14 「パパ大好き」
一番被害にあっている子も、検査したらアスペルガーでADHDでした。
私は勝手に、同じ特性なのだからパートナーとその子はわかりあえるだろうと思っていましたが、むしろ衝突しかしないのです。
まず、その子は子ども特有のトンデモ理論でゴネます。
はたからは、やたらと口のまわる子どもが屁理屈をこねているように見えると思います(実際は甘えているだけだったり、恥ずかしくて言葉が出なかったり、理由はさまざま)。
私はその子に根気よくいい聞かせます。
そのやりとりを聞いていたパートナーが同じやりとりの繰り返しにイライラして怒り(暴言や暴力)をその子にぶつけます。
その子は泣きます。
食事中であったり、遊び中であったり、宿題中であったり、朝の登校前であったり、状況は様々ながら、だいたいこのパターンです。
そのたびに私は、子どもにケガをさせられないように間に入るし、後からその子をなぐさめます。
おそらく「まずパートナーをどうにかしろよ」と思われるでしょうが、どうにかできないから困っているのです。
もちろん私もすでに、
「あの子がパニック状態になったら声をかけないでほしい。横からなにか言われたら余計に混乱するから」
「(パートナーは音に敏感なので)あの子のゴネる声が気に障るのはわかるけど、それが聞こえたらその場から離れて欲しい」
と、何回もなんかいもなんっかいもしつこく伝えていました(いうたびに私とパートナーの雰囲気が悪くなっても言っていました)。
「えらそうに言うな!」「お前が言ってるだけだ!」と言われたので、詳しく書かれている本も渡しました。
それに対しての反応は、
「言いたいことを言ってなにが悪い!」
「言わないとわからないだろ!」
「なんでこっちが子どもに気を遣わないとダメなんだ!」
でした。
(実際はもっと乱暴な言い方ですが、私がその言葉を書こうとして思い返すだけでも苦痛なので、若干丁寧に書きかえています)
補足しますが、「言いたいからといってなんでも言っていいわけではない」というのも丁寧に説明してもわかってもらえないし、「年少者は経験が少ない分、年長者が年少者にまず教えないとわからないから、こちらが気を遣うものだ」と伝えてもわかってもらえませんでした。
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(私は最初「こういう基本的なことを教えきれていないのはパートナーの親の責任だ」と思って義両親を憎々しく思っていたのですが、いざ自分で伝えてもまったく伝わらない様子から、もしかしたら義両親も一通り教えたのかもしれないけれども身に付かなかったのかなぁと、最近は思うようになりました。私自身が何年も何回も工夫をこらして言い続けていますが全然なので。だんだん、もう本人の問題なのかな、と←でもパートナーの使う否定的な語彙の多くは明らかに義両親から言われたものなので、あらためて、私が子どもを叱るときの言葉選びには気をつけようと思いました←ちなみに、義両親の親に一度だけお会いしたことがあり、その一度での言い方が酷かったので、義両親は親から否定語彙を引き継いできたんだなと思いました。もしかしたら曾祖父母はさらに上の代から引き継いでいたのかもしれません。否定語彙を日常的に聞く環境で育つと、否定語彙を使うのが『普通』になるので、「相手を否定するような言い方は日常では使わないんだよ」と早く負の連鎖を断ち切りたい)
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(こんなところで例に出されたくないでしょうが、漫画「深夜のダメ恋図鑑」というのがあるのですが、それに出てくる諒くんを想像していただけたらわかりやすいかと思います。諒くんはお菓子をボロボロこぼしたり、靴下をそのへんに脱ぎ捨てる、一巻では主人公女子と同棲中の働く成人男子ですが、彼女が何度注意しても流すだけです。おそらく諒くん自身が困ってないし問題ないと思っているからです。それの暴言暴力版だとご想像ください)
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(「本人自身の問題だ」と言うと、「いやいやお前の話し方が悪いんだろ」と言われるのもわかっていますが、優しく何度も諭しても伝わらず、ズバリ言うと暴力が返ってくるので、私がどう言おうと聞く耳を持ってもらえないように感じています。誰かに「甘えてるんじゃないの?」と言われたこともありますが、申し訳ないけど、相手(私や子ども)を傷つける甘え方はかわいいとは思えないし、迷惑でしかありません←そして、このような発言をすると「愛がない」的な反応をいただくのですが。『無償の愛』とは『蔑まれても尽くすこと』なんでしょうか? 「話し方が」と思われる方は、ぜひパートナーと一緒に暮らして、あなた様の素敵なトークテクニックで伝えてあげてください。お願いします。実際にわからせてくださって、その効果が一ヶ月以上、奇跡的に数ヶ月以上続くのであればお金を払いたいくらい切実にお願いしたい。ぜひよろしくお願いします!←こう言うと「いや、他人の家族だし……」と遠慮される方ばかりなのですが、遠慮は無用ですよ!)
