怪物の腑へと


 校門に着く頃には日も落ち、門扉も中央に巻きつけられた鎖で固く閉められている。

 だが、幸いこの門扉はそこまで高くない。

 しかも鎖に足を引っかければ、容易く乗り越えることが出来る。

 気を付けるべきは、その際に立つであろう音だ。

 不意に門扉を蹴って音が立つこともないように慎重に乗り越え、顔を上げる。

 うす暗い校庭の先に見える校舎の職員室辺りに明かりがぽつんと見えた。

 おそらく普段使用している下駄箱は開いていない。

 開いているのは向かって左手の職員玄関。

 当然、先生と出くわす可能性があるだろう。

 ここからはより慎重に行かなければ。


「え、誰かと思ったら――じゃん」


 不意に声をかけられ、背筋が粟立つ。

 校庭の闇の中から見知った女の子の顔が見えると、私は息を吐きだした。

 肩にかかる髪を二つ結びにした、この少女が橘。

 その性格を一言で表せば飄々。いつもは窓の外を眺めていたりと静かにしているが、興味があることになると急に積極的になる。

 七月に行われた体育祭では、運動が得意な集団と不得手な集団の橋渡しを見事果たし、その意見を引き出し纏め、実行委員よりもリーダーシップを取っていた。

 生徒会から声がかかっていると聞いていたが、そちらは興味がなかったのか、変わらず図書委員としてその活動に励んでいる。

 そして普段規則を破る素振りすらない彼女だが、こうやって学校に忍び込む程度にはやんちゃらしい。


「飛び入りなんだけど、いいか?」


「あ~ね。話すネタがあるなら大歓迎なんじゃない? でもまさか、――がね~? ふーん」


「どうした?」


「意外だって思っただけ。もっと固いかと思ってた」


「それはお互い様だな」


 小声で軽口を叩きながら橘と共に職員玄関へと向かう。

 校庭を抜けて校舎へと近づくと、目の前の毎日のように通っていた古い木造の建造物が宵闇に浮かぶ名状し難き怪物に見えた。

 先生が点けたのだろうか、職員室と職員玄関だけがこの闇の中で白く明るい。

 だが職員玄関の蛍光灯は切れかかっているようで、明滅を繰り返していた。

 頼りない明かりの中で靴を脱ぎ、橘の指導の下、靴を持って教室へと向かう。

 図工室の横を通り、角を曲がると一年生の教室。

 見つかる可能性があるため明かりは点けられず、月と手の感触、そして記憶を頼りに進んで行く。

 ふいに足下の木張りの床が軋み、跳び上がりそうになる。

 去年は何度も通ったこの廊下も二年生になれば通らなくなり、床の歪みのことなどすっかり忘れてしまっていた。

 咄嗟に振り返った先に見えた橘のしたり顔がなければ、声を上げているところだった。

 大方すでに何人か来ていて、その時も同じようなことがあったのだろう。

 腹立たしい。非常に腹立たしいが、こういうやつだ。

 早くも来たことを後悔していると、二階にある教室へと着いてしまった。

 何食わぬ顔で、橘が教室の扉を開ける。

 鍵がかかっていないことに疑問を持ちつつも教室内へと踏み入ると、すでに来ていた六名の内、俯いた様子の少女一名を除いた全員の男女の視線が私達に集まった。

 床に一つだけ立てられた手持ちライトの光量が抑えられているからはっきりとは見えないが、六人全員が見覚えがないはずだ。

 私と学年が違う生徒だろうか。


「ね、一人、多くないですか?」


 震える女性の声。

 先程から明かりを眼鏡が反射し、白くなっているあの少女の声だろう。


「あ、気付いた?」


「飛び入り参加ですって。どこからか漏れたみたい」


「俺は言ってねえぞ」


「ぼ、僕も言ってない」


「あたしだって……あー、自信ないわね」


「まずいな。帰るか?」


「はいはいはい一旦落ち着いて。バレてたら今頃正座させられてるし、なんならカズ先も去年参加してたから、大丈夫」


「え、ちょっと待って、そうなの?」


 飛び入りで来た私を見て、今度は六人全員が一斉に騒ぎ始めるが、橘がすぐに場を収めた。

 どうやらこの集会は去年も行われていたらしい。

 その去年の参加者にいたカズ先に関しては……私以外も気になっている人もいるようだが、まあこの際いいだろう。


「それより、始めましょ」


 橘に促がされ、手持ちライトを中心とした輪に加わる。

 私の左隣は橘で、右隣は端末を弄っている少年だった。

 端末の画面からの光が、その茶髪を照らしている。


「さ、誰からいく?」


「じゃ、じゃあ」


 先程の眼鏡の少女が手を挙げる。

 橘は他に手を挙げている人がいないかを確認した後、電灯を取るように眼鏡の少女に促がした。

 眼鏡の少女が促がされるままに手持ちライトを手に取り、膝の上にのせる。

 光量を抑えていても真下に置けば流石に明るいようで、すこし眩しそうに強張った彼女の顔がしっかりと見える。

 私の右隣に座る少年が端末をポケットに仕舞うのを見た彼女は、自らを落ち着けるように深く息を吐いた後、ある体験談を話し始めた。

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