9話
子供が好きというわけではないが、無邪気というか歪みのない表情には少しばかり絆される。将来俺が子を持つなど想像できないが、もしそういう機会が巡ってくればこの笑顔のためにあくせくと働くのだろう。今の気楽な生活に後ろ髪が掴まれる事は確かだろうが、責務を背負った以上はまっとうせねばならない。自身の安寧など望むべくもないのだ。
そう考えるとこの子供の親はしっかりと役割を果たしているのではないか。先程はコミュニケーションの不行を考えたが、しっかりとした身形にして塾にも送り出しているうえ、行儀良く会話ができるのだ。これを教育といわずしてなんといおうか。
だがその教育も時に息苦しさの要因となり得るだろう。現にこの子供は幾許かの不安と疑念を抱いている。海路もコンパスもなく出港するような大きな恐怖を、勉学や将来に対して見出しているのだ。だから悩み、声に出さずにいられなかったのだろう。見ず知らずの、俺のような馬鹿であっても、吐き出さずには。
「嫌いじゃないなら続けてみたらどうだい。俺は勉強をしなかったからその素晴らしさについて語る事はできないが、多分、そんなに悪いもんじゃないと思うよ」
それは子供のためになのか子供の親のために言ったのか俺自身も覚束ない。知った風な口をきいて悦に浸りたかっただけかもしれない。
「まぁ、もうちょっとやってみます」
子供は立ち上がり、引いた椅子をよいしょと元の位置に戻す。どうやら時間のようだった。
「そろそろ塾に行かなければならないので……」
「そうかい」
「お兄さん、この店にはよく来ますか?」
「そうだね。仕事終わりにはだいたいいるね」
「じゃあ、またご一緒してもいいですか?」
頷くと、子供は「ありがとうございます」と言って空になったカップを捨て外に駆けて行く。ガラス張りになった店内から見送り終わると、頃合いを見て俺も席を立った。次に会った際はどんな話をするのか少し怖く、少し期待して。
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