10 「話す相手を考えた方がいいですね」
いくつか友達に相談した話を例にあげてきましたが、きっと「さっさと専門家に相談したらいいのに」と思われたのではないかと思います。
もちろん私だって、いきなり友達に相談したわけではないのです。
確かに最初はさりげなくママ友に「パパとの関係はどんな感じ?」と聞いたことはありますが、ガッツリ相談したことはありませんでした。
まず最初に、子どもが産まれてから2年経った頃に、自分の親に相談しました。
夜中に泣き叫ぶ自分の子どもにパートナーから「うるさい!」とケイタイを投げつけられ、子どもに当たって余計に号泣したことで、「人としてどうだろう」と感じ始めて、「離婚を考えている」と自分の実の母に相談したのです。
母は、どうして私がそう思ったかの詳細を聞かずにこう言いました。
「浮気、借金、ギャンブルをやっていないのなら、簡単に離婚しない方がいいよ」
正論です。
私だって好きで結婚した相手です。
初めての子育てに、パートナーはとまどっているだけかもしれません。
若干もやっとしたものは残ったものの、確かにその通りだと思いました。
それと自分が要領のいい人間ではなくて、今までに夫を置いて子どもと家を飛び出した話を聞いた時に「それだけで『あなたとはやっていけません』って言われるのは厳しいな」と思っていた当時の私は、できる限り頑張ろうと思ったのです。
(今では、まともな判断力と気力が残っている間に即断して行動にうつせるのは素晴らしい! と思っています)
それで自分も子育て講座みたいな場所があれば通ったり、無料相談があれば相談したりするようになりました。
そういう場所で話を聞いてもらいながらも、それでも、泣いている子どもの耳元で「聞こえてるんか! うるさい! 黙れ!」と怒鳴るのをやめてほしい、とにかく汚い言葉や怒鳴るのをやめてほしいと何度お願いしても聞いてもらえず、いくら「悪影響になるから」と説明しても止められないので、やっぱり離婚の方に気持ちが傾いた時に、その子の通う幼稚園の無料カウンセラーに相談してこう言われました。
「世の中のほとんどの主婦がパートナーに不満を持っています。その場合、取る道はみっつあります。①離婚する②状況を変える③我慢する、です。もし離婚するのなら、先に仕事を探した方がいいですよ」
その通りだと思いました。
仕事を探している間に2人目の妊娠がわかり、①離婚する、はあきらめて②状況を変える、にするしかないのか、と思いました。
それから今まで以上に子育て系の本を読んだり、子育て系のテレビ番組を見たり、無料子育て相談があれば相談するようになりました。
パートナーが子どもと一緒に出かけようとしたら、子どもがおびえて玄関にしがみついて泣き叫んで嫌がったことで、ようやくパートナーも危機感を覚えたらしく、2人目が産まれる前後にパートナーも一緒に子育て講座に通ってくれました。
その頃が一番おだやかに過ごせたので、私は勘違いをしてしまったのです。
(子どもも2人目だからきっとパートナーも子育てに慣れてくれたんだな)と。
子育て講座が終わってしばらくしてから、前以上に怒鳴るようになって、子どもに慣れたと思ったのは勘違いだったと後からわかりました。
子育て講座に通っている間、「こうしたらいいよ」というわかりやすい見本にふれている間は、まさにその通りの理想的な親だったのが、見本にふれていないとすっかり元の状態に戻ってしまったのです。
子どもに慣れたわけではなかったか。
それまで受けてきた子育て講座では「困った状態の子どもに対する親の対応方法」で、確かに普通の子育てではその通りなのだろうとは思うのですが、私の知りたいこととは、どこかずれているように感じていました。
(確かに私は子どものことで困っているのだけど、困っているのはそこじゃない)と。
2人目を出産するときに、私の実家に1人目をあずかってもらっていました。
その時、パートナーも実家に泊まり込んで、朝夕ご飯をいただいていたようです。
びっくりしました。
なにしろ、私は実家に「1人目をあずかってほしい」と話してはいましたが、パートナーのことは頼んでいなかったのです。さんざん子どもに「うるさい!」と言い続けているのだから、てっきりパートナーは静かで自由な1人暮らしを満喫するものだとばかり思っていました。
