幼馴染の想い出を持って

月之影心

幼馴染の想い出を持って

がくちゃん?」


 公園でハンバーガーにかぶり付いていると、横から透き通るような声の女性が俺の下の名前で呼び掛けてきた。


恵茉えま?」


 俺が『恵茉』と呼んだ女性はぱぁっと笑顔になって俺のすぐ隣に飛んで来た。


「やっぱり岳ちゃんだ!久し振りぃ!」

「お、おぉ、久し振りだな。元気だったか?」

「この通りよっ!岳ちゃんも元気だった?」

「まぁぼちぼちだな。」


 恵茉は口に手を当ててくすくすと笑った。


 望月もちづき恵茉。

 実家の隣に住んでいた俺の幼馴染で、高校までずっと一緒に過ごして来た絶世の美女だ。

 大学はそれぞれ別の学校へ行ったのだが、一人暮らしをしていた場所が近いのもあって、結構頻繁に会っていた。

 しかし、お互い就職してからはあまり時間が合わず、極たまにメールや電話をする程度で、それも次第に無くなってしまい、俺は完全に恵茉との繋がりは途切れてしまったと思っていた。


「ランチタイム?」

「ん?あ、あぁ、こ、この近くで仕事あるんで、その前に腹ごしらえと思って……な。」

「そっかぁ。一足遅かったなぁ。」

「これから昼飯か?」

「何にしようか考えてたら岳ちゃんに似てる人見掛けてね。」

「じゃあ俺も昼飯にしようかな。」

「え?今食べてたのに?」

「これはちょっと遅い10時のおやつ。昼飯は俺もまだだ。」

「10時のおやつっ!」


 恵茉は『懐かしい!』と言いながらきゃっきゃと笑っていた。

 幼い頃、お互いの家を行き来していた時は、午前中なら『10時のおやつタイム』があり、午後なら『3時のおやつタイム』があって、それぞれの親が何かしらのおやつを出してくれていた。

 その名残か、今でも俺は午前10時頃と午後3時頃に決まって腹の虫が鳴く。


「久し振りに会えたんだから一緒に食べよ?」

「勿論だ。そこの定食屋美味いぞ。」

「知ってるぅ~。」

「よっしゃ行こうぜ。」


 俺は恵茉と一緒に美味いと評判の定食屋で昼食を摂ることにした。

 暫く会っていなかった間の事や、最近の状況をお互い伝えあい、少々騒がしい店ではあったが楽しく過ごすことが出来た。


 恵茉は大学を卒業後、住宅関係の下請けのような企業に事務職として就職していたが、営業の仕事も面白そうだと思い、今は同じ住宅関係の会社で営業をしていると聞かされた。

 幼い頃から面白いと感じたら全力で取り組んで来た恵茉は、今の仕事が楽しくて仕方ないと言わんばかりに身振り手振りを添えて語ってくれた。


「岳ちゃんは今も大学出てすぐ入った会社?」

「あ、あぁ……相変わらず……だよ。」




 俺は顔をキラキラさせながら訊いてきた恵茉に、つい嘘を吐いてしまった。


 俺が大学卒業後に就職したのはそれ程大きくはない事務機器メーカーだったが、入社して間もなく、その会社は倒産した。

 再就職先の斡旋もあったが、元の企業で俺の世話をしてくれた先輩が『兄のやっている仕事を手伝うつもりだが一緒にやらないか?』と声を掛けてくれて二つ返事で受けた。

 しかし、その会社も同業の大手には太刀打ち出来ず、数年後にあっさり廃業してしまい、今は仕事を探しながらアルバイトをして食い繋いでいた。


 俺は、人生を謳歌しているような恵茉の笑顔を見て、暗い話はしない方がいいだろうと思ったのと、恵茉に情けない姿は見せたくないとの思いで、つい『大きなプロジェクトを任せられる期待の若手』という虚像を作ってしまった。




「あ、ヤバい……もうこんな時間だ。私行かなくちゃ。」

「あ、あぁ、俺もそろそろ客ンとこ行こうかな。」

「岳ちゃん、携帯の番号変わってない?」

「そのままだよ。」

「今度休みが合う時にまた前みたいに遊ぼうよ。」

「お、おぉ、勿論構わないぞ。恵茉の誘いならいつだってスケジュールは空けるさ。」

「あらま嬉しい事言ってくれるわね。じゃあまた連絡するね。」

「おう。頑張ってな。」


 恵茉はそう言ってテーブルの上に千円札を1枚置いて店を出て行った。

 俺は支払いを済ませると店を出て、さっき恵茉に会った公園に戻って喫煙所で煙草を吸った。


(恵茉に会えたのは嬉しいが……あの顔見たら俺の現状は話せんなぁ……)


