12 超能力で
先に記述した部分で、「ADHDやアスペルガーだから悪いんだ」と書かれていると誤解されたかもしれないので、ここで補足します。
どちらの両親にも相談するときに、パートナーへの話の通じなさを説明するのに手っ取り早いからと、私は先にアスペルガーとADHDのことをメールで伝えていました。
これも悪かったのかもしれないなぁと今になって思います。
なぜか世間では、ADHDやアスペルガーと聞くと、そこで思考を止めてしまうのです。
私としては、それがわかるまで何年も遠回りしてきたので、親切で先に知らせて、「だから一般的な考えでは通じなかった。みんなの知恵や力を貸して欲しい」と、いうように伝えたつもりでしたが、『アスペルガー』『ADHD』という前提を聞いた時点で、「病気なら仕方ない」「病気は頑張ったら直るよ」「そんな病気をたてにして」みたいな反応でした。
いや、そんな話をしたいんじゃなくて……と説明したところで、それ以降の話は聞いてももらえませんでした。
この偏見みたいなのがあるので余計に話が通じない。
すごく不快な言い方をすると「社会不適合者として頑張れ」みたいな壁が作られています。
少し前の時代のアレルギーに対する反応と似ているなと思ったのですが、アレルギーより範囲が酷いです。
私の親の世代だけかと思ったらそうでもないのですよ。
私が学生の頃はADHDもアスペルガーも言葉としてありませんでした。
私の少し上の世代が子どもを産む頃にADHDという言葉が出始めました。
独身時代の私がバイトしていた先のパートのおばちゃんが「子どもがADHDと診断された」と暗い顔で話してくれました。
当時の私は全然わかってなくて、「だからどうしたんだろう? 死ぬ病気じゃないんだよね?」という感想しかありませんでしたが、本人や親にとっては診断されたこと自体がショックだったようです。
昔、いくつかのママ友グループが集まったときに、メンバーがそろったかどうかくらいで、脈絡なくいきなり「あなたはADHDだよね」と言われたことがありました。
当時の自分は意味もわかっていなかったし、当時の私の現状が、子どもが肉体的に骨折するのが先か精神的に死ぬのが先かで頭がいっぱいで、ぶっちゃけママ友つながりは二の次三の次で、再びそのグループと会うこともなく深く考えることもありませんでしたが、いきなり先制攻撃をかけてマウントとりに来てたんだなぁと今さら思います。
つまり少なくとも、私の親から私の世代まで偏見があるわけです。
(アレルギーへの偏見は古い世代ほどあって新しい世代になるほど少なくなっていた)
まず誤解されていそうなのですが、おそらく世間でのADHDとアスペルガーのイメージは、クラスや職場にいる空気の読めない困ったちゃんかと思いますが(そしてその対応に苦労させられている立場の方からしたら、本気で頭の痛い相手だとは思いますが)、それだけじゃあないんです。
最近は、有名人がカミングアウトしていたり、いわゆる歴史上の人物がそうであっただろうと言われていたりしますよね?
(わかりやすい人物だと、発明王であるエジソン←自分でニワトリの卵をあたためたり、泥団子で「1足す1は1ですよね?」と先生に見せたりや、音楽家のモーツァルト←素晴らしい音楽が頭の中で完成しているけどプライドの高い人への対応がうまくない、などです)
精神科で判断基準として使われているテストがあって、そのテスト結果が全体的に横並びではなくて、上下に大きく幅があると(できる項目とできない項目で数値差が一定以上あると)、ADHDやアスペルガーとなります。
なにが言いたいかというと、基本値が平均以下の場合もあるけれども、全体的に平均以上の場合もあるのです。
だからクラスや職場の困ったちゃんでもあるし、キレキレ上司や名のある起業家でもあるのです。
どちらにしても、一芸に秀でた人たち(芸術家とか職人とか起業家とか)って、だいたい尖った天才系ですよね?
