終わりに

(映画『おおかみこどもの雨と雪』のネタバレがあります)








 まだ精神的に元気で子育てに夢と希望を持っていた頃、「おおかみこどもの雨と雪」を映画館で観ました。


 ラジオで紹介されているのを聞いて知り、気になって観たら、映像はキレイだし、頑張るお母さんの話だしで、気に入ってパンフレットも買いました。


 パンフレットにのっていた母親役の女優さんのコメントに「んん?」と思いました。

 正確には覚えていないのですが、「この人(母親)は自分がない人だと思った」というような内容が書いてあったと思います。


 当時はよくわからなくて、そのまま地上波でも放送されると録画して、何度も観ていました。

 絵が好きなのと、途中にかかる歌が好き。

 それに、子育てでへこたれそうになったくらいに「まだなにもしてあげてないのにーー!」みたいなセリフを聞くと鼓舞されていました。「私はあそこまでやっていないからもっと頑張ろう」と。


 これが、病んでから観ると、かなり過酷な話だなと思いました。


 幼児2人(一人はまだ授乳中)がいるのにパートナーが死んで、頼れる親戚もいなくて、都会で暮らせなくなっていなかに引っ越して、作物を作りながら仕事して子ども2人を育てて暮らすって……どんだけスゴいんだ!

(ほぼ同じ状況をリアルでやってるママ友がいますが尊敬しかありません)


 さらに2人の子に心を配ってそれはもう大切に育てているのに、「まだなにもしてあげてないのに」!?


 いや、じゅうぶんやってるから!!


 もちろん、そのセリフをあの母親が言うのは、「もっと一緒に暮らしたかった」という気持ちからだというのはわかっています。だからこそ、私も今まで観るたびに母親の大きな愛情に感動して泣いていました。


 でも、あそこまで献身的にできるのが普通だと周囲から求められたら困るなぁ、と病んだ私は思ったのです。


 まず新しい土地に子連れで引っ越すことが、今の私には想像だけでしんどいし、それからの生活をおくる自信も全くありません。

 病んでる自分は、おじいちゃんになにか言われた時点で死にたくなるだろうし、友達とメールするだけでもしんどいのに、誰も知らない土地で見知らぬ人たちと交流しながら子どもを抱えて暮らせそうにない。


 あと、私には幼い頃からの夢、どうしてもやりたいことがあります。

 それができなかったら困るくらいやりたいことがあるから、あそこまで子育てだけに情熱を注げない。


 あぁ。だから母親役の方のコメントが「自分がない人だと思った」だったのか。


 そこでようやくわかりました。

 「自分(のやりたいこと)がない」なのか。

(もちろん母親は「子育てをやりとげたい」と願っているのですが、ここでの「やりたいこと」は子育て以外の「生涯の夢」「理由は自分でもわからないけどどうしてもやりたいこと」のようなものです)


 母親役をした方は、すでに名のある方です。


 名のある立場になるには、生半可な努力ではなれません。

 きっと本人も納得ずくで、他のことを犠牲にしてでもその道に誠実に精進してきたはずです。自分のために使える時間すべてをその道のために使っているはずです。

 そういう「自分のやりたいこと」がハッキリある人には、あの母親は「自分がない」と思えます。


 それがいいとか悪いとか、間違ってる間違ってない、えらいえらくないを言いたいのではなくて、子育てに集中したい人はすればいいし、夢があれば夢を追えばいいし、仕事が好きなら仕事好きでいいんです。


 ただ、私が言いたいのは「あの母親をスゴいと思うけれども、同じことを私に求めないで欲しい」んです。

 同じ女でも母親であっても、それができる人とできない人がいることをわかってほしいんですよ。

 私は自分の時間を取られることが一番ツラい。

 子どもは好きだし子育ては子育てとしてするけれども、自分の時間がないと苦しくなってしまいます。

 私は母親でありながら自分のしたいことをやりたい欲深い人間です。

 私は「誰かの母親」でもあるけれども「私という一個人」です。


 誤解しないでくださいね。あの作品は今でも大好きですよ。

(監督さまがリアルで感動したという『母親の強さ』がよく伝わってくる名作だと思っています)


 今観ても泣けます。

 以前は、単純に母親とシンクロして泣いていましたが、今では、理想のかたち、「こんな風に純粋に子どもを愛していたかった」という、私にはなしえなかった世界という気持ちで泣けます。

 

 現実の私はただの人間です。


 時間は有限で、その中で私のできる量は限られているし、限界値だってあるのです。

 私の愛は供給源がなければ枯れます。無限の泉ではありません。

 根性や気合いでどうにかできません。無理なものは無理なんです。


(無理という言葉を使うと「無理って言って自分で限界を決めているから無理なんだ」などと言われそうですが、「無理」を使わないで「絶対大丈夫だ」と信じてやってきたら、十年目に限界の方が勝手にきたんです。そう話しても、「そんなの言い訳だ」「お前のやり方が悪いから」となるのでしょうね。これもどれだけ言ったところで通じない不思議)


 私が冷静に振り返って記述できるようになるまで回復するのにかかった期間は3~4年間です。

(去年に書いた時は、書いた後かなりしんどくなりましたが、今回はどうでしょう?)