 嬉しさも勿論あるが、それ以上に自分の現状を惨めに思い、気が重くなった。

 俺は煙草を灰皿に押し付けて消すと、そのままトボトボと公園を後にして家へと向かった。




 翌日目を覚ますと、スマホがメールの着信を教えるランプを点滅させていた。

 スマホを見るとそれは恵茉からのメールだった。


 差出人:恵茉

 本文:今日はありがとう!久し振りに岳ちゃんに会えて嬉しかったよ!早速だけど明日どこか空いてる時間に会えないかな?急遽休みになっちゃって暇なんだぁ(にっこり絵文字)


 着信は昨日の夜11時頃だった。

 昨日は恵茉に本当の事を言わなかった自分が情けなく思えて早々に布団に潜り込んで寝てしまっていた。


(昨日のメールで明日って事は今日だよな?)


 なんて簡単な事を一生懸命考えながら返信文を考えた。


 宛先:恵茉

 本文:おはよう。昨日は返事出来なくてごめん。仕事が忙しくなっちゃって気付けなかった。今日なら俺も休みだからいつでも空いてるぞ。恵茉の都合に合わせるから時間と場所ぷりーず(笑い絵文字)


 また嘘を吐いてしまった。

 この虚言癖を何とかしないといけないなとは思っているのだが。

 と、すぐに恵茉から返信が届く。


 差出人:恵茉

 本文:おはよう!お疲れさまだね!疲れてるならまた日を改めるよ?


 いやいや、ずっとグダグダして寝ただけなんだから疲れてるわけない。

 俺は即座に返信する。


 宛先:恵茉

 本文:大丈夫だよ。恵茉の誘いが最優先!


 するとまたすぐに着信。


 差出人:恵茉

 本文:やった!けど無理しないでね。またお昼ご飯食べて散歩するくらいを希望します(笑い絵文字)


 俺は今の季節なら海岸沿いの公園が散歩にはちょうどいいと思い、その最寄り駅と少し余裕を見た時間を返信してスマホを置いた。


 普段はそのままぼんやりしてアルバイトの時間が来たらのんびり出掛けるのだが、恵茉に会うのにそれは無いだろうとシャワーを浴びて出掛ける準備を整えた。




 約束の時間の10分ほど前に駅に着いた俺は、駅舎の外に出て辺りを見渡し、まだ恵茉が来ていないのを確認して、駅のホームが見える喫煙所へと向かった。

 煙草を吸い終えると同時に次の電車が駅に到着し、数名の乗客が降りて来る。

 恵茉はすぐに分かった。

 緑色のサマーニットにデニムパンツというラフな格好で、改札の手前できょろきょろしていた。

 俺は喫煙所を出て着ていたジャケットをパタパタと叩いてから駅の入り口へと向かった。

 恵茉は俺の姿をすぐに見付け、ぱっと笑顔になって手を振りながら近付いてきた。


「お待たせ!」

「いや、俺も1本前の電車で着いて煙草1本吸う時間あったからちょうど良かった。」


 恵茉はニコニコしながら鼻をスンスンさせた。


「ホントだ。岳ちゃんの匂いがする。」

「え?何?俺ってそんな独特な匂いしてんの?」

「ううん。岳ちゃん、大学の時から煙草変えてないんでしょ?何て言うんだろ……私には落ち着く匂いだね。」

「何だそれ。」


 くだらない話をしながら海沿いの公園に向かって歩き出した。

 海からの風が恵茉の髪を揺らしていた。

 太陽の光を煌めかせる海面を眺めつつ、横目で恵茉の様子を伺っていたが、相変わらず恵茉は綺麗だった。

 『様になる』と言うのだろうか。

 昨日のスーツ姿も大人の色気満載で、思わずフラフラと着いて行きそうになったが、今日の私服は濃い色調のウェアに白い肌のコントラストが妙に眩しく、『活発だけど清楚なお姉さん』という感じが何とも言えない魅力を醸し出していた。


