5話
そもそも勉学をしてこなかった俺がこうした事について頭を悩ませる事態に矛盾めいたものを感じる。学ぶべきを学ばずに生きてきた人間が学びとはなんぞやと語るべくはなんとも空々しく、また、学びを得る目的を欲さなければ学ぶ必要はないのかと言う問いに対して適した解を求めているなど、空を夢見る魚が如き無茶であって正気の沙汰ではない。こんなものおよそ詐欺師か伝道師でもなければ納得のいくよう説法はできかねるのだから、明言は避けるべきであるように思う。
しかしながら下手に茶を濁して暖簾に腕押しだったとこの子供が思えば大人への失望が生まれ軽視が始まるだろう。第二次性徴を控えた子供に対して大人の無力を悟らせるのはよくない影響を及ぼしかねず、本人は勿論、親にさえいらぬ苦労をかけてしまう可能性もあり、不用意に誤魔化すような真似はできないのだった。果たして、「勉学に励む意味を知りたくないのであれば学ばなくとも良いのか」という議題においては如何なる論述を提示すればみな幸福になれるのだろうか、悩む。ここまで思案しておよそ二十秒。一分以内で結論を出したい。
「まぁ、なんだ」
長い沈黙が続けばまた妙な問答が発生しかねないため、ひとまず声を発し牽制。これでまた十数秒は耐えられる。必死で脳を動かし詭弁を尤もらしくこねくり回して考えを言葉として形成する作業に没頭。言語化とは存外難儀するものだ。
「勉学ってのは」
煮詰まりまとまった答えを吐き出す。ハッタリを効かせるため、大きく息を吸って吐いて、ふんぞり返って腕を組み、それらしく話を始める。
「勉強ってのは、その意味について知りたい知りたくないに関わらずやっていくもんだ。今は学校の問題を解いているだけでいいかもしれないが、長い人生では必ず学ばなければならない時がくる。故に、勉強の意味を知りたくなければやらなくてもいいのかという疑問には否と答えよう。どうせやらなくちゃならないんだからな」
虚勢を張り偉そうに振る舞ったが、少し苦しい。そもそもが「なぜ勉強が必要か」という点から始まっているこの問題において、「そんな発想が間違っている」とも取れる締め方は強引でナンセンス。思案思考を停止させた下等な導きではなかろうか。なんという事だろう。俺は名前も知らない子供の純粋な疑問に対してよく分からない解法を披露してしまったのだ。恥知らずも甚だしく、また、子供に対して無礼である。やってしまったと痛感。人生の汚点がまた滲みとなる。頭を抱えて(実際には腕組みしていたが)コーヒーの黒を見ると、底の見えないカップが現状の泥沼を表しているようで恐ろしかった。
こんな俺に対し、子供は次のように言った。
「そうなんですか」
さてはこいつ、何も話が入っていないと、そう確信させる腑抜けた吐息が混じっていた。助かった。真面目に取られ、破綻部分の指摘などされなくて良かったと安堵した。情けない話だが、本当に、本当によかった。
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