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(ちなみに、大変高価なセミナーに通っている間は確かに効果がありましたが、2年ほど続けた後に通えない期間が続くとだんだん元に戻ってきて、効果的には数ヶ月しかもちませんでした←それでも長い方。「定期的に続けるのは有効」まではわかっているのですが、高価なところに通い続けるのは経済的にも時間的にも現実的ではありません。長く通うなら出せて月数千円です)
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(「だからそれをお前の家族でやれよ」と思われるでしょうが、やり続けて病んだ私と子ども達がいます)
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(このように、ことごとく相手の提案を否定するようなかたちをとると「お前が無理だと思ってるから無理なんだろ」「ちゃんとやらないからだ」などと言われて、話はループするわけですが。その発言は、私が14年間なにもしないでいたと思われているってことですよね? 14年間で私が思いつくことできることは全力でやり尽くしたから相談していて、「それはもう試して結果はこうでした」と報告しているのですが、なぜか「いろいろ試したけど残念な結果ばかりなんだね」という風には納得してもらえず、逆ギレされる不思議)
子どものゴネる声が聞こえた時のパートナー自身に余裕があれば、黙ってその場を離れてくれるのですが、パートナーの怒りが勝つと、わざわざ別の部屋からでもこちらに来て、怒鳴ったり手や足を出したり否定語を浴びせ続けたりするのです(こんな些細な事に対してよくそんなに貶める言葉が出てくるなぁと逆に感心するほどの量です)。
最初はそれでもなんとか回復できていた(その子自身の落ち着いた部分の方が多くて、なぐさめれば落ち着いた部分に戻れていた)のが、おそらく花粉症などと同じで、人それぞれにある規定値(この場合は怒声や理不尽な怒りに我慢できる限界値)を越えたあたりから、どれだけなぐさめても落ち着いた状態に戻らなくなりました。
私の場合は、自分以外に使える精神の余裕みたいなものに枯渇した状態ですが、それと似たような状態だと思います。
その子も、精神の余裕の枯渇状態に陥ったのです。
なにしろまだヒトケタのお子様なのに、いちいち些細なことで怒鳴られ、しかも納得できる理由もなく、基準もわからない。
(基準はパートナーの機嫌の善し悪しなので、同じことでも時と場合によって違います←躾としても悪手ですよね)
私自身が病んでからわかったのですが、枯渇状態に陥ると、簡単には回復できません。
たとえるなら、植物の水やりを忘れてしまい、しんなりしたくらいに水をあげればすぐに元気になるけれども、枯れる一歩手前くらいにまでなってしまうと、そのまま枯れてしまうかギリギリ回復するか、回復したとしても、植物の形が変わったり、色が悪くなったりします。その状態と似ています。
その子が原因でパートナーは怒り、その怒りは当然その子本人に向かいますが、機嫌が悪くなったパートナーの怒りはそれだけではおさまらず、その子よりも小さな子や大きな子や私にまで怒りをぶつけてきます。
パートナーは私や子どもを、パートナーの怒りを発散させるサンドバックとして使うのです。
こうなってくると、こちらとしては、その子をどうにかして大人しくさせたくなります。
その子が静かにしていれば、確実にその分の怒りはこちらに飛び火しないのですから。
おそらく、ここでその子だけを犠牲にする道(パートナーと同じように、私たちもその子を蔑んだり貶めたりする言動をとる)を選んでしまうと、家庭内イジメのようになるのだろうと思います。
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(勝手な想像ですが、そんな家庭で犠牲となっている子が、笑って道行く人を「幸せそうだから刺した」という加害者になりそうだなと思いました。そりゃそう思うよね。「なんでお前は笑えるんだよ」って自分の立場との差を理不尽に思うだろうなぁと勝手に想像して共感してしまいます。「それはわかるけど、どうして酷い親や家族じゃなくて第三者に向かうんだ?」と思われるでしょうが、そんな家族を容認しているのがこの世界なので、憤りの矛先は「特定の個人」にとどまらず、「この世界にいるすべての人」になるのです)
幸い、今はまだ「その子を犠牲にする道をとることはおかしい」「今の家の中で一番理不尽な行動をとっているのはパートナーだ」、とパートナー以外の家族がわかっているのでギリギリその子は守られています。
