コッツウォルズの魔女

上田 直巳

0. THE FOOL


 英国、コッツウォルズ。蜂蜜色の家々が立ち並ぶ長閑な村々。


 詩人ウィリアム・モリスが「イングランドで一番美しい」とたたえたバイブリーから、さらに小道を辿たどった先、物言わぬ木々に囲まれて、小ぢんまりとした村がひそんでいた。

 ガイドブックにも載らないこの寒村の隅に、いつからか魔女が住むといううわさがある。


「本当にこっちで合ってるの、パティ? 周り何もないんだけど」

「そのはずよ。メインストリートを西に……西ってこっちでしょ? それから、パブの一つ先を左に曲がって……」


 迷い込んできたのは若いカップル、パトリシアとマーク。

 好奇心旺盛な彼らは、噂を聞きつけて真相を確かめようとやって来た。


 実際には、ジェシカがSNSに載せていたのをエマが拡散し、それを見つけたパトリシアがボーイフレンドをそそのかした。要するにSNS上の又聞きである。


「メインストリート、ねえ……。それにしても、よくこんな不便な所に住むやつがいるよ。ロンドンから三時間だぜ?」

「あれ? なんか違う。やっぱり、さっきの小道だったかも」

「おおい、カンベンしてくれよ」


 ホットパンツのお尻がくるりと反転して、元来た道を戻るのを、マークは仕方なく追いかける。

 少し進んでまたくるり。何度か繰り返し、今度はピョンピョン跳ねだした。


「あ、ほら、やっぱりアレよ! 見て!」


 パトリシアがスマホを天高く掲げてみせる。

 画面いっぱいに表示された写真は、取り囲む花々こそ違えども、目の前と同じ建物、同じ場所だ。

 正面を飾っていたコニファーの鉢は、いまやラベンダーに取って代わられている。


 魔女の大釜を思わせる真鍮しんちゅうのプレートに『MIKAGE’s POT』と彫られているのを確認して、二人は扉を開けた。




 出迎えたのは、黒ずくめの女だ。


 時季に似合わぬ長袖をまとい、ロングスカートのすそは足首まで覆い隠している。三角帽子こそ被っていないが、どこからどう見ても魔女っぽい。髪まで漆黒で、肌の白さを引き立てる。意外に若そうだ。


 東洋人の顔立ちだから、年齢を推測するのは難しい。そんなところも彼女を魔女たらしめる要因だろうか。


「ようこそいらっしゃいませ」


 妖艶に腰を折る様は、神秘的でどこか儀式めいて見える。


 薄暗い地下室にでも通されるのかと思いきや、明るい店内にはファンシーなお菓子や文具が整然と並んでいた。

 雑貨屋と聞いていたが、トカゲの尻尾や賢者の石を売っているわけではなさそうだ。


「わあ。何これ、カワイイ!」


 見たこともない品々に心躍らせるパトリシア。一方マークはそのテンションについていけない。


「パトリシア、疲れたろう? 僕も疲れたんだ。なんだか、とても腹が減って……」


「はい、カフェのご利用ですね。こちらへどうぞ」


 魔女は白い手をひるがえし、併設されたカフェスペースへと二人を導いた。




「それでは、ごゆっくり」


 注文のケーキと飲み物を並べ終えると、魔女は優雅にお辞儀をして奥へ消えた。


「わあ、美味しそう!」


 パトリシアは感嘆の声を上げながら、フォークより先にスマホに手を伸ばす。

 テーブルの上を並べ替え、五枚ほど写真を撮ると、角度を変えてもう二枚。それらを何度も見比べたあと、結局最初の一枚をSNSにアップした。


 これで目的はほぼ達成したと言って良い。


「アメージング! なんてフワッフワのケーキなんだ!」

「このブラックティーも、飲んだことない不思議な味よ!」


 肩の荷が下りて、二人は美味しいお菓子とお茶に年相応にはしゃぐ。


 ここが魔女の館であることも忘れて。


「ねえ見て、呪文を唱えていない?」


 奥を向くかたちで座っていたパトリシアが、何かを見つけた。

 マークが振り向くと、魔女は小さなおりの前にしゃがみ込んで、耳慣れない言葉で何やらささやいている。


「本当だ。あれは……ウサギ? ウサギに呪文をかけているのか」

「わかったわ! 呪いでウサギに姿を変えられたのよ」

「元は人間ってこと?」

「そう、きっと彼女の旦那さん。それで元に戻してあげようと、毎日ああして呪文を唱えているのよ。なんて健気けなげなの!」

「いや、違う。悪魔を召喚しているんだよ。ウサギはそのための生贄いけにえだ!」


 こうしてまた、魔女の噂に壮大な尾鰭おひれが付け加えられてゆくのであった。


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