56話

 子供に悪意はなかったろうし、友人とて同情の念から漏れた慰めであると理解はしていよう。けれど、理知が及ばぬ程の感情が激しく流れ氾濫し、心を呑み込み意に沿わぬ言動を取るといった破綻はまま起こるのである。悔しさ、情けなさ、恥ずかしさから友人の理性は消し飛び、言いたくもない皮肉をつい落としてしまったのだと、俺は解釈する。





「テストを奪うのを、止めるべきだったのでしょうか。いえ、止めるべきだったのでしょう。どうにも静観していたのは悪徳の所業だったように感じられ、胸が痛みます。人道、正義の観点からも、僕はあの友人を守るべきだったのではないかと、そう思うのです」



「どうだろうね」



 明言を控える。妙な正義感を出してしまうと余計に拗れてしまう場合もあるだろうし、考えすぎかもしれないが、これを起点に子供が迫害のターゲットとなるなどといった、なんともならない事態も起こり得る事も想定しなければならない。そも正義などあやふやで不確かであり、絶対視などできない概念であるわけだから、それを軽々に振り翳す真似を肯定すべきではないし、推奨もできない。




「止めるべきでした。止めるべきでした」




 子供は止まらずぶつりぶつりと繰り返す。ある意味自己陶酔のようにも感じられる卑下に、少しばかり苛立ちを覚える。自身の行為により生じた不都合に対して正義という建前を掲げ失意を述べるなど偽善にも程がある。悔やむべきは正義の不履行ではなく、友人を傷付けてしまったという事実に対してではないだろうか。



 だがそんなものを指摘したところで意味はなく無意味で、声に出そうものなら子供相手に大人気なく偉そうな理屈を述べる恥ずかしい大人という汚名が俺に張り付くだけ。無益だ。そもそも俺は彼に対して立ち直ってもらいたいと思っているのだから、逆効果となるような罵倒を用いるわけにはいかない。どうにか前向きになるよう善処すべきなのである。




「まず君は、その友人についてどう思っているのかな」



 落ち着かせ、より深く思慮できるような問いを投げる。まずは整理と断続的思考プロセスの構築を優先。パニックとなった状態では、本質にたどり着けはしない。

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