生活力や常識のあるなしの程度の差はあれど、ADHDやアスペルガーは、やっぱり私の中では天才系、時代を大きく動かす力を持っている人たちです。
むしろ職人や芸術家など専門職では、その特出した部分が必要なのだろうと思います。
発想が違っていたり、長時間一点集中できたりする人は空気を読まないだろうし、逆に数十年くらい先読みできるだろうと思うのですよ。
なにが言いたいかというと、私自身が「ADHDやアスペルガーが憎い」と思っているわけではないのです。
私は「ADHDやアスペルガーへの偏見が憎い!!」のです。
かといって、「だから優遇しろ」と言いたいわけでもないのです(「アスペルガーだから無理」とか言われると「無理なりの努力はしてよ!」と思います←それこそ無理かもしれないけれども思ってしまう)。
「ADHDやアスペルガーの近くにいる人間が苦労しているのを本人や周囲にわかってほしい」のです。
勝手な想像ですが、過去の偉人のそばにいた家族や弟子は相当苦労していても、「まぁ偉人だから仕方ないな」という感じになっていたんじゃないかと思っています。
昔の異国でならそれで通ったのかもしれませんが、現代日本では、どちらかというと、出た杭をへし折りにかかっている感じがします。
なんでなかったことにしようとするのかがわからない。
隠すから、誤解というか、偏見がはびこって、そばにいる人間がいらない苦労をするのでは。
そして軋轢は「ADHDやアスペルガーだから」というよりも、「一般的な反応が返せない」ところからうまれているように感じます。
ぜひ新しい制度を作って正しい知識を全体的に行き渡らせてほしい。
たとえば、小学校入学時くらいで全員テストを受けて、能力値で万能系(多数派)か天才系(ADHDやアスペルガーなどの少数派)かを見極めたうえで、それぞれに適応した対人・仕事・家族・子育てとパターンごとに「お互い傷付かないコミュニケーション方法」を学校で教え込んでほしい。
わざわざテストするのは、自分の特性を早いうちに自覚できたほうがいいからです。
お互いに、それぞれできないことや難しいことがあるという癖みたいなものを、物心つく幼いうちから相互理解して「違う特性を持っている人たちがいることが当たり前」となれば、「お互い配慮するのが普通」という方向に意識が変わるのではないかと考えています。
あと、出産前にママだけじゃなくて、パパ教育みたいなのも必須にしてほしい。
出産前じゃあ遅いかもなので、できれば学生時代に2回くらい万能系天才系を集めて結婚生活や産後の生活についての授業を必須にしてほしい。
(今すでに「赤ちゃんがうまれる神秘」みたいな内容の授業はあるようなので、できれば、それに加えて、産後生活にふみこんだ内容を追加してほしい)
男性は天才系が多いらしく、天才系の人たちに複雑なパターンの塊である子どもと狭い空間での生活はかなり苦痛をともなうようです。苦痛を感じながら普通に過ごしてほしいというのは拷問に近いと感じました。
(パートナーは音に敏感なアスペルガーなので子どもの声がすでに耐えがたいらしい←敏感な人にとってはパチンコ店内くらいの賑やかさに感じるようです。私が元気なうちは『子どもの声が不快』という感覚自体がわからなかったけれど、病んでからようやく少しわかりました。確かに大音量で話し続けられると、音量を落としてくれるか少し黙って欲しいと思います)
だから、子育て期間に大人が利用できる、合宿できるというか、ちょっと避難できるような施設を作っていただけたら本当にありがたいです。確実に静かに過ごせる場所があるだけで、良好な関係でいられそう。
理想は、カウンセラーがいて、いつでも雑談や相談ができて、お茶が飲めたり泊まれたりできる、公共の実家みたいなリラックスできる場所があってほしい。
(可能なら子どもを1時間だけでもみてくれる場所も併設してくれたら最高です)
親が冷静に戻れるような場所があれば、お互い傷つけ合って「これが当然だろ」みたいなひどい状態にならないんじゃないかな、と。
一緒に暮らすのを強要するのではなくて、子どもに攻撃しない範囲で離れて暮らして、顔を忘れられないくらいの頻度で行き来してもらって、子供の存在に慣れてきたくらいか、成長した子どもの言動に耐えられそうになったら、また一緒に暮らせばいいのでは?