 今でもまだ以前のようには動けなくて、朝から以前のように動けそうな日は、年に3日あるかどうかです。

 やらなきゃいけないとわかっているのにできないことが多いです。

 自分でも、なにをなまけているのかと嫌になるくらい、身体が重くなります。

 現実世界を色鮮やかに感じられません。

 透明で分厚い膜の向こう側な感触しかないのです。


 10年間かけてこうなってしまったから、あと6~7年経ったら元の自分に戻れるのでしょうか?


 当たり前ですが、私が回復するまで世界は待ってくれません。私の気持ちは4年前で止まっていても、世界は止まらず、目の前の時間は流れ続けていきます。


 いちばん大事な子どもの成長期に、以前のように子どもによりそえない自分が本当に情けないです。


 なんでこんなことになったのか。

 直接的な原因はパートナーの言動、パートナーと子どもの軋轢あつれきの対応だとしても、周囲にも振り回されたなぁと感じています。


「そりゃ単にあんたの考えがブレブレだからだろ」

「なんでもかんでも他人のせいにするな」


 きっとそう思われるでしょうが、その時そのとき、私なりに真剣に考えて、私のできる範囲で頑張ってきたつもりです。


 パートナーと一緒にうけたテストの私の診断結果は、軽いADHDでした。


 もし今あなたが「は? なんだ、これADHDの文章か。読んで損した」と思われたのなら、それが偏見です。


 ADHDもアスペルガーも、最初は素直で純粋な存在です(それがまた多数派にはイラッとするのですよね。わかります)。感性を否定されず、特出している感覚を磨きながら育てば、面白くて楽しい存在や、時代を動かす存在になるのだろうなと思います。


 少数派は、多数派が読む空気は感じないかもですが、他のなにかに敏感です。こじれてしまうと『みんなが責めている』『みんなが馬鹿にする』フィルターのようなものが自動的にかかって、言葉がまっすぐに届きません。

 「おいしかった」というセリフをなぜか「お肉キライ」だと認識したり、呼びかけただけで『責められている』と感じていきなりキレたりします。


 ぜひ正しい知識を身につけて、カッサンドラな世界線を壊す一匹の猿になってくださいね。

 「なんでそんなこと関係ないのにしなくちゃならないんだ?」と思われると思います。


 理由は簡単です。

 私の家庭で起きていることが、地域、国、世界規模で起きるからです。


 家に一人困った存在がいて、その問題を解決できないことで周囲に影響が出て、困った存在が増える。

 そこまでが私の小さな家庭で起こった事実でした。

 この困った存在は私の家の中だけにいるのではなくて、家の外に行って、家の外でも似たような関係が作られます。


 もうおわかりですね?

 解決しなければ困った存在が増え続けるのです。

 

 でも、その存在は、従来の方法「話せばわかる」的な方法でどうにかできる問題ではないのです。

 言葉は通じるけど話が通じにくい。従来の方法を通そうと躍起になるとこちらが病みます。

 その人を変えようとしてもこちらが病みます。


 だから世界を変えるんです。


 正しい知識を持ってください。

 偏見を無くしてください。


 なにしろ、パートナーが発言する暴言は、通常ではまず使われない言葉です。どれも誰かから言われなくては知るはずもない言葉たちです。


 つまり、過去に誰かからパートナーへと使われた言葉が、パートナーに蓄積されて、現在のパートナーから子どもにむけて放たれてしまうのです。


 あなたが誰かに、気にくわない相手や、つい口が滑って部下に言った暴言が、まわりまわって、あなたの子どもに吐き捨てられるのです。


 あなたが発言する言葉は、あなたの大事な相手に言うのと同じなのです。


 だから優しい言葉を使ってください。

 優しさをもって対応してください。


 それだけで世界が変わります。



 最後までご愛読ありがとうございました!

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カッサンドラの叫び 高山小石 @takayama_koishi

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