「来てはみたものの、この辺ってあんまり店無いんだよな。」


 そう言った俺に、恵茉は鞄をちょいっと持ち上げて俺に笑顔を見せた。


「そんな事もあろうかと、お弁当なんか作ってきちゃったりして。」

「え?マジで?」

「うん。公園と言えば……」

「「レッツ!ピクニック!」」


 俺と恵茉は声を上げて笑った。

 高校生の頃だったか、月に1回くらいのペースで近所の公園や少し離れた山までピクニックに行っていた。

 懐かしさを感じ、懐かしい話に花を咲かせながら、相変わらず美味い恵茉の料理に舌鼓を打ち、のんびりとした時間を過ごした。

 恵茉は昨日と違ってプライベートの話をしていた。

 趣味と実益を兼ねて料理教室に通い始めたこと、実家が猫を飼い始めたけどなかなか慣れてくれないこと、高校の誰それが結婚したこと……どれも楽しそうに語ってくれた。


 だがふと俺は、恵茉の口から色恋の話が一切出ていない事に気付いた。

 恵茉ほどの美人なら彼氏が居ても全然おかしくないし、寧ろ、いくら幼馴染だと言っても俺みたいな冴えない男とこうしてデートとも呼べるような事をしている方がおかしいと思えた。

 気になった俺が『彼氏とか居ないのか?』と訊いてはみたが、恵茉は『まぁまぁそれは置いておこう』とおチャラけて言っていたので、『今はフリーなんだろうな』くらいに思っていた。


 楽しい時間はあっという間に過ぎ、気が付けば海と反対側の山の上に太陽が掛かりそうな時間になっていた。

 俺と恵茉は同じ電車に乗り、俺の降りる駅の1つ手前で恵茉が降りてその日は解散となった。




 その後も恵茉が休みの日に何度か2人で色んな所へ遊びに行き、俺は少しずつ、昔恵茉に抱いていた想いが膨らんできているのを感じていた。


「恵茉が嫁さんだったら楽しい家庭になるかもな。」


 出来るだけ軽口っぽく言った時、恵茉は『ふふふっ、そうね。』と満更でもない顔で言っていたので、『これはイケる!』と思った。


「俺、前から恵茉のことが好きだ。恵茉と付き合いたい。」


 想いが抑え切れなくなった時、俺は恵茉の肩を抱いて口走ってしまっていた。

 恵茉がそれをどう捉えたのかは分からなかったが、


「私も岳ちゃんのこと好きだよ。」


 と少し笑いながら言っていて、俺の頭の中は一面花畑になった。

 だが恵茉は直後に俺に少し困ったような顔を向け、


「でも……お付き合いの返事はもう少しだけ待って欲しいな……」


 と言ってきて、俺は少しだけ頭が冷めた気がした。


「何かあるの?」

「うん……」

「聞いてもいい話なら聞かせて欲しいな。」


 暫く黙り込んだ後、恵茉は顔を上げて話し始めた。


「あのね……岳ちゃんがちゃんと気持ちを伝えてきたのに待って欲しいなんて『卑怯な女』って思われても仕方ないんだけど……」

「うん。」




「実はね……私……まだ付き合ってるのか別れてるのかハッキリしない人が居るんだ……」




 俺は鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けて言葉を失った。


「ハッキリ……しない……って?」

「ごめんね……私にもこれからどうなるのか分からないんだ……ちょっと今揉めちゃっててさ……」


 恵茉の口調から単純な喧嘩というのでは無いであろうことは察せた。


「もう何ヶ月も……顔合わせてもその話になったら平行線でね……そろそろハッキリさせなきゃいけないのは分かってるんだけど……」

「うん……」

「だから……今の彼氏との関係次第で岳ちゃんに返事するとか……ズルい奴って思われても仕方ないし……」


 暫く俺は恵茉の話を聞きつつも呆然としていた。

 だが頭の中で恵茉の現状と自分の想いを天秤に掛けた時、確証は無いけれど『俺の想いはその程度では変わらない』と思えていた。


「ズルいなんて思わないよ。ハッキリするまで、俺、待ってるから。」


 精一杯の笑顔でそう言うと、恵茉は少し安心したような笑顔を返してくれた。


「でも、それまで会わないとか言われたら、俺ウサギになっちまうから『幼馴染以上恋人未満』として今まで通り遊んでくれると嬉しい。」


 恵茉に気を遣わせないよう冗談っぽい口調でそう言うと、恵茉はようやく普段の明るい笑顔を見せてくれた。」


「勿論だけど『幼馴染以上』って何?」

「『友達以上』ってそんなの当たり前だろ?俺と恵茉は『幼馴染』なんだから。」

「うん。」

「で、返事は保留だけど告白したんだから『幼馴染以上』になってるわけだ。」

「何それっ!」


 恵茉はきゃっきゃと楽しそうに笑った。

 暫くは悶々とした日を過ごさないといけないのは分かっていたが、恵茉が笑顔で居てくれる事を優先させたいと思った俺は、『これでいいんだ』と一人納得するようにしていた。


 宣言通り、今まで以上にはならなかったが、今までと変わらず恵茉の時間が空いている時は一緒に食事をしたり散歩したりして楽しく過ごせていた。




 差出人:恵茉

 本文:今から会えるかな?