実家もびっくりしたそうです。
そりゃそうです。
事前に「子どもと一緒にパパもお願いします」などと話していたわけでもなく、いきなり当然のように泊まられて、朝夕ご飯も食べていくのですから。
(パートナーから実家への「お世話になります」などの挨拶もなく、最初は私がパートナーを泊まるようにさせたのだと実家に思われてさえいた)
でもその時に、子どもに対するパートナーの態度を目の当たりにしたことで、2人目を出産後、両親から「子育ての方針についてパートナーとよく話し合ってるの?」ときかれました。「食事する間中、子どもを監視しているみたいに睨んでいたよ」と。
この時の私の心境は「いまさらなにを言っているのか。すでに何回も話したよね?」です。
私は3年ほど前に、「どれだけ怒鳴らないで欲しいと話しても通じなくて困っているから離婚したい」と母に話したつもりでした。
それが全然通じていなかったのです。
(母の記憶にも残っていないようでした)
ちなみに、その後も何回か両親に話そうとしましたが、私の話の途中で父に話をさえぎられて「家庭とは問題を乗り越えていくものだ(ささいな問題でガタガタ言うな)」という一般的な正論を語られて終わっていたので、私の言い分を最後まで聞いてもらえたことは一度もありませんでした。
きっと「子育て初心者がおおげさに語ってる」と思われていたのだと思います。
それで、今回初めてまともに聞いてくれる雰囲気になったので、あらためて「パートナーには今まで散々お願いしてきたし注意もしてきた。子育て本などを渡してもきたけれど、わかってもらえなくて困っている。一時期は離婚しようと思ったが、2人目ができたから、離婚せずになんとかしたいと思って言い続けている。でももう私が言ってもきいてくれないから、良かったら、それとなく注意してくれないか」と頼みました。
第三者から言われたら聞いてくれるかな、と思ったのですが。
結論から言うと、これは大失敗でした。
パートナーの心の中で、私の両親も敵認定されただけでした。
もはや私と私の実家はパートナーにとって敵となり、話を聞きたくもない相手に成り下がったのです。
(これはもともと私の実家とパートナーが不仲だったからで、もともと信頼関係の高い相手だったら、すんなり聞いてくれるかもしれません)
しかもパートナーの態度があからさまによそよそしくなったことから、パートナーと私の実家の間には深い亀裂が入りました。
もともと、すごく仲が良かったわけでもないので、それは別にいいのです。
困ったのが、子どもを実家でみてもらうと、あからさまに文句を言われるようになったことです。
誰が自分の親への文句を第三者から聞きたいでしょうか。
それに実家にあずけられなければ、結局、私一人が子どもをみることになるのです。
(大声で頻繁に怒鳴るパートナーは子どもに怖がられているので、誘っても子どもはよっていかず、選択肢が実家とパートナーの二択だと実家が選ばれる。それに対して「生意気な!」と怒るという悪循環)
別の子育て講座で知り合ったママ友と話をしたところ、うちとほぼ同じ状況だとわかりました。
パートナーの言動がひどくて、子どもがその影響を受け、フォローは全部自分。そんな環境をどうにかしたくて頑張って色々試しているものの、今のところ成果が続かない。どうしたらいいんだろう。
ここまで同じ状況の人は初めてで、とても親近感がわきました。
「話をわかってくれる人がいた!」と思いました。
その家庭は頼れる実家が近くにないことと、子どもが男の子な分、うちよりも苛烈な状況だからか、私よりもよほどキッチリしているママなのですが、いつも疲れているのか「表情のないママだなぁ」といった印象でした。
(今思うと、そのママはすでに多くの感覚のスイッチが切れた状態でギリギリ動いている状態だったのだと思います)
そのママ友は「私、前世でなんか悪いことしたんかな? って思う」と話していました。
そう思ってしまう気持ちが痛いほどわかりました。
私自身、「今生のテーマは『愛でパートナーを変えることを実践すること』なの?」と思っていたからです。
