26話
「きっと、君は悪くないだろう」
この子供は間違った事をしたわけではない。まずそれを認め、共通の認識として共有すべきであると判断。即座に、しかしながら今度は落ち着いて、しっかりとした発音で言葉を投げた。
「でも、喧嘩になってしまったわけですし、侮辱されたわけでも殴られた訳でもないのですから、非は僕の方にあるかと」
子供も俺に呼応したのか明々に意見を述べ、ここからは対話が続いた。
「怒る怒らないは本人の感情に依るものだから、それ自体に善悪を定めるのはナンセンスだよ。ましてや相手は、冗談とはいえ侮蔑的な言葉を吐いたんだ。であれば君が抱いた憤りは真っ当で、非難されるいわれはない」
「感情は許容され、受け入れるべきという事でしょうか」
「社会規範、一般常識、道徳と照らし合わせ、客観的に判断して無理からぬ理由、事情があるのであればその通りだね。そして、今回において君は、あくまで君の言葉が全て正しいとするのであれば、先に述べた条件を満たしていると思うのだけれど、どうだろうか」
「そう言われてみると、自罰的な感情は薄れていくように思えます」
「それはよかった。では次だ。君を侮辱した相手だが、彼は果たして間違っていたのだろうか」
「……間違っていないと思います」
「何故だい」
「客観的に考えれば確かに彼は僕を侮辱しました。しかしそれは普段交わす冗談の範疇であり、悪意はなかったと推察されるからです。相手にしてみれば、ただ話をしただけで理不尽に怒られた。といった印象を受けるでしょう。であれば、相手方においても怒りが湧くのは無理からぬ事かなと」
「そうだね。ただし、君自身が述べたように、その子は、悪意がないにしろ侮蔑的な言葉を吐いたという事実はある。その点を加味すれば、天秤がどちらに傾くかは明白な気がするね」
「アストレアの秤みたいですね」
「そうかもしれない。では、君は彼に対して正義の大義名分を盾に、私刑を執行したいかい」
「……今回の件は、ボタンの掛け違いのように思えます。相手が軽々に僕を腐してきたにしろ、お互いの認識に相違があって生じた諍いですので、どちらかが一方的に一方を裁く権利は、どちらも持ち得ません」
「俺もそう思うよ。しかし、だとしたらどうする。君は彼と話し合って、誤解を解くよう努めるかい」
「それもいいかもしれませんが」
子供は少し間を開けると、顔を上げ、俺の目に視線を合わせて、先までじめとしていた言葉を晴らした。
「やはり僕も腹が立っているので、しばらく距離を置く事にします」
「そうかい」
ようやく見せた子供の笑みは俺にとって幾らかの助けになった。彼が出した結論が正しいか誤っているかは時間の経過以外に確認のしようがないわけだが、俺は、正しくあって欲しいと願った。
「それじゃあ」
走り去る子供を見送り俺は、しばらく喧嘩などしてないなと思いながら帰り支度をし、一人家路に着いた。誰もいない、争いなど起こり得るはずのない部屋に。
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