134話

 俺が仕事終わりにすぐ帰宅せず一人コーヒーを飲んでいたのは満たされない気持ちを少しでも埋めようと悪足掻きしているだけだったのだ。寄り添う恋人も語り合う友人も時間を注ぐ拘りもなく怠惰に暮らしながら、人生に何かあってほしいとほしいと願っていただけにすぎない。一歩踏み出す勇気がなく、何かを始める気力もなかったから、俺はコーヒーチェーンに居座り、退屈な自分を誤魔化していたのだ。




 一杯のコーヒーで何が変わるのか。

 得られるものはカフェインと無為ばかりではないか。



 以前の俺なら間違いなくそう冷笑していただろう。黙って座っているだけで変化を求めるなど都合がいいにも程があり、甘ったれたエゴイズムを宥める停滞期間に過ぎないだろうと手厳しく非難していたに違いない。


 けれど、そうではなかった。

 俺はこのコーヒーチェーンで、見知らぬ子供と知り合った。



 彼とは一回り歳が離れているため友達とは呼び難いが、俺の人生の中で唯一俺の話ができる人間だった。俺はこれまで、家族にだって俺の本心や思想、経験を告白した事がない。俺はずっと一人で自分の世界にいた。自分の世界から出る事が怖く、また、億劫だった。いつまでも殻にこもって、何事もなく生きていれば苦痛なく生きていける。そんな考えに支配されて、止まった時の中で胡座をかいていたのだ。

 けれど、そこに疑問を抱いたからこ、コーヒーチェーンに足を運ぶようになり、変化を待ち望んだ。

 結果として、俺は変わった。あの子供とはじめて出会ってから、長く話す時間が増えた。自分の考えを、感情を表現する機会が多くなっていった。そこに喜びを感じるようになり、また、変わっていった。



 俺は今、目の前の女と話していて楽しいと感じている。先までごちゃごちゃと考え込んでいたが、それは喜びを自覚できずに戸惑っていただけである。これまで満ち足りていなかった心の中に、ずっしりとした中身がはいって動転してしまっていたのだ。



 理解すると晴れやかとなる。俺は話がしたい。対話をしたい。会話がしたい。それだ、それだけだったのだ。俺は誰かと言葉を交わし、俺という人間を認識してほしかったのだ。そういう意味では目の前にいる彼女と同じだ。誰かに認められたい。低い自意識から生じる高い自己肯定感の欲望を満たしたいと思っているのだ。そしてそれは、先程まさに彼女が評価を下した、彼女が嫌悪している彼女そのものだった。



 そうと分かれば悩む必要はなかった。俺は目を見開き、彼女をしっかりと見据え、口を開く。



「それは、俺も同じなんですよ」






 俺は彼女に、自ら導いた解を説いた。

 空に輝く夕陽が隠れ、コーヒーのように、黒くなるまで。

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