ですが、もう本当にギリギリなんです。
パートナーがその子に怒るたびにとばっちりを受け続けて、私たちの気持ちはどんどん、その子に冷たくなっていきます。こればっかりは、「その子が悪いんじゃない」とわかっていても、とめられません。
「どうしてそこで大声を出すの」
「そうしたらパートナーが怒ると教えているし、今まで何回も怒られてきたのになぜやってしまうの」
「場を読んでよ」
とつい思って言ってしまいます。
(お気づきの読者様もおられるでしょうが、そんなことはアスペルガーの特性上無理な願いです。ましてやヒトケタのお子様にはもっと無理です)
そんなわけで、はたから見ていると「なんで毎回この二人は同じことでヒートアップするんだろう」「そろそろお互い学習したらいいのに」と思うようなことが延々と、本当に延々と、しかも悪化しながら目の前で続くのです。
今では「あぁまた始まった」という感じです。
何度も同じパターンが続けばフォローする私も疲れます。
ついなぐさめる行動も適当になってきます。
当たり前ですが、そうすると、その子の回復量は減ります。回復しきれない状態のまま理不尽な怒りを受ければ、その子の傷はどんどん深まっていきます。
(パートナーは特性上、どれだけ怒り狂ってもコロッと切り替わります。その子も表面上は切り替わるのでパートナーと仲良く過ごすのですが、傷は消えないのでどんどん深まっていくのです)
回復できなくなったらどうするか。
その子は、パートナーの行動から覚えた最強の行動をとるのです。
そう。その子も理不尽に怒りをまき散らすようになりました。大声でわめけば勝ちだと学習したのです。
パートナーだけではなく、その子もどうにかしなくてはならない対象になって、私と他の子の苦労は倍になりました。
だから戻れる間に、こうなる前に、この二人を引き離したかったのに。落ち着いた環境で「怒りをまき散らすのは迷惑なことだ」と教えたかったのに。
そう思ったところで言われるのは「あんたがその道を選んだんでしょ?」「さっさと見切りを付けたら良かったのに」なのです。
実際に骨折か後遺症が残りそうな身の危険を感じて、実家に私と子どもで別居させてもらったこともありました。
私はできれば、お互い落ち着くであろう半年くらい別居した状態を続けて、落ち着いた頃に戻れたらいいなと思っていましたが、実家の両親は子どもの賑やかさに耐えきれず、パートナーは家事に耐えきれず、別居は一ヶ月で終わってしまいました。残念なことに一ヶ月ではなにも変わりませんでした。
その時、私の両親に話を聞かれたその子は答えたのです。
「パパ大好き」
それを聞いた実家の両親は、「そう言ってるのを引き離すのも……」とほだされたのでした。
わかります。
普通に考えたら、親を「大好き」と言う子を親と引き離すなんて可哀想です。
でも、じゃあ、毎日「お前はおかしい」「しょうもないヤツだ」「お前には無理」などと言われ続け、蹴られ続けるのは可哀想じゃないんでしょうか?
そう言ったところで、その状況を目にしていない実家の両親は、「娘(私)が大げさに言っているだけだ」「きっと躾の範囲内なんだ」「たまたまそんな時があったくらいなんだろう」と思うわけです。ほぼ毎日朝晩だと話していても、です。
なにしろ、その被害者本人が加害者のことを「大好き」と言っているのですから。
確かにパートナーだって、ずっと怒っているわけではありません。一緒に穏やかな時間も過ごしています。
おそらく、その子は、「優しいときのパパが大好き」なのです。
だからそう答えたのだとわかっています。
誰からなんと言われようとも、後からその子やパートナーから恨まれたとしても、実家の両親から「人でなし」、親類から「夫婦が問題を乗り越える姿を見せないなんて」と
それが一番問題だったとわかっているのです。
でも、あのとき、その子が「大好き」などと言わなければ、さっさと別れられて、今の状態までこじれることはなかったのに、とつい思ってしまって、私自身がもう、その子がパートナーからの暴言暴力にさらされていても「自業自得だ」と思ってしまうようになりました。
そんな自分が怖い。
まだ私や他の子がその子に攻撃するまでにはいってないし、もしそうなったら他の子が止めてくれると信じているけれども、まさに毒親一直線な自分が怖いのです。
だから、自分自身が疲弊する前に、理不尽な状況に洗脳されきってしまう前に、行動を起こす方がいいです。
今生きている人生は個人の人生で、誰かのシナリオでも付属品でもありません。
そう頭ではわかっているのに、私はここから一歩も動けないのです。
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