120話

 彼女に対して特異な感情がないにも関わらず野蛮な雄の本性が発揮されてしまったというのであれば、それは知性、理性が未だ及ばないという事であり、俺の正体は知的生命体の皮を被った上等な下等生物であるといえる。そうなると圧倒的多数の男と等しく俺も低俗極まりない俗悪な性を持っていると結論づけられてしまう。大変不名誉ではあるが、事実であれば受け入れなくてはならない。往来で盛る犬猫と同類であるという自覚を持つべきである。


 だが、もし彼女に対し俺自身が知覚していない心の機微があったとしたら、それは人間的感性から発芽した真っ当な情緒といえるのではないか。つまり、彼女に対して恋慕の情があれば、性欲を向けてしまった事への免罪符となり、野蛮人ではなく人知れぬ想いを抱く文明人に分類されると考えて差し支えないのではないかと思案したのである。


 恋愛から湧き出る性への欲求は友愛的交流の一環であり必ずしも破廉恥な悪徳とはいえない。こういう論理展開をしてみるとしっくりとくる。だが問題点はあった。一つは年齢差による倫理観の逸脱。一つは知人の親族であるという精神的な忌避感。そして最後の一つは、本当に彼女に対して異性として交際を望んでいるのかという根本的な疑問である(これらは何度も自身の中で問うてきた内容であり今更も何もあったものではないが、物事の整理と見直しを図るべく、再度並べて確認する必要があった)。


 年齢差に関しては論じるべくもない。歳の差は、十とはいわないまでもそれに近い幅があり、側から見たら娼館で女を買ったように映るだろう。一般常識の観点からすると信じられない背徳行為に他ならず、例え双方の同意があったとしても、それは社会が許さない。

 太宰の本に「社会とは君の事じゃないか」などといった一節があったように記憶しているが、これに関しては別段俺自身の価値観であったとしても仔細ない。一般的な世間体から踏み外し白眼視されるのは俺自身であるわけだから、俺が基準となってもなんら不都合はないわけである。要するに俺は、衆人環視の非難に耐えられないのだ。大人として周りに認知されないというのは、それだけで大変な悩みである。

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