹、つつましく暮らしております。


 そうだ、紹介するわ。私の相棒ピーターよ。


『おはよう、ピーター。今日もぶちゃいくね』


 ケージを開けるより前に、おひげをヒクヒクさせながらすり寄ってくるのは灰色ウサギ。


 黒猫じゃないのかって? お生憎あいにくさま


『やあミカゲ。余計なこと言ってないで、さっさと朝メシよこせよ。今日はニンジンな気分だぜ』


 まったく、猫の気高さを少しは見習いなさいよ。


『食い意地の張ったウサギねえ』

『腹が減っては戦もできないからな!』

『戦って、砂かけ戦争でもするつもり?』


 ちなみにピーターの返事は、私の脳内補完よ。本気でウサギと会話できるようなヤバい人じゃないから、私。そこんとこよろしく。


 心配しないで。ピーターと話す時は日本語だから、みんなには何を言っているのかサッパリなの。呪文でも唱えていると思っているみたいよ。


 そうそう、さっきピーターが言ってたけど、私の名前は深影みかげ

 意味を聞かれて「dark shadow」って教えてあげると、みんな妙にハイテンションになるわ。


 さらに漢字で書いてみせた日には、狂喜乱舞ね。26文字のアルファベットで暮らしている人たちからすれば、漢字なんて魔法陣みたいなものでしょ。


 漢字選びからこだわって、書き方練習した甲斐があったってもんよ。


 え、だってコレ、本名じゃないもの。


 別に悪いことじゃないでしょ? こっちの人だって、ミドルネームがあったり、短縮形で通したりしているんだから。


 ちなみに本名は理紗。

 ね? 「Lisa」なんて、ありふれているでしょ。MIKAGEミカゲみたいな、いかにも外国っぽい響きのほうがここの人たちは喜ぶのよ。

 たまにMIKADOポッキーと間違われるけどね。


 苗字なんて、ここに住んでいたらほぼ使わないから割愛かつあいするわ。


 あら、誰か来たみたいだから、ごめんあそばせ。




「やあミカゲ。まだ早かったかな」


 朝一番にやって来たのは常連さんのトニー。


 もっとも、ウチのお客様は昨日みたいなバカップル……もとい観光客がまれに来る以外は、ほぼ地元民だからみんな常連みたいなものね。


「今、開けようとしていたところですわ。どうぞお入りになって」

「天の川が枯渇しそうなんだよ、また一本もらえるかな」


 彼が言っているのは、日本が誇る三大発酵食品の一つ、カルピスのことよ。

 あとの二つ? それは自分で考えて。


 英語だとカルピスは「caw piss(牛のおしっこ)」に聞こえるから、飲み物の名前としてはブラックジョークでしかない。だから私は「天河あまのがわの雫」と呼んでいるの。オシャレでしょ?


「あら、ちょうど良かったですわ。新味をご用意しておりますの。試飲なさいません?」


 町を歩けばティッシュが配られる、デパ地下や土産店に行けば山ほど試食が置いてある――そんな神文化は、ここにはない。だから試食や試飲は有難がられる。

 新商品を入荷したら、必ず一つは試食・試飲用にとっておくの。


「お、そうかい。いつもすまんね」

「何を仰いますやら。ご贔屓ひいきにしていただいておりますもの」


 自分が試してみたいだけっていうのはナイショ。


 一応お伝えしておくと、この優雅な口調は『※イメージです』ってやつよ。実際の会話は英語だし。丁寧な言い回しはあるけど、知っての通り日本語のような敬語はないからね。




 さて、トニーもご満悦で帰ったことだし、気温が上がる前に水やりをしなくちゃ。こう見えてけっこう忙しいのよ。


 ちょうどソフィおばあちゃんも、庭に出てきているようね。


「あら、お隣の奥さん。ごきげんよう」


 ちなみにこれも英語に戻せば「ハイ、ソフィ! ハワユ―?」よ。「まいど姉さん、もうかりまっか」と訳したって差支えないわ。


 ついでのちなみにだけど「How are you?」っていうのは軽い挨拶だから、間違っても「アイムファインセンキュー」なんて返さないでね。


「おはよう、ミカゲ。今日はお店開けるの? 暑くなりそうね。でも日本はもっと暑いんでしょう? 想像できないわ」


「ええ。ラベンダーこの子たちも暑さでくたびれてしまったのかしら。元気なくなってきたみたい」


 開ききったラベンダーの花を縫って、蜂たちが忙しなく飛び回っている。


 コッツウォルズ、というより英国がこんなに暑い夏を経験するようになったのは割と最近のことだとみんな言う。日本のような酷暑には耐性がないのよ。


 そうそう、だからロンドンのホテルでも、冷房設備がないことが多いから気を付けて。


「あら、あの儀式やるのね!? なんだか本当に、あなたのところだけ涼しい気がするのよねえ。不思議だわ」


 ソフィは私が手にした柄杓ひしゃくに目を輝かせた。日本の伝統芸、打ち水ね。これで地面に珍妙な模様を描くのが、たまらないらしいわ。


 あなたが庭木に水やりするついでに、ホースで家の周りまで散水していると同じことなんだけどね。


「そうだ、聞いてよミカゲ! 昨日、私たち教会に行ってね……ミカゲはもう会った? あの新しい神父さん」


 村唯一の教会を長年任されてきた神父さんが、突然辞めることになったのは先月のこと。代わりにここよりずっと北のナントカって所から、若い神父さんが赴任してきたの。

 小さな村じゃ、そりゃ大ニュースよ。


 でもそのナントカは――名前は、三回くらい聞いたけど忘れたわ。似たような地名はそこら中にあるし――とにかくそこは、えらい田舎なんだって。

 ここより田舎って、私にはちょっと想像つかないけどね。


「もぉあの人、なまりヒドイでしょ? サブタイトルつけてほしいわ!」


 ド田舎聖人 ~その男は強烈アクセントで無双する~


 英語でサブタイトルは「字幕」の意味なのよね。


 若い人が来るっていうので、お様たちウキウキしていたんだけど、これなら前のおじいちゃん神父さんのほうが良かったとか、そりゃ酷い言われ様よ。

 なんで辞めちゃったのなんて、今さら騒いでもね。


 詳しい事情は知らないわ。魔女は教会に行かないもの。


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