11 「自分がどうしたいかをよく考えて行動するといいよ」

 プツリと「今まで信じてきていた『話せばいつか通じる』は間違ってるんだ」と感じた瞬間から、じょじょに、今まで自分が正しいと思っていた子育ても、普段通りの家事もできなくなり、根本的に動けなくなってしまったので、相談範囲を広げていきました。


 その時はまだ『私以外の人ならきっともっといい方法を知っているはず』『その方法さえわかれば、きっとパートナーを変えられるはず』という希望を持っていましたが、その希望も、どんどん塗りつぶされていきました。


 まず問題点がどうしてか伝わらない。


 次に、当たり前のことかもしれませんが、自分以上に真剣にこの問題を考えてくれる人はいないのです。

 みんなそれぞれの家庭があって、それぞれの生活を送っています。

 当たり前ですが、一番大事なのが自分、次に自分の家族、という感じでしょうか。


 どれだけ丁寧に話したところで、第三者にとっては目の前の問題ではありません。

 言葉が通じていても、それこそ海の向こうで行われている戦争や、まったく見ることも行くこともないくらい離れた土地の飢餓問題と同じくらい遠い話でしかないのです。


 話を聞いてくれたとしても、当然ながら、その人それぞれの常識の範囲で答えが返ってくるので、私が感じているのと同じ気持ちを持ってもらえることはありません。


 なんとなく感じたのは、私の話を聞いた人は、今までの人生で知った似た話を無意識のうちに自動的に当てはめているようです。そしてそこで知った結論か、それに対しての意見かを返してくれるのです。


 不思議なのですが、私の


 だから、私が何回も解決できないからと同じ話をすると、不快に思われてしまいます。


「自分が知っている話ではこうすれば解決していたのに、どうして同じようにできないんだ」

「こちらはもうその話は聞いたのに、どうしてまた聞かなくてはならないんだ」


 自分が体験していない出来事は二次元の物語と同じ扱いでしかないのです。

 知っているパターンにはまっていなければ納得いかないし、一度知った話を何度も聞くのは苦痛なのです。


 どれだけ話しても伝わらないことで、勝手に期待していた分、私はすっかり絶望してしまいました。


 今までずっと、誰かのためになにかしたいという気持ちがありました。

 子どもが小さいうちは一番大切な期間だから、できる限りのことをしたい。

 パートナーとは恋愛結婚したのだし、以前のように仲の良い関係に戻りたい。

 どちらの両親や親類とも良い関係でありたい。

 

 誰かに相談すればするほど、そういった気持ちをことごとく否定されたように感じて、残っていた気持ちも少しずつ削り取られて消えていきました。

 崖から落ちそうになって、崖っぷちにかろうじて引っかかっていた指を外されていったような感じです。


 誰かと話したいと思えなくなりました。

 メールなどのやりとりも怖くなりました。

 なにしろどうしたって通じないのですから。


 ずっと根気よく問題につきあってくれていた友達が、半年も過ぎる頃になると、問題が起こった内容の最初の部分を読んだだけでオチまで予想できるようになりました。


「またこのパターンかー。うん。もう離婚した方が早いんじゃない?」


 私もそう思いました。

 でももう、その時には、そんな気力もなくなっていたのです。


 その頃になってようやく、早々に旦那様に見切りをつけて子どもを連れて家を出た先輩ママたちが、どれだけ先見に優れていたかがわかりました。


 私も、うっかり頑張らずに、ケイタイを投げつけられた時点で家を飛び出しておけば良かったんです。

 子どもや自身の尊厳を傷つけられたことに気づけなかったニブい私が悪かったんだなぁと思いました。


 どうしてニブくなっていたかと言ったら、実父から延々と「お前はダメなヤツだ」と言われ続け、それに耐えるのが私の『普通』だったからです。


 それと似たことを今、自分の子どもたちにし続けているのかと思うと(今の状況はまさに子どもに「自分は理不尽に怒鳴られる存在なんだ」と思わせ続けている)、ゾッとします。将来的に、誰かに理不尽に怒鳴られても「私は理不尽に怒鳴られる存在だから」と、状況がおかしいことに気づけない可能性を私は子どもに植えつけているのです。


 ケイタイを投げつけられた時点で家を飛び出しておけば、「離婚したいならもっと早く言って欲しかった」などと言われなかったことでしょう。

 たとえ「離婚してほしい」と過去に言っていたところで「メンドクサイから離婚しない」と返されたとしても、それでも強行的に別居か離婚しておけば良かったんです。


 「私は本気で不快なんだ」を全力で伝えれば良かったのか。

 私としては頑張ったつもりだったけど、きっとずっと中途半端なことをしてきたからこんなことになったんだ。

 あの時、「自分ができる限り頑張ろう」なんて思わなければ良かったのか。


 でもじゃあ、早々に見切りをつけた先輩ママがスッキリしているかというと、そうでもないようなのです。


 連絡のとれる、子どもと一緒に家を飛び出した先輩ママに相談したとき、てっきり「すぐ別れた方がいいよ」と言われるかと思っていたら、「自分がどうしたいかをよく考えて行動するといいよ」と言われました。


