29話
俺は月曜日の出勤前、決まってうどん屋を使っている。
朝一番に開店するその店のうどんは出汁がよく効いており、麺を啜るとふわりとした鰹の香りが訪れる。肩を抱えるような日に飲むと一と時ではあるが週初めの憂鬱を忘れられ、労働に対し若干前向きになれるのである。また、付け合わせの牛蒡もいい味を出していて美味いのだ。うどんを啜り、牛蒡を齧って出汁を飲み、茶を一口含んで席を立つのが俺の日課だった。
「ここまでいいかい」
「はい。不明点はありません」
導入部分を終えて確認すると子供からは明瞭な返事。聡明でありがたい。
「では続けよう」
それで先日。例によってそのうどん屋に寄ると、見るからにぎこちない女性があたふたとしていた。歳の頃は十六、七といったところ。これは新たに雇ったアルバイトだなと直感し、不安に駆られた。配膳中に不備が発生した場合に、どう対処していいか分からないからだ。
例えば彼女が俺のうどんを運んでいる最中に蹴つまずいてお椀諸共台無しにしてしまったとする。それはいい。誰だって下手を踏む事はあるし、謝罪をしてくれれば(それが建前だけのものであっても)別段責める気はない。ただ、その後ずっと申し訳なさそうにされたり、次に立ち寄った際、明らかに不自然な対応をされたりしたら、俺は申し訳なくて二度とそのうどん屋を利用できなくなってしまうだろうという事は想像に易かった。過剰に頭を下げられるとこちらに罪悪感が湧き、その相手を避けたくなってしまう。考えないようにしようにも生来の小心からそんなわけにもいかず、気にしまい、気にしまいと努めると返って気にしてしまうジレンマに頭と心が惑うのだ。
だから俺は彼女に配膳をしてほしくなかった。なんなら暖簾を潜り直し、その店に入らなかった事にしようと思った。けれど、彼女は震える声で「いらっしゃいませ」と恐る恐る俺を出迎えたのである。もはや、卓につき「かけ」と注文する他なかった。
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