その施設を利用する間は、掃除洗濯調理などは持ち回りで(利用者が自分で維持する)、寮長みたいな人が生活のイロハや家事を教えてくれて、利用するだけで自然に生活力を身につけられたら最高です。
そういうのを各家庭で教えられたら一番良いのですが、家族が言ったところで話を聞いてもらえない可能性が高いので(なぜか『家族は下の存在』という認識があるようなので)、もうその道のプロの先生から「生活や家事とはこうするものですよ」と教えてもらえた方がすんなり覚えてくれそうだと思いました。
もちろん、産前産後一緒でも負担にならない方は一緒に子育てしてくれたら嬉しい。
ただ、矛盾しているようですが、いかにも「イクメンこそ正義」な空気はやめてほしいのです。
女性だって、全女性が「子ども大好き」じゃないですよね? 子育てより仕事が好きなタイプだって、子どもはノーサンキューなタイプだっています。
「イクメンこそ正義」という空気だと、「期待にこたえなくては」と男性は健気に頑張ってくれますが、イクメン行動が苦手な男性だっています。
全男性がイクメンにならなくていいんです。できることだけやってくれたら、それだけで。いえ、特別なにかしなくとも、こちらのやる気を削がないでいただけるのがなによりの助けです。
さきほど「家事を教えてほしい」と書いたけれども、決して「完璧にできるようになってほしい」わけではありません。流れを事前に知ってくれるだけでいいんです。
すでにあちこちでネタにされているので、ご存じの方も多いと思いますが、家事の絶対量だけを集中して片付けるのと、合間あいまに子どものお世話をしながら家事をこなすのでは、気持ちもかかる時間も全然違います。
子どものいる一日の家事の流れをなにも知らないで無神経発言されたり、明後日な方向に手伝って「オレはこんだけやってやってんのに!」と逆ギレされたりは、おそらく『子どものいる生活』や『子ども』を知らないからだと思うのです。
知らないだけなら、まずは知ってもらいたい。
どこかで、お仕事中に電話が頻繁にかかってくる疑似体験をおこなったそうです(家事を仕事に、子どもを電話におきかえています)。
被験者は、子どもズバリな内容でなくとも、「たびたび電話に中断されるから仕事に集中できなくてイライラした」「電話がかかってこなかった時よりも仕事に時間がかかってしまった」ということを身を持って理解していました。
そういう実感のこもった経験がないと、「なんで1日家にいてなにもしてないんだ」という発言につながってしまいます。
あちこちでネタになるくらいだから、そろそろそんな発言は下火になっているかもしれません。
家事に対して散々文句を言うのは、あなたが家族から仕事内容にダメ出しを受けているのと同じです。
仕事内容にダメ出しされたら「よく知りもしないくせに勝手なこと言うな!」と思いませんか?
もしあなたが懸命に働いている仕事に対して、頻繁に家族からけなされたらどう思いますか?
そんな家族のために働きたいと思えますか?