 そんな短いメールが来たのは、ある土曜の夜だった。

 俺はすぐに『かまわないよ。どこで会う?』と返事をした。

 恵茉は『近くの公園に30分くらいで行くから待ってて。』と、文字だけなのにやけに沈んだ印象のあるメールを返してきた。


(ハッキリさせられたのかな?)


 と俺は自分に都合の良いように軽く思いながら指定の公園へ行き、ベンチに座って恵茉を待った。


 言っていた通り、30分ほどして恵茉がやって来て無言で俺の隣に座った。


「お疲れさん。」


 期待に膨らんだ気持ちを抑え、極力平静を装って声を掛けた。

 恵茉は小さく溜息を吐いてから俯いたまま口を開いた。


「岳ちゃん……」


 少し震えた恵茉の声に、悪い結果だったのかと思うと同時に、それは恵茉が俺の想いを受けてくれる事になるのではと、身勝手に想像していた。

 すると恵茉は俺の左腕に頭を付けてもたれかかってきた。


「……」

「どうした?」

「ごめんね……」


 声だけでなく、左腕から恵茉が震えているのが伝わってくるのを感じた時、結果は俺の望んだのと反対の方向に転がったのだと瞬時に悟った。


「ごめんね……岳ちゃん……ごめん……なさい……」


 『ごめんね』と何度も繰り返す恵茉の声は次第に震えが大きくなり、最後は嗚咽混じりに何を言っているのか聞き取りにくくすらなっていた。

 俺は左腕に恵茉の震えと、そこから恵茉の『本当に卑怯な女になってしまった』という懺悔の念が伝わってきていたたまれない気持ちになり、膝の上に置いた拳をぎゅっと握り締め、目を瞑り、歯を食いしばっていた……。








「おっ……俺さぁっ!」




 突然俺が大きな声を出したので、恵茉は体をびくっとさせ、俺の左腕から頭を離して俺の顔を見上げてきた。


「お、俺……ほらっ!……『でっかいプロジェクト任された期待の若手』って言っただろっ!?き、今日辞令出て……こ、今度っ!ぬっ……ニューヨークに行く事にっ……なっちゃってよ!まっ参っちゃうよな!こ、こんな急に……言われて……よ……」


「え……?」


「だからっ!もっもぅ……恵茉には……会えなくなるっ……と……思う……恵茉にこっ告白して……えっ……恵茉と……つっ……付き合って……恵茉を……ずっと見守ってやりたかったんだけど……悪ぃっ……!お、俺じゃない奴に……任せるしかなさそうだっ!」


「が……岳ちゃん……」


 ちらっと恵茉の顔を見ると、恵茉は目を見開いたまま大粒の涙を頬に流れ落として俺の顔を見ていた。


「長いこと……ありがとうな……恵茉が居てくれて……楽しかった……」


 自分でも相当引き攣った笑顔になっていたとは思う。

 恵茉は顔を涙でぐちゃぐちゃにして再び俺の左腕に抱き付いて泣いていた。


「わ、私こそ……楽しかった……」


「彼氏に言っといてくれ。『恵茉を泣かしたらニューヨークからぶっ飛ばしに来るぞ』ってな!」


「うん……うん……うん……」


 恵茉は俺の左腕にきつく抱き付いたまま何度も何度も頷いた。


 俺は、心の中で号泣した。








 俺は地元を離れ、遠く離れた街に住処を移している。

 日本じゃない……遠く離れた街……。

 窓の外からは人々が行き交う音と車のエンジンの音がいつも聞こえる街。


 実家から届いた荷物の中に一枚の絵葉書を見付けた。


 真っ白なウェディングドレスを着た恵茉と、俺なんかと全く違う爽やかそうなイケメンの新郎が微笑んでいる写真が載せられている絵葉書。


 『岳ちゃんはいつまでも私の大切な幼馴染だよ!』


 青いサインペンで書かれた恵茉の手書きのメッセージ。


 俺は写真の中で微笑む恵茉に笑顔を返し、絵葉書を机の上に置くと、椅子に掛けたジャケットを羽織り、鞄を持ち、真新しい革靴を履いて外へ出た。


 さぁ!新たなる船出だ!


 鞄の中に手を入れて『Joining contract入社契約書』と書かれた封筒を確かめてから、一歩前へと踏み出した。

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