(それまでの私は心の底からスピリチュアル系を信じていましたので。今は、スピリチュアル系ができるのは心の余裕のある人か、宗教的な方だけだと思っています←スピリチュアルや宗教をバカにしているわけではなくて、愛の供給源があるというか、信じることで守られているという絶対的な存在があるという意味です)
昔からの友達に「今生のテーマは『頑張らなくちゃいけないと思うことをやめること』かもしれないよ」と言ってもらえて、とてもほっとしたのを覚えています。
今考えると、前世だの今生のテーマなどは、実際に前世を見たわけではなく、ただの自分勝手な思い込みでしかないのですが、追い詰められた状況に長くいるママ友と私は、そうでも思いこまないとやっていられないくらいにしんどくて、「だから頑張るしかないんだ」と自分に言い聞かせていたように思います。
そんなママ友から、初めてアスペルガーについて話を聞きました。
「『夫さんはアスペルガーかもしれない』って友達に言われた」と。
当時の私は「アスペルガーといえば天才」という認識しかありませんでした。
『裸の大将(山下清という画家をモデルにしたドラマ)』を長い間見続けていたことと、たまたま『ギフテッド(だったかな? 一度しか見ていない景色をあとから絵に描ける海外芸術家のドキュメンタリーみたいなの)』という番組を見たこともあって、今で言うADHDもアスペルガーも、芸術方面に特化した一種の天才だと認識していました。
ちょうど3人目を出産した病院で無料カウンセラーを受けることができて、パートナーについて相談すると、保険センターのほうで詳しく話を聞いてもらえることになりました。
出産後に、保健センターで精神科医に相談したところ、「おそらくアスペルガーだろう」と言われました。
でも、いったいアスペルガーと今の状況がどうつながるのか、当時は全然わかりませんでした。
でももし、パートナー本人の方が少数派(天才は少数ですよね?)な人間だと自覚してくれたら、私が言う「子どもに怒鳴らないで」という内容が一般的(多数派)だとわかってもらえるかもしれない、と私は思いました。
なにしろ名も無い私が勝手に言っているのではなくて、正式なテストを受けた結果を、ちゃんとした医師が告げてくれるのですから。
パートナー自身が少数派だとわかれば、多数派である一般的な対応に合わせてくれるのではないか、と期待したのです。
それで検査を受けてもらうことにしました。
結果的に、パートナーはアスペルガーとADHDだとわかったものの、本人はまったく納得してくれませんでした。「だからなんだ?」という感じで、私が期待したような変化はなかったのです。
むしろ、「あの医師は信用できない」と言いだし、病院も変わりました。
それでも投薬が指示されて飲んでくれていたところ、言動が穏やかになったので良かったと思っていましたが、薬を飲むのが相当なストレスだったらしく、再び荒れていきました。
ちょっとよくなって、今度こそと思ったら、また戻る。
またこの状況です。
月に2~3回のサイクルでそうなって、二重人格のようにも思える態度に私や子どもたちは振りまわされるのです。
特別よくなるわけでもなく、薬を飲んでいるのに、薬を飲むストレスで荒れていく状況で(転院先の病院がやたらと薬を増やしていた)、私とパートナーの仲も、パートナーが子どもに対する言動も、悪く激しくなっていきました。
毎日、パートナーが一緒にいる朝晩の食事時は誰かしら子どもが泣かされてしまいます。
話せば高確率で怒鳴られるので、ほぼ黙って食事しているにも関わらず、ちょっとでもこぼしたり、うっかり落としたり音を立てたり、苦手な食べ物を申告しただけで、今まさに道路に飛び出して車にひかれそうになった子を「危ないっ!!」と引き止めるくらいの音量で怒鳴られます。
子どもはもちろん、私もビクッとしてからだが浮くくらいです。
入学式、発表会など、なにかしら特別な日は特にピリピリしていて、ある入学式では服を着るのを渋った子に、パートナーが無理矢理着せたことで腕が抜けて号泣されたこともあります。
