21話
この子供の言う事も尤もで、確かにあれこれ考えてしまうと及び腰になってしまうものだ。俺も初出勤するまでは何かと怯えてしまっていたし、自分が経済の歯車になる事を恐れていた。周りの人間がしきりに「仕事は甘くないぞ」と脅してきたのも臆病に拍車をかけた要因である。ああいった指導はまったく逆効果なため、世の親や教育者は控えていただきたい。
実際にやってみればあの時のノイローゼはなんだったのかと笑い話にもなろうが、体験してみない事にはなんともならない。つまりこれはこの子供にとって解決手段が存在しない悩みであるといっても過言ではない。
しかし、その悩みが何から生じているのかを紐解けば緩和と対策にはなるかもしれない。まずはそこからアプローチをしてみよう。
「君はまず、仕事の何に絶望しているんだい」
「理不尽な事を言われたり、責任を取らされる事があるかもしれないと思うと、就労の意欲が湧かなくなってしまいました」
「なるほど。確かにそれは実際にあり得る。顧客や上司。或いは同僚や部下からも理外の罵りを受けたりするだろう。責任に対しても、やはり何かしらの重みを担わなければならない時がある。これは避けようのない事実だ」
「そちら、ご経験がおありで」
「人並みの苦労はしているつもりだよ」
自分が飛び抜けて不幸だったり苦労をしているとは思わないが、並の波乱を経験しているのは事実だ。生きるというのは、それはもう大変な事で、百人いれば百の悩みが存在しているのである。躓いたり壁にぶつかったりする事は別段珍しくもない。
「俺も、俺以外も、みんな何かしらの苦悩を抱えて生きているんだ。中には道楽ばかりの奴もいるかもしれんが、一般的に世の中は地獄のようで、何をするにしても苦しみが伴うものだよ」
「四苦八苦とはよく言ったものですね」
「そう。四苦八苦」
四でさえ堪え難いのに、更に四つ苦しみを加えてくるだなんて困ったものだ。
「人から好き勝手言われるのもその内の一つさ。どうやっても逃げられないんだ。それは、たとえ君が仕事に就かなくたって同じだろう。これから学校生活も長く続くだろうけど、そこにだって馬の合わない奴は多分出てくる。分かるかな」
「つまり、働いても働かなくても、人間関係で苦慮するという点はあまり変わらないという事でしょうか」
「そういう事だね」
理解が早くて助かる。
この話、自分でしていおいてなんだが、詭弁、欺瞞の類のような気もする。本当にこんな内容を聞かせてしまって良かったのか……
いや、良い。
カウンセラーでも聖人でもない俺に正しさなどあるはずもないのだから、誤っていたとしても問題ないのである。好きなように吹き込んだとしても罪は軽量。カルマが少し積み上がる程度だろう。子供には申し訳ないが俺はこんな人間だ。どうか賢くなって、いつかこの理論のアンチテーゼを提唱してほしい。
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