133話

 彼女の心中は如何なるものか。自己評価と他者評価の乖離により自意識に揺らぎが生じたのか、はたまた俺の理解力不足に対して不満を募らせているのか。そもそも、やはり俺の言葉など求めていなかったのか。苺を彷彿とさせる真っ赤な唇に入った線を見るとどうにも弱気となり、思いつきで話すべきではなかったかなと挫けそうになりつつも、彼女の言葉を待ち望み、また一言加えたいと、卓の下で手を揉んだ。焦りのような、衝動のような、好奇心のようなものがそっと胸の中を撫でて、いても立ってもいられなくしている。悩みや苦しみを吐露した彼女に優位性を得た事で高揚してしまったのかと自身を軽蔑するが、それは戒めのようなもので、本当はまったく違うという事を弁えている。


 俺は彼女と話したかった。

 それだけの理由で平常心が崩れていた。



 不思議な感覚だった。

 これが恋愛であったら別格の至福が味わえたかもしれないが、先刻の認識は変わらず、俺にそういった感情はない。彼女に対してあるのは変わらずに友愛的な情であって性的欲望を含む情念は依然湧かずにいる。ではこの動悸を誘発する動きはなんだろう。静かな炎が光輝燦然と揺らめくような、この心の動きは。足りなかったパーツが組み込まれていき、自分自身が形作られていく。俺は彼女との対話で何故だかこれまでになかった自己の完成を感じる事ができているのだ。それはなぜ。どうして。



「でも、それでも、私は人としては低俗な部類に入ると思います。何をやるにしても動機があやふやだったり不純だったりして、そのうえ、全てにおいて打算的で、卑しいんです。よく、ありません」



 彼女は卑屈だった。自己評価が低く、誰かに認められたいという気持ちが人一倍強く、それこそが自身の生きる糧だと思い込んでしまっていた。彼女が話した、誰かを、何かを認識していたい。という願望は、叶わない承認欲求のなれ果てで、極めて不健全なもののように感じた。感じたが、それは俺にだって、いや、誰にだって当てはまる事ではないのか。誰だって誰かを求め、望み、満たされず、代替の行為で慰めているのではないか。

 そうだ。そうなのだ。多くの人は、空っぽなのだ。底が抜けた器を必死に満杯にしようと躍起になって、ずっと、ずっと生きているのだ。



 そうか。分かった。



 俺はようやく出た答えに一人、目を閉じた。

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