 それはその通りなのですが、もしかしたら、先輩ママも「家を飛び出さない道を選んでいたらどうだったか」と考えることがあるのかもしれないなぁ、と感じたのでした。


 私は飛び出さない道を選んで、飛び出さない道の苦痛を知ったからこそ「別の道を選んだ家を飛び出した方が良かったのでは?」と思います。


 でも、飛び出した道を選んだママは、おそらく周囲から、かつての私が思ったようなこと「我慢が足りないんじゃないか」「小さい子どもがいるのに」「両親がそろっていた方が良かったんじゃないの?」を散々言われるのです。

 もしかしたら私とは逆に、「私がもっと頑張っていればどうにかできたんじゃないか」と思うことがあったのかもしれません。


 結局、どちらを選んだとしても「もうひとつの道の方が良かったのでは」と思ってしまう。だからこそ、先輩ママは「自分がどうしたいかをよく考えて行動するといいよ」と言ったのでしょう。


 それは実感のある言葉だったので、すんなり自分にも響きました。

 

 どちらを選んでも、周囲からなにか言われ続けるのは変わらないのです。

私は自分が強くないので、周囲からやいやい言われ続けたら、最初は自分で納得して選んでいたとしても、後悔というか、別の道への心残りは消えない気がします。


 根気よく問題につきあってくれていた友達とのやりとりの途中で、自分がやってきたことを話した時に、

「そんなの全部できるわけないよ。そんなのできるの超人だけでしょ」

 と言われたことがあります。


 ある意味、「頑張りすぎ」とねぎらってくれていたのかもしれませんが、平たくいうと「息抜きしないで自分を過信したアンタの自業自得」ということでもあります。


 今まで私は、『誰かを助ける』『誰かを手伝う』『小さい子にはこうするべき』『主婦ならこうするべき』『パートナーには従うべき』『結婚したら添い遂げるべき』という『普通』だと思っていたことに縛られて生きてきましたが、どうやらそれらの前に絶対的な前提としてあるはずの『自分を大事にする』という項目が抜けていたようです。


 私はずっと誰かのためには行動してきたけれども、いつの間にか自分自身をずっとないがしろにしてきたんだなぁと思いました。

 私は無意識に私自身を無視してきたのです。

 10年間ずーっとないがしろにされ続けたら、そりゃあ、すっかり動けなくなりますよね。


 だいたい、私、家事、好きじゃないんですよ。

 掃除も、料理も、おしゃれも最低限できていればいいと思う方です。

 自分の母はそれはもう完璧にやっていますが、あれは私には無理です。


(それだけやってても父から文句を言われるんだから、やる気にもなれません。もし私が母と同じ立場ならとっくの昔になにもできなくなっていたと思うくらい、今でも散々言われています)


 どうして頑張って苦手な家事をしていたかっていったら、家族と気持ちよく過ごしたかったからです。


 でももう、いいや。

 もうこれからは、まず自分を大事にしていこう。

 誰がなんと言おうとパートナーの行動は変えられない。変えられるのは自分だけ。

 どんくさい自分が母と同じくらいにしようと思ったら、人生を捧げる勢いでないとできない。

 自分をないがしろにして捧げる勢いでやってきたら、自分の限界がきてしまった。

 もう能力以上に頑張るのはやめて、どんくさい自分ができる範囲だけでやっていこう。

 子どももそこそこ大きくなったんだから、家事だって任せればいい。


 そこまで気づけて決心しても、やっぱり動けない自分が情けなくてたまりません。


 その頃には色々あって、ずいぶんパートナーは落ち着いていました。

 じゃあ元のように戻れるかというと、私の中のパートナーへの気持ちがすっかりなくなっていて、「パートナーも子どもも自分もどうでもいい」としか思えなくなっていました。


 落ち着いているとはいえ、パートナーはやはり機嫌が悪い時、寝不足の時に怒鳴ります。些細なことで声を荒らげます。


 その怒鳴り声を聞く度に「目の前から消えてくれないかなぁ」と反射的に願い、「あぁそんな風に考えちゃダメだ」と否定するという繰り返しで、途中から繰り返しに疲れて、「むしろ自分がいなくなった方が早いんじゃないか」「こんなネグレクトな毒親いない方がいい」「死にたい」という思考になっていきました。


 私の存在が消えるのはいい。

 でもじゃあ、子どもは誰が面倒みるんだろう?

 パートナーは無理だから両親かな。

 うーん。心配しか無いけど、こんな私よりもマシだろう。


 死ぬ前に、これまでのことを、どれだけ話してもうまく話しきれなかったから、まとめて書いておこう。


 書いたところで、14年間も真剣に考えて悩みながら頑張ってきたことを、周囲からは、まったくなにもしてこなかったみたいに言われるのはわかっています。

 どうやったって、好き勝手に言われるのはわかっているけれども、自分が頑張ってきたことをどこかに残しておきたい。


 それが今の自分のしたいことでした。

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