130話

 女は「いただきます」とケーキをステンレスのフォークで切って掬い、控えめに口に運んだ。一口空いて、歯や舌が覗く。鏡に映る自分のものと違って、何か高級な果物のように瑞々しく、輝いているように見えた。



「私、親からは期待されていました。気が利くとか物分かりがいいとか、そんな風に褒められて、将来は安心だなんて言われていました」


「確かに、利発な子供だったのかなと失礼ながら想像してしまいます」


「自分で言うのは憚られますけど、実際に利発だったと思います。いえ、利発に見えるよう努めておりました。私は親の期待に応え、褒めていただこうと躍起になっていたんです」


「与えられた役割を全うしようとされていたのでしょうか」


「正しくその通りです。私はずっと、誰かのための私でいようとしていました。そうすれば、きっと私も両親も、それ以外の人達も幸せだろうと……いえ、違いますね。私自身が、私だけが幸せになるため、そういう風に振る舞っていたんです」



 彼女は再びケーキにフォークを入れた。しかし、今度は中々口に運ばない。分断された生クリームが乗ったスポンジを、置き去りにされたトカゲの尻尾に悪戯するみたいに何度も突き刺しては虚に眺めていた。




「それが、できなくなったのでしょうか」


「……弟が生まれ、私に注がれていた期待は義務となり、当たり前となりました。どれだけいい子にしていても、どれだけ勉強を頑張っても、親は以前のように全霊の愛をくれません。それでも頑張ればいつかきっと弟が生まれる前のようになると信じていました。そんな私に言い渡された言葉が、長女として責任を持って頂戴。というものでした。両親は私に、子供でいる事をやめるよう通達したのです」


「それは、いつ頃の事でしょうか」


「私が十二の時分です」


「ははぁ。まだ子供ですね」


「そう。まさにそうなんです。子供に対して、子供をやめろと言ってきたのです。信じられない。どういう事なんでしょう。まったく」



 女は散々に突き刺し無残な形となったケーキをようやく口に含み鼻息を荒くしていた。先と違って、今度は八つ当たりをしているみたいに荒々しく、そして図々しかった。

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