違和感


 話が終わり、ポニテ少女が中央へとライトを戻すと同時に、忘れていた暑さが戻ってくる。

 じとりとした不快な汗が私の額から滑り落ちた。

 教室の窓は閉め切っていて、籠った熱が天井の闇から降りてきている。

 息を吸うのに苦労する。粘性のある濃密な液体を喉に流されているかのようだ。

 そろそろ一度空気を入れ替えた方が、体調的にも気分的にも良いだろう。


「窓、一旦開けてもいいか」


「そだね。すこし開けようか。音、気をつけてね」


 橘の了解を得て立ち上がり、左右両端の窓を開けにいく。

 ロックを外し窓に手をかけ力を加えると、僅かに窓枠に擦れながら窓が開いた。

 遠くからバイクの走る音が聞こえる。

 顔に水気と熱を孕んだ空気が教室へと入り出した。

 まだ暑いが、先程よりかはマシだろう。

 

「そいつ殺したのが女だったから、同じ女が襲われたって感じか。幽霊もその友人も当て逃げされたみたいで後味悪いな」


「そうね。ただ、彼女は自身が出来る範囲で、自分を害した相手を探していただけだとも思うわ。まあ、生者と死者が接触すること自体、良いことではないけれどね」


「そうだね〜。でも、ダメってことはわかるけど、どうダメなのかはぼんやりだよね」


 茶髪の少年とポニテ少女、橘の話し声が後ろから聞こえる。

 たしかに。霊に影響されるという点は共通しているが、その影響され方にいくつか種類がある気がする。

 例えば、憑かれた霊と同じ死に方をするとか。

 霊に憑かれ続けると魂が弱り、肉体も死んでいると誤認し弱っていくとか。

 先程の話のように魅了されてしまうとか。

 霊も十人十色なのかもしれない。


「後日談はあるのか」


「そうね。あるにはあるのだけど……御守りくらいよ?」


 みんなの元へと戻ると、早乙女が質問を投げた。

 御守り。神社や土産屋で買えるあの御守りでいいのだろうか。

 となると予想されるのは、中のお札が割れていた、程度か。


「警察官さんに送られて家に帰り、ご両親に迎えられると、A子さんはすっかり落ち着きを取り戻したんですって。あまりにも現実離れした体験だったからか、本当に身に迫った出来事だと実感出来ず。変な夢をみたくらいに思い始めていた」


 それは仕方がないのかもしれない。

 人は臆病だ。臆病だから頭を使い、過去を顧みて未来を見通す。

 地殻変動や台風などの蓄積されたデータから安全と危険の境を見出す。

 未知に遭遇した際、その力が鈍る場合がある。

 だがそれらは人の強みだ。恐怖に呑まれて動けなくなることを防ぐリミッターだ。

 それがあるから人が生き残って来たと言ってもいいと私は思う。

 私も同じような体験をしたなら、同じ感覚に陥るだろう。

 何もおかしいことはない。


「いつまでも制服のままではシワになってしまうから、着替えるために自室へと向かおうとした時、スカートの右ポケットからジャラリと音がしたそうよ。普段ポケットに物を入れないA子さんは、何が入っているのか気になって、中にある物を取り出してみたの」


「あ、わかった! それが御守りの中身のお札だったってことね!」


「真ん中から縦に割れた将棋の駒くらいの木で作られたお札。それが五個分、全部で十個あったんですって」


「なんか思ってたんと違う」


 急に大量の割れたお札が出てきたA子さんは、さぞかし驚いたことだろう。

 柏木がそのシーンを想像し居心地が悪かったのか、左手で自らの右腕を摩った。

 私も背筋にかなりゾクリときた。とてもおもしろい話だったと言えよう。

 溜め込んでいた息を一気に吐き出す。


「ポケットからお札を見つけて二週間程後。お札をお焚き上げし、何となく机を整理していた時、開封ぜずに放置していた御守りが机から出てきたんですって」


 後日談がまだあったのか。

 正直もう終わりと思い、気を抜いていた。


「その御守りの中身は何も入っていなかったそうよ。不思議なこともあったものね」


 購入以前から入っていないものだったのか、否か。

 ポケットからお札が出た時点で、それを考える必要は無いだろう。

 最初から最後まで不思議な話だった。それにおもしろい。

 私にもあれ程の不思議体験があれば、次は私の番と自信満々にライトへ手を伸ばすのに。

 小さく拍手する音が聞こえ始めるが、少し変な音だ。

 私が入室してからずっと俯いている少女が両手の甲を打ち合わせていた。

 何をやっているんだアレは。

 周囲を見回しても拍手しているだけだからか、注意する者はいない。

 視線を少女へ戻すと、俯いた少女と目が合った気がして、思わず視線を逸らす。

 逸らした先に置いてあるはずのライトが、無かった。


「つ、つぎ、話していいですか」


 橘と早乙女の間に座る少年の手にライトがあった。

 その痩せこけた頬が下から照らされるが、その上は光が届かず。

 闇の中で黒い瞳がギョロギョロと動いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る