私はだんだん家事をしたいと思えなくなりました。
子育てあるあるネタにされていることで、きっと少しずつみんなの認識も変わってきていると思います。
そろそろネタからズバッと切りかえる方向に進んでほしい。
無理して手伝ってほしいのではなく、ただ、お互い傷つけ合いたくないだけなんです。
だから、「子どものいる生活の流れ」を知ってほしいし、「親がいつでも一人になれる避難場所的な寮のような場所」があるだけで、かなり違うと思います。
夢みたいな話だし、その維持費や使用料とかはどうするんだって話ですが、需要はかなりありそうなので、なんとか安めにできるんじゃないかなぁ。
独身寮みたいな子持ち寮(だけど利用者は大人のみ)な場所があったら、そこで「子どものどこが耐えがたい」と誰かと話せることでガス抜きできるかもしれません。距離をとることで落ち着いた状態に戻れたら、私や、私と似た状況にいる方の問題はほぼ解決します。
(「さっさと別居したらいいだろ」って話ですが、経済的に別居できない。パートナーが実家に帰れる人はそれも良さそうですが、うちは諸事情でそれもできない)
そんなふうに落ち着く場所を確保し、世の中全体で、通じないという事実や、通じやすい対応方法など、お互い周知の事実になれば、「こういう反応が(多数派の)普通なのに、なんで(少数派は)そういう風になっちゃうの!」という無駄な
周囲が理解してくれたら、対応しているカッサンドラ側が無駄に傷付くこともないはず。
長々と妄想を語ってすみません。
でも、ちくちくネタ出しもいいけど、多くの人がネタに共感するということは困っている人がいるということで。大勢が困っているのなら根本的な解決に乗り出してもいいのではと思うのですよ。
「そんなこと言われても自分には関係ない」な方もいらっしゃるでしょう。
ADHDやアスペルガーについての講演会で聞いた話を少し書きます。
「棚の後ろに物を落としたとして、あなたなら、どうやって取ろうと思いますか? ①棚を動かす②細長いなにかを使う③超能力を会得して取る」
とりあえず「③だけはないな」って思いますよね。
「おそらく、①か②を選択されると思います。多数派の方が少数派に『多数派と同じようにして』と言うのは、③を望むのと同じなのです」
え?
つまり「あなたは不可能なことを望んでいるのだ」というのです。
「あなた(多数派)が普通だと思っていることを少数派に求めないでください。それはあなたが超能力を使うくらいに不可能なことなんですよ」
現在、超能力を使える人が地球上にいるとは思うのですが、少なくとも私は日常的に念力やら瞬間移動やらを使えません。
家の棚の後ろに物が落ちたら50センチ物差しで取ります。
「今から超能力を使えるように修行する!」とは思いません。
それなのにパートナーに「超能力を使えるようになれ!」と言い続けていたのが自分?
もし私が、周囲から「自分ができるから」「普通だから」って「超能力を使えばいい」と強要されたら……。
いや無理だから。いくらみんなが使えても、私は使えないから。
すごいパニックになりそうです。
それが今の少数派の状況だ、というのです。
おそらく、少数派の家族は「なんであいつに超能力を使わせないのか」と周囲から責められます。
家族は躍起になって使わせようとします。『超能力を使えるのが普通』だから。
でも使えない。
『努力してどうにかできるものじゃなくて不可能』だから。
不可能なことを可能にしようとしたって、無理なものは無理なんです。
本人も家族も疲れ切ってしまうだけです。
本人は「超能力は使えないと言ってるのにどうして強要されるのか」と思うだろうし、家族は「超能力を使うのが普通なんだから使ってくれたらいいのに」と思う。そのうちお互い「自分のことをわかってくれない」となってしまう。
その講演会を聞いたときに、初めて、「不可能なことを強要していたなんて酷いことをしてきたな」と思いました。
なにしろ私自身が、周囲から「なんでパートナーを変えられないんだ」と散々責め立てられていたので、不可能なことを強要されることがどれだけしんどいか身にしみていたのです。
もしここで、『超能力を使えない人もいる』とわかっていれば、周囲だって家族だって強要しないでしょう。
「超能力じゃない別の方法で取ればいいよ」となるはずです。
うっかり『超能力を使えるのが普通』という前提があるから困った状況になっているだけです。
『超能力を使えない人たちもいる』という事実をみんなが知っていれば、誰も強要しません。他の方法でなんとかしましょうって方向になります。
アレルギーと一緒です。
卵に大丈夫な人もいれば大丈夫じゃない人もいる。
それだけです。
卵アレルギーの人に卵を食べるのを強要することはおかしいことですよね?
同じように、超能力が使えない人に超能力を強要することはおかしい。
その超能力を使えないラインを見極めて、お互い傷付かないようになりたい。周囲からも傷つけられないようにしたい。
それが私の思う「カッサンドラの世界線を壊す」ことです。
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