122話

 そして最後の最後。最大の難問として立ちはだかるのが、彼女との異性交際を望むか望まないかという根の本にあるお題である。


 これについてはもう何度も思案してきたものであり、その度に否決の判が捺されてきた。理由としては先の二つが主となってはいるが、それよりもなによりも俺は恋愛というものに馴染みがなく、あれやこれやと考えるうちに面倒になって、すべて拒否してしまうような体質になってしまっているからだ。俺は、人に性的な好意を向ける事に対して大変億劫となってしまっていた。感情の起伏が煩わくなるよう、知らずのうちに言い聞かせていた。


 これはひとえに自己防衛でもある。思想、逡巡の底にある「俺なんか」という一念。どうせ成就しないと諦めながら悶々とし、唸りながら、時にはため息を吐きながら逢瀬を断念する理由をあげつらえる苦行からの逃避であった。(そもそもの話、俺は人を許容できるような器もなく、器用でもない。番になったところで不幸しか生まないのだから最初から考えない方が生産的であると断言するのだが、、これもまた断念する理由である)



 こういう事については吹聴する気もなく俺一人の中で完結する事態なのだが、人が聞けば笑ってしまうほど小さく、また偏屈な信条であるように思う。たかが恋、たかが番、たかが女に対してそう構える事はないぜと、誰でもない何者からの声が聞こえてきそうだ。

 実際俺もそう思う。長い歴史の中で人類が繁栄してきたのは、男女のちょっとした間違いが幾重にも積み重なった結果に過ぎない。軽い気持ちで性交渉に及び、子供ができたという宣告を受け、男が奥歯を噛み締めながら「責任は取る」と後悔のこもった約定を結び、俺達は頼んだわけでもない命を与えられてきたのである。これは多分、人間が穴を掘り石を加工して生活していた頃から変わらない慣わしのように思う。子供というのは、男女の間に生じた過ちの成果物に過ぎない。つまるところ、男女交際そのものが合理性に反する習慣であるのだが、人間とはしばしば非合理に悦を見出し心中するもので、愚かな事に、俺にもそうした酔狂を求めるところが未だにある。面倒だ。諦めようといいながら、女に未練があるのだ。

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