私はずっと、どうにかしたい、きっとどうにかできると思い続けて、毎回まいかいパートナーと子どもの間に入って、パートナーには状況の解説を、子どもにはフォローをし続けてきました。
(特に子どものイベント時なんて思い出に残るのだから、できる限り楽しい思い出になるようにと、私は必死に笑顔をつくってはしゃいでいました)
テストを受けた精神科や、お世話になった保健センターにも通い続けて状況をできる限り詳しく説明して、どうにかできないかも相談し続けました。
おそらく「そういう公共の窓口に相談すれば、すぐにどうにかできるんじゃないの?」と思われるのではないかと思います。
私もそう思っていました。
テレビ番組などで「困った状況の方はまずこちらに相談してください」と紹介されているし、「そういう窓口なんだから、きっとすぐに解決してくれるはず」と、勝手に思い込んでいました。
精神科でカウンセラーと話したらすぐに解決するだろう。
児童相談所に相談したらすぐに解決するだろう。
私もそう思っていましたが、違うのです。
確かに精神科でも保険センターでも児童相談所でも話は聞いてもらえます。
(「カウンセラーに相談」は別料金なので、有料のカウンセラーに相談したことはありません。無料枠なら何回もあります)
保健センターの女性相談員の方からは、提案してもらえました。
いきなり離婚は難しいから別居から始めてはどうか。
シェルターに入ったらどうか。
実家に戻ったらどうか。
色々提案してもらいましたが、別居や離婚をするには子どもが小さくて私が働けず。
シェルターに入るには、私の精神状態だとオススメしないと言われ。
(続けて子どもができたことで極度の睡眠不足なうえ、怯えている状況で、精神状態が大変悪かった)
実家に戻るのも、私が精神的にキツい(パートナーとは別の方向でまったく話を聞いてもらえないから)のと、おそらく高齢な実家の両親の体力も精神力もひと月くらいしかもたないということで戻れず(小さな子はにぎやかなのでずっと一緒にいるのは高齢者の負担になる)。
つまり、相談はできるのですが、解決までいくかというと、それぞれの家庭環境によって、解決したりしなかったりになるのです。
もし私が出産直後でなかったら、相談したことで、すぐに別居して働けていたかもしれません。
もし私の精神状態が良好であったなら、シェルターに避難できたかもしれません。
もし私の実家がまっすぐ話を聞いてくれる両親であったなら、実家にうつることができたかもしれません。
でも、たまたま当時の私は出産直後で環境も叶わず、それらの方法を選べない状況でした。
だから相談はできても状況は変えられなかったのです。
変えられない状況のまま4人目出産のための入院で滞在した病院での6日間は、本当に穏やかで幸せでした。
大人は誰も怒鳴らないし、子どもは泣かない(新生児のお世話してほしい泣き声と、悲しみや悔しさで泣き叫ぶ子どもの声は全然違います)。
周囲にいる看護師さんも医師も話せば言葉が通じる。
どれだけほっとしたか。
今更ながら、家の状態が異常なのがよくわかりました。
(2人目出産時に実家ともめたので、3人目出産時から出産直後でも実家でお世話にならず、預かってもらっていた子どもを引き取って、家にすぐさま戻るようになっています)
一旦しんどい状況から離れたことで、普通の感覚が少し戻った私は、「これまでやんわり言ってきたことをハッキリ言うようにしよう」と思いました。
今まで自分は、両親から散々「相手のことを考えて発言しなさい」「言葉は刃と同じだからていねいに話しなさい」と言われ続けてきたので、否定的な言葉を使わないように、たとえ間違いを指摘する場合でも遠回しに伝えてきました。
でも、どうやらアスペルガーには遠回しな表現だと伝わらないらしい。
それならハッキリ言った方がいいのかもしれない。
おそらく、こちらを読んでくださっている方も、「そうだよ、むしろなんで今まで言わなかったの?」「さっさとガツンと言えば良かったのに」と思われていたかもしれません。
そうしてハッキリ言った結果、今までパートナーは子どもたちには手を出しても、私にだけは出さなかったのが、乳幼児を抱っこしていた私を蹴って「言ってもわからないなら、次からは蹴る」と私と子どもに宣言し、言葉通り以前よりも頻繁に子どもを叩くか蹴るようになりました。
