04 「自分なら変えられるって思ってたんじゃないの?」

 たまに話を聞いてくれた相手から言われるこのセリフ。


「そんな困ったちゃんな相手を自分だけが救ってあげられるって思ってたんじゃないのー?」


 いやいやいや。

 

 ほぼ毎日2~3時間、父親から存在を否定されていたからか、自分は男性不信気味だった。

 あんな文句ばかり言う生き物と暮らすことができると思えなかったから、同性とルームシェアしたかったのだ。

 

 一緒に暮らせるか見極めるためにながーく付き合って「この人となら話ができる」と思って結婚したら、このていたらく。

 確かに私には「男を見る目がない」。それは認める。

 でも、「私だけがこの人を」という気持ちは、後にも先にもまったく持っていなかった。

 

 もしかしたら持っていた方が良かったのかもしれない。


 どこかで、「女性とは本能的に男性を救いたいもの」だと読んだ。

 確かに、いわゆる少女漫画や乙女ゲームの基本的なストーリィを思い返すと、ほとんどが「ヒーロー(攻略キャラ)のトラウマを解消する」ことによって仲が深まっていることに驚愕した。


 つまり「ヒロインがヒーローを精神的に救う」のが女性側からの恋愛話となっている。


 そのストーリィが本能的なモノだという。

 「自分なら変えられるって思ってたんじゃないの?」というセリフをくれた友達は、そういうニュアンスを含んでいた。「少女漫画のヒロインと自分を重ねていたんじゃないの?」という感じだ。


 申し訳ないけど、いかにもな少女漫画より少年漫画のほうが好きな自分は、そんな可愛らしい思考は持っていない。

(少女漫画をバカにしているわけではなくて、恋愛のかけひきよりも、頑張ったらレベルが上がっていく展開が好きなだけです。と思っていたのだけど、同じ流れでも男女のNL《ノーマルラブ》より男性同士のBL《ボーイズラブ》や女性同士のGL《ガールズラブ》のほうが手に取りたくなるので、男性と女性の関係が苦手なのかもしれません)


 私がずっと「言い続けていればいつかは通じる」と思っていたのは本能のせい? と、すごく気持ちが悪くなった。


 なにしろ、恋愛モノのほとんどがなのだ。


 別の友達からは「共依存なだけじゃないの?」とも言われた。

 『共依存』がよくわからなかったのでググったけれども、『共依存』と『恋愛関係』の違いがいまだによくわからない。


 参考になるかと思って恋愛ものを読みまくった。

 最近は、ヤンデレというか、ヒーローが病的にヒロインに執着する展開が大流行している。


 二次元とリアルを混ぜて考える私がおかしいのはわかっているけど、言わせて欲しい。

 ヤンデレカップルは共依存じゃないの?

 というか、二次元も三次元リアルも恋愛話がすべて共依存に思えてきた。

 どれが正しい健康的な恋愛関係なのかが、今の私にはわからない。


 今まで私も普通に二次元の恋愛話を楽しんできた。

 私が二次元恋愛話を楽しむ時は、無意識に「これは他人事」だと思っていたからで、自分を主人公と重ねていないから楽しめたのだ。


 うっかり自分が主人公の立ち位置にいると置き換えて読むと、怖い。

 ヤンデレヒーローが言うセリフは、ヒロインを襲うモブが言うのとほぼ同じセリフなのだ。

 ヒロインの気持ちが相手を好きか嫌いかの違いがあるだけで、されていることはけっこうヒドい。


「困ったパートナーを可愛いって思えたらいいのにね」


 とも言われた。

 申し訳ないけど、可愛いとはとても思えない。

 守る立場にあるはずの幼くてか弱い生き物を、怒鳴りつけたり叩いたり蹴ったりする生物を可愛いとは思えない。


 「そんな困った夫を包容し躾けてこそ良き妻」なのかもしれない。パートナーを育てなくてはならないのもわかるけれども、「子どもを育てる立場になった大人がなにを言っているのか」むしろ「その言動は人としてどうなの?」としか思えないのだ。


 結婚する前、パートナーが「子どもはうるさいから嫌い」とは言っていた。

 でも、私はどこかで「実際に子どもができたら変わる」「自分の子には違う」などとも聞いたことがあったので、勝手にそういう風になるだろうと思い込んでいた。


 つまり勝手に「自分の子どもができたら子どもを嫌っていても変わる」を信じていた私が悪かったんだろう。

 

 「年頃になったらキレイになる」と同じだ。

 年頃になったら「勝手に」キレイになるんじゃない。

 人目が気になる年頃になったら「本人がキレイになる努力をするからキレイになる」のであって、本人の意志がなければなにも変わらない。


 話に出てきた「自分の子どもができたら変わ」った子ども嫌いの男性は、きっとなにかのタイミングで「変わりたい」と男性本人が思ったはずなのだ。


 でも、世間様は「そう思わせなかった妻が悪い」と思うようだ。


 「年頃になったらキレイに」ならなかった娘さんは自己責任だと失笑される。

 決して「キレイになろうと思わせなかった周囲が悪い」などとは誰も言わない。


 最初から「自分の子どもを怒鳴ったり蹴ったりする」とわかっていたら、私はそんな人と結婚して子どもを作りたいとは思わなかった。

 「そんな人を私だけが変えられるのよ!」という思考を私は欠片も持っていないのだから、仕方ない。


 「子育ては親育て」とも言うのを知っている。私自身が完璧な親じゃないのはよくわかっている。


 だからわかってほしい。

 「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」。

 どうか「パートナーを変えることができて当然」だと思わないでほしい。


 私ができるのは、根気よく説明して、解説された本を渡すことだけ。

 パートナーが変わるのは、パートナー自身が「変わりたい」と思ってくれた場合だけなのだ。

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