118話
もし彼女が俺の動物的な生理反応に勘づいた場合、間違いなく社会的信用は失墜し軽蔑の眼差しを向けられるだろう。「偉そうな物言いな割に即物的である」といったような非難は覚悟しなければならないし、変質者として最寄りの詰所に連れていかれるかもしれない。俺はなんとしても、この身に起こった不浄を清めなくてはならなかった。
聞くところによると不意に起こる男性反応については交感神経を優位に働かせる事により鎮める事ができるという。これは緊張や恐怖、不安によって作用するそうであるからして、俺はネガティブな心持ちとなる必要が生じた。普段において解決のあてがない悩みへの没入や自己否定に走ったり、過去の恥辱が発作のように訪れる俺にとっては造作もないように思えた。しかし、いざ自ら進んで悲観しようとしてもとってつけたような感情しか隆起せず、芯を食ったような、心胆が萎縮する落ち込みを再現できなかった。名うての大工が鉋を引いた際に削り出る一枚の木片のように厚みないネガティブが氷雪に等しく溶けていくばかりで、埒がない。普段、望まぬ日常では我が物顔でやってくるくせに、此方が落ち込もうと思うと呼んでも姿を見せないのだ。難儀なものである。
視線をカウンターへと向けると、女はガラスケースに並ぶケーキを見ていた。膝を曲げて屈み、どれを皿に乗せようか物色しているようである。甘いものを普段食べない俺にはどれも同じ味がするように見え、どれを選ぼうとも然程の際はないと考えてしまうのだが、彼女にとっては違うらしい。
何を買おうが俺の知るところではないが、戻りが遅いのは好都合。なんとかして身体に発生した異変を取り除き、一部の不浄も邪もなく彼女と対面しなくてはならない。そのための時間的な猶予がある点については不幸中の幸いであった。
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