それで「今まで信じていた方法ではどうしようもないんだ」「私の考えは間違っていた」と嫌でも体感することになったのです。
自分の中にあった、「頑張ればいつか通じる」「誠実に対応すればいつか伝わる」という気持ちがプツリと切れたのがわかりました(実際に耳の奥で音がしました)。
困った状況になってから頑張り続けて10年目のことでした。
(これは私が頑張ってどうにかできる問題じゃないんだ)
(私のできることはやり尽くした)
(もうこれ以上、なにをどうすればいいのか私には思いつかない)
無というか虚無というか。
その時から、現実に対して、まったく気力がわかない状態になりました。
これだけ時間をかけて、様々な方法で伝えようとしても、誰にも伝わらないのかーー。
絶望に近い感覚でした。
それでも、まだ私は、どうにかできると思っていました。
(今の状況は私だけでどうにかしようとしてきたからダメだっただけだ。もっと違う人に話を聞いてもらって、私には思いつかない対処法を教えてもらえれば、きっとうまくいくはずだ)と。
それで、これまでは相談しても子育て広場とか、無料カウンセラーとか、ボランティアっぽい場所ばかりだったけれども、相談する範囲を広げようと思いました。
今までは、なんとか自分の家庭内だけで解決したかったのと、一度詳しく話してしまえば次からはそういう目で見られるのがわかっていたので、実家の両親にも義両親にも問題を具体的に話して相談したことはありませんでした。
実際のところは、両親には何度も話しかけたのだけど、毎回、話の途中で子育て一般論を話されて終わるだけで、こちらの困っていることを話しきれず、そのうち相談しようとも思わなくなっていきました。
そんなことが何度もあったので、(おそらく、目の前で話したところで最後まで聞いてもらえないだろうから、お互いの両親にメールで内容を送れば、とりあえず最後まで読んでもらえる。最後まで読んでもらえればちゃんと伝わって、私が思いつかない良い考えを出してくれるかもしれない)。
(パートナーや自分の兄弟なら、もしかしたら同じ状況になっているかもしれないから、なにかいい案を出してもらえるかもしれない)
そう思って、どちらの両親親類に、まずはメールで相談しましたが、結論から言うと、やっぱり困っている部分を全くわかってもらえませんでした。
そう。すでにこちらで紹介してきたような反応だったのです。
「その相手を選んだのは自分でしょ?」「あなたの話し方が悪いんじゃないの?」「愛があれば大丈夫」です。
この時の心情を想像してみてください。
今、私は、自分の子が実の親に暴言や暴力をふるわれて困っていると相談しているつもりなんだけど、メンバーそのまま一時的に離れることなく場所も変えずにこのまま疲弊した私だけでどうにかしろと?
10年やってもできなくて、子どもは壊れかけてきているのがわかっているし、私の精神も限界だと話しているのに、まだ続けろと?
しかも、話し合いの場でパートナーが「仕事がツラい」と同情をひいたことで、「仕事のストレスからなら仕方ない」という空気で終わってしまいました。
(私としてはパートナーの親から「子どもに暴言暴力をしてはいけない」と言って欲しかったのですが「仕事が大変なら仕方ない」で流されて、義両親や本人から謝罪のようなものもありませんでした)
テレビかなにかで聞いたことがあります。
家庭内の出来事には、どうしてかみんなフィルターがかかってしまう。それがDVかどうかを見分けるには、「公共の場で同じことが行われていればどう感じるか置き換えて考えるといい」と。
つまり、今回のことを学校だとして考えると、
「クラスの生徒が、先生から『ほんっと頭悪いな!』『お前には無理!』など小馬鹿にした顔で言われ、泣けば『うるさい!』と叩かれる蹴られるなどの暴力を受けている状況」です。
もし会社だと考えるのなら、
「同僚が上司から『お前はおかしい!』『もういい。口きくな!』『黙れ!』など皆の前で怒鳴りつけられ、涙をこぼそうものなら『泣いて逃げるな!』と叩いたり蹴ったりされている状況」です。
それは仕方ないんですか?
