7話

 達観というよりは卑屈であったし、慣れない言葉のためか滑舌にぎこちなさを感じた。恐らく誰かの受け売りか、何かで拾った台詞を吐いたのだろう。

 けれど、まるっきり嘘というわけでもないような気がしたのは、こんな時間にこんな場所で、名前も知らない人間に話しかけてくるような子供らしからぬ行動をしたからだろう。本人は暇だからと言っていたが、きっと寂しくて居た堪れなかったから人の多くいるコーヒーチェーンに入ってきたのではないだろうか。妙に大人ぶっているくせに話したがりな態度や、何やら思い詰めたような様相は、恐らく俺に認識してほしいという情動に駆られたがためである。身なりよく品の良さそうな服装をしているが、きっとこの子供は親と分かり合えていないのだなと俺は邪推した。


 そんな子供になんと言えばいいのかは、やはり容易に導き出せない。「教育は投資だから気にするな」なんていう俗言を吹き込むのは破廉恥極まりないし、「親に報いなければな」と口を滑らすのも難かった。この自己肯定が下手な子供に対して必要なのはどのようなコミュニケーションなのだろうか。コーヒーを啜る合間に整理する。




「いずれにせよ、君は偉いよ。悩みながらも、今自分が置かれいる状況を把握したうえで行動しているんだから」



 悩んだ挙句に美辞麗句の如き甘言を送る。気休めにもならない安い訓示のなりそこないであるが、こう返すしかなかった。俺は目の前にいる一人の子供に対し、当たり障りない、都合のいい言葉を使って難を逃れようとしたのだ。俗悪かつ軽薄な所業であり、唾棄を催す。


 だが、本音も少しだけ入っていた。

 自分の立場を弁えて悩むあたり、感性の豊かさと理論的な思考を持ち合わせているのは確かで、なおかつ自分なりに現状を打破しようと行動している。それを偉いと評するのは間違っていないだろう。この子供は、子供ながらに背伸びをしたりして自身の心に生まれた愛情への飢えを満たそうとしているのだ。中々に高度な社会性ではなかろうか。もっとも、この子供が孤独であるとか、親と分かり合えていないとかいうのは全て俺の想像でありあてが外れているかもしれないが、どのみち不用意に否定するような真似はしたくなく、ともかくとして、この人間として尊重し、認めてやりたいと思った。それが、偽善とか自己満足の類だとしてもである。

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