54話
学力が後の未来に直結し得る社会の良し悪しについて如何に語るか、適切な弁を広げられないでいる。
学力が至上といわれるような時代でもなくなってきてはいるが、優良な学校へ通い地盤揺るがぬ大企業へと勤める事が最適解に当たるという一般論も未だ根強い。安定した生活が送れるというのはそれだけ強みでありステータスなのである。少し前に勝ち組負け組と謳っていた人々が親の代になったと考えれば、納得もいくのではないだろうか。
若くから勉強に勤しみ上手く運べば後は安泰に過ごせる公算が高い。しかし、皆が皆生きたいように生きられる世界など存在せず、誰かが浮つけば、その分だけ落伍していく。落ちた者の多くは怨嗟や憤怒に駆られこう言うだろう。「こんなはずじゃなかった」と。そして、安い金で使われて鬱屈し続けるのだ。政治家や活動家が決まって論ずる格差という概念が、人々に平穏と嫉妬をもたらすのである。
昨今の情報化社会では他人との比較が容易となり、学力、貧富、所属する組織について鑑み、無用な劣等感を抱く市民も増えているように思う。定量的な根拠こそ提示できないが、いわゆる無敵の人と呼ばれる無法者が起こした事件が目立つのは、そうした格差が容易く実感できてしまうからかも知れない(古来より持たざる者が自棄で沙汰を起こす事自体珍しくはなかったかもしれないが)。人生なんてのはもっと適当に生きていいものだろうが、ままならないのが人間の特性といえる。実際俺も、なし得なかった成功を妄想しては、苦痛の伴う現実に辟易とするなんて惰弱を人知れず露わにする時もあるのだ。圧倒的多数にとって隣の青い芝は羨ましく、また、妬ましい。互いを見比べ卑下に至り、正常ではいられなくなってしまうなんていうのも、珍しい事ではない。
「勉強のできない友人に、"君は頭がよくって羨ましいよ"などと言われてしました」
子供からそんな話をされ際、一緒固まった。理由は明快。俺は、彼の友人の気持ちに共感してしまいそうだったからである。
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