上に立つ者の気分でやっていいことなんですか?
実際にそんな先生や上司がいたら、立場をかさに、私情で弱い立場の者をいじめているというか八つ当たりしているようなものだと思うのですが。
自分自身が当事者でなくとも、自分のクラスの友達や自分の会社の同期がそんな仕打ちを受けていたら、なんとかして止めたいと思わないものなんですか?
私は自分が被害者そのものではなくて、間近で見ているだけの立場でも「やめてよっ」と必死に止めるくらいには苦痛でした。当然、直接的な被害者である子どもはもっとしんどいと思います。
自分一人の力で止められなかったら、さらに上か、別の立場の人に相談しますよね?
(学校や会社なら、正式に監査機関みたいなのがありますよね?)
残念ながら各家庭にはそういう機関がないから、「どうにかしたくて頑張ったけど、どうしようもなくて困っている」と両親や親類に相談しているのです。
その回答が、「その学校(会社)を選んだのは自分でしょ」「止め方が悪いんじゃない?」「愛があれば大丈夫」なのですよ。
結局「お前が頑張ればどうにかできる。お前のやり方が悪いだけ」「お前のパートナーのことなんだからお前が面倒見ろ」なんですよ。
なんとかして止めようと10年やってダメだった、私はもうこれ以上できません、限界ですと説明しているにも関わらず、「その状況であり続けながらお前が解決しろ」?
それはどんなイジメ推奨学級でパワハラブラック企業なんですか?
そう思う自分がおかしいの???
どうにもできなかったから、このままだと壊れる、むしろ壊れかけているから相談しているのに、現状維持を求められる不思議。
しかもその後「みんなそろって話を聞いたからもう大丈夫になっただろう」となぜか思われ、「まだ大丈夫じゃない」という内容のメールを送ると、「まだ言ってるのか」とうっとうしがられる不思議。
きっと、その人たちは現場を見ていないからわからないんでしょう。
同じ空間にいなければ、私と子どもが毎日毎朝毎晩どれだけ神経を削られていっているかなんてわからない。
遠い異国で、戦争が行われていたり、餓死に苦しむ人たちがいたりする。そんな目に見える死と隣り合わせではない、少なくとも衣食住には恵まれた暮らしをおくっている私が、なに「しんどい」とか「限界だ」とか生意気言ってんだって話ですよね。
でも、つらいんです。
シンプルに表現するなら「言葉の選び方が酷い」だけなのですが、日常生活の些細な事柄に休む間もなくいちいち皮肉や蔑みの表現を聞かされるのは、かなりつらいです。
それを言葉を覚える時期の子にあびせ、あまつさえ暴力までしていると、目の前にいる血の繋がった相手に、同じ国の同じ言葉でうったえているのに。
報告メールを送らなければ「問題は解決した」と思われる。
かといって「まだ解決していない」と送れば「なんでできないんだ」と言われる始末。
いやだから、「なんでできないのかわからない」って、10年やった私が言ってるんですよ?
それが相談内容そのものじゃないですか。
10年やってもできないから、年長者の身内に相談したんだけど、その相談の根本がなんでか伝わらない。
結局「それはお前のやり方が悪いんだろ」にしかならなくて、逆に笑えてしまいます。
同じ国に暮らしていて頻繁に会っている血縁者でありながら、遠い異国と同じくらいの距離感を感じました。
もう説明するのに疲れたので親類関係とは顔も合わせたくないし話もしたくないです。
(でももちろん、そんなわけにはいきません。会ったところでこの話を私からしなくなったので、きっと勝手に「解決したんだ良かったね」と思われていると思います)
時間をかけて考えてわかりやすい文章をこころがけて、これ以上はないほど真剣にメールを書いて送っても伝わらないから、メールのやりとりが怖くなりました。
もしかして、私の文章が相手に届く前に改ざんされているのではないのか。
相手の文章が私に届く前に誰かに改ざんされているのでは?
そんな妄想に囚われるようになりました。
もちろんそんなことないのはわかっています。
おそらく、そうい風に考えた方がまだマシなんです。
必死にうったえている内容をことごとくスルーされるなんて、わかりやすいありえそうな他の理由があってほしいから妄想が暴走しているだけです。
(実際は、ただ単純に相手にこちらのしんどい状況が1ミリたりとも伝わっていないだけ、もしくは、相手がこちらの状況をわかっていながら、面倒事に巻き込まれたくなくてすっとぼけているかのどちらかだと思います)
その後、いわゆるDV相談にも電話しましたが、「子どもに対する内容なら児童相談所に相談してほしい」と言われ、児童相談所に電話相談すれば「精神科にかかっているならそこに相談してほしい」と言われ。
まぁわかります。
DVや児童相談所を扱った漫画を読んだ限りでも、もっと緊急で切羽詰まった困っている人たちが世の中にはたくさんいますもんね。
今すぐ刺されるとか(言葉では「殺したい」「殺しそうだから出て行け!」「勝手に死ね!」など言われたこともありますが、実際には一度も刺されていないし、子どもが軽いケガをしたり過呼吸になったりはあっても、骨折まではしていない)、数週間も食べ物がなくて餓死しそうとかじゃない。命に関わらない私の相談事なんて聞いてもらえなくて当然ですよね。
すでに精神科には相談しているけれども、どうにもできないから他にも相談しているのですけどね。
(自分もこうなるまでは安易に「○○に相談してみたらいいんじゃない?」と言ってしまっていたけれども、これも言われると地味にダメージ入るなぁと思いました←あ、もちろん、相談したことで良い方に向かう方もいらっしゃると思うので、相談場所を提案した方がいいとは思います)
↑
(「警察に言ったら」も、まれに言われますが、私ではない方が近所の親切な方の通報を受けて、警察がきてお話ししてくれたところ、しばらくはおさまったけれども、それで終わることはなかったそうです)
なにより怖いのが、「相談しても聞いてもらえない」を突き詰めていくと、
「むしろ私が子どもをかばうような余計なことはしないで、子どもが骨折するくらいまでパートナーから蹴られるのを見逃した方が、決定的な証拠となって周囲に話をきいてもらえるんじゃないか」
「私がパートナーを刺すか、パートナーに刺されるかすれば強制的に状況を変えられるんじゃないか」
という方向になってしまうところなのですよ。
(相談中に「まだ誰もケガするほど酷くないんでしょ」と半笑いで言われることがあります)
おそらくよくニュースになっている殺傷事件はこんな感じに追い詰められた末なんじゃないかと勝手に想像してしまいます(実際の理由は、もっと複雑だったり単純だったり荒唐無稽だったり色々ありそうですが)。
だから意識してそっち方面には考えないようにしています。一時期、本気で「もう刺した方が早いんじゃないか」という思考に囚われて危なかったので。
どうして刺さなかったかと言ったら、ちょうどその頃、保育士が過失で同居していた祖母を殺してしまったニュースと、その保育士の父親のコメントを読んだからです。
私はネットニュースを一度読んだきりなので、実際とは違うかもしれませんが、ざっくり書くと、「仲の良かった祖母から大学費用を出してもらっていたので、保育士が一人暮らしの部屋で祖母の面倒をみることになった。新社会人として働くかたわら、保育士は家で祖母のお世話をしていたけれども、だんだん祖母が文句を言ってくるようになって、聞きたくなくて口をふさいだら、殺してしまった」という内容でした。
(詳細が違っていたらすみません)
それに対して、保育士の父親のコメントが「なんてことしてくれたんだ!」。
(実際はどうか知りませんが、記事ではそんな感じで書かれていました)
え?
自分の実の親か義理の親の面倒を、新社会人として働き始めた気をつかう時期の子に丸投げしておいて、そのコメントなの?
私が初めて会社員として働き始めたときは、毎日緊張していました。
仕事を覚えるのに必死だったし、会社までの道のりや、人間関係に慣れるのにも必死でした。
私自身が高齢者のお世話をしたことはないので想像でしかないですが、子どものお世話よりも大人のお世話の方が大変だと予想します。
子どもなら、「こういうルールなんだよ」と説明すれば納得できないまでも「そうなんだ」と従ってくれそうなところを、大人は「それは納得できない」「そうだとしてもしたくない」となるからです。
保育士は、勤め先でも気を遣って、家に帰ってからも休めなかったと思います。
それに対して、あのコメントなんだ……。
なるほど。もし私が状況を変えたくてパートナーを刺したところで、「そんなに追い詰められてしんどかったんだね」というような感想は抱いてもらえないんだな、というのがよくわかりました。
おそらく「刺すくらいなら相談してくれれば良かったのに」というコメントをされるんだろうなぁ、とすっごく虚しくなりました。
(ここまで読み進めてくださった読者様なら、すでに何回も相談していることを知っていただけているかとは思います)
きっと私が自殺しても、子どもと心中したところで同じです。
どれだけしんどかろうが、伝わらない。周囲の反応は『後出しジャンケン』でしかない。
しんどいことを必死に訴えたところで無駄なんだ。
ぶっちゃけ、実際に刺したり、決定的な証拠になる大ケガに発展するまで見逃したりした方が、悪い意味で状況は変わるだろうとは思います。
でも、それでなんらかの後遺症が子どもに残ったら、私は一生後悔すると思ってギリギリ踏みとどまっている状態です。
すでにこれまで、あちこち20回以上状況を説明しています。
だんだん、状況を説明するのにも疲れてきました。
どこに相談するにしても、しんどい状況を最初から話さなければならず、十年間のことなので話す方も聞く方も長くて疲れます。
しかも話したところで、今までここに書いてきたような感じなのです。
(聞いてくださる存在があるだけありがたいのでしょうが、一度聞いただけで正確に理解できるとも思えませんし、何回か聞いていただいた感じ、「聞く」というよりも「話させる」感じで、「何度も話させて自分で結論を出させる」みたいなテクニックなのかなぁと、新たな画期的打開策を求めていた私は勝手にむなしくなりました)
↑
(話してもはなしてもオウム返しの反応しかないから)
それでも今の自分がまだ生きていられるのは、誰かの作品と、家族や友達や公共のなにかとあちこちでつながっているからです。ありがとうございます。
なら、ざっくりまとめて語ればいいかというと、はしょって語ると短すぎるからか、それはそれでまったくしんどさが伝わらず、さも私が大げさに語っているだけのように思われるというオチ。ほんとどうしろと?
昔ひどい虐待にあったという人に相談した時は、「それくらいなら我慢できるでしょ」という反応で驚きました。
いや、不幸自慢をしたいわけじゃなくて。対処法というか、どうすればいいかを聞きたくて相談したんだけど。
つまりその回答として「それくらい我慢しろ」ってこと?
それはそれで闇が深いと思いました。
そういう一連のことをざっくり精神科医に説明したところ、
「話す相手を考えた方がいいですね」
世にいる賢明な方、どうか愚かな私に教えてください。
じゃあ誰に相談すれば良かったんですか?
自分の身内や近い親戚には相談しました。
仲のいい友達にも相談しました。
ボランティアや公共のおおよそ相談窓口だと思われるところにも相談しました。
あとはどこですか?
知恵袋?
何チャンネル?
私は誰に話せば良いんですか?
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