第11話 たたみかける現実

 小さい子どもがいるので、フルタイムでは働けない。

 B妻は(医療事務か、学校と同じ長期休暇がある小学校の給食のおばちゃんがいいな)とパートを探していた。


 しかし幼稚園に通わせていると時間的にどこにも働けそうにないので、保健センターと、働くママである友達2のすすめもあり、保育園にうつれないか聞いてみた。

 B妻はまだ働けていないので『求職』で申請を出すことにした。


 A夫は「まだ4人目は1歳なのに」と保育園に入れることに不満そうだった。

 ちなみに、3人目を2歳保育に入れるときにも「かわいそうだ」と文句を言われた。しかしA夫は、文句は言っても面倒はみないし、B妻自身が家に子どもと二人でいても会話できないくらい精神的に限界だったので、2歳保育に入れたところ、体も大きく上2人にもまれたAB3は楽しそうに通ってくれた。


 B妻は、このまま家でAB4の面倒を見ていたら、そのうちAB4をいないものとして扱ってしまいそうなくらい精神的に限界だったので、A夫から文句を言われる中で保育園にうつることを強行した。

 すでに保健センターには1年以上相談に乗ってもらって現状を把握してもらっていたし、離婚するかもしれないということも考慮されて保育園にうつることができた。


 B妻は期待した。

 (これで働き口さえ決まれば、A夫と離れられる。あの怒鳴り声を聞かなくて済む)と。

 就職先も、ちょうど近所の医療施設と、車で通える給食施設が見つかった。(できれば給食施設がいい)と、B妻は車で15分の給食施設で働きたいと周囲に話した。


 すると、少し前にB妻が交通事故を起こしたからか、A夫はB妻が働くことに反対した。

 B妻にとっては、電車で通う場所より車で通える場所の方がラクだったのだが。


 B妻両親も「外に働きに出る前に、内職をうち(B妻実家)に持って来てやったら?」と、B妻が外に働きに出ることを止めた。「今働きに出たら家のことがおろそかになるでしょう?」と。

 B妻は気分転換がしたいのではない。定期的で確実な収入が欲しいのだ。

 保健センターで聞いてきた、ひとり親手当や子ども手当だけでは明らかに足りない。少なくともその倍はないと生活できないのだ。


 もし実家で内職をしても、たいした収入にはならないし、両親に気を使って精神的に余計に辛くなるだけだ。見知らぬ仕事場に行って時間分働く方が気楽なのだと話しても、わかってもらえなかった。


 そうこうしているうちに就職先は消えた。

 求職で保育園に入ったので、あと数ヶ月で就職先を決めなくては保育園にもいられなくなる。すでに他の幼稚園に通っていたAB3を仲の良い友達と別れさせてまで保育園にうつしたのに。


 そんな時、相談し始めて1年経つかどうかになったE妻からメールがきた。

「私に愚痴をいうくらいなら、本人(A夫)と話し合った方がいいよ」と。


 B妻は基本的に愚痴を言わない。B妻母の教育のたまもので「愚痴るくらいなら前向きなことを考えよう」という思想だからだ。

 E妻に送ったメールは、確かに最初はどうしていいかわからず混乱していたため、愚痴めいた口調で相談していたかもしれないが、最近、月イチで送っていたのは「報告メール」というタイトルで、A夫の言動をメモしたものだった。なぜそんなものを送っていたかというと、「なにかあったら教えてね。愚痴でもなんでも聞くからね」とE妻に言われていたからだ。


 B妻にとっては、思い出して文章にまとめる行為すら辛かったのに、わざわざ送っていたのは、報告しないと勝手に解決したと思われるからだ。


 それが、ただの愚痴だと思われていた。しかも、何度も「話し合えなくて困る」と書いていたにも関わらずまだ「話し合え」と言うのか。

 親身になって相談にのってもらえていると思っていただけに、B妻はまったく自分の言葉が届いていなかったことにびっくりした。


 そして、実家の反応やらE妻のことやらを精神科医に話したところ「相談する相手を考えた方がいいですね」と言われた。


 B妻が相談したのは、いわゆる公共の相談窓口と、実の両親、義理の両親、義理の家族、友達だ。

 それ以上に誰がいるんだろう?


 B妻は追い詰められていった。


 離婚するために就職したくてもできず、言葉を重ねても誰にも届かない。

 

 久しぶりに苛烈なX夫をもつY妻からメールがきた。Y妻はX夫と言い争いの末、首を締められて、あわや殺される一歩手前だったそうだ。


「『話し合えばいいよ』って気軽に言われるけど、話し合いなんかできないよねー。しかもどれだけ頑張っても、まったく話は通じないんだよねー」


 B妻は激しく同感した。


 もしかしたら「話し合えば通じる」と思っている人たちは「どれだけ話したところで話が通じない人たちがいる」ことを知らないのかもしれない。おそらく「話せばわかる」思考の人たちは、「B妻の話し方が悪いからだ」「B妻の努力が足りないからだ」としか思っていないのだ。


 E妻からしたら、「一年も相談にのっているのに進展がないとは、一体なにをしているのか」という気持ちなのかもしれない。B妻はできる限りやっているが、「結果が出せていないのだから、B妻がなにもしていないか、B妻のやり方が悪いはずだ」と解釈されるのだろう。


 今回話したY妻の状態はかなり悪く「体調を崩して入院し、シェルターをすすめられた」というY妻に、B妻は聞いてみた。

「シェルターに入らないの? 入ってそのまま離婚したらいいのに」

 Y妻は「シェルターに入ってそれから先が想像できない」と答えた。「でも、看護師資格をとりたいな。お給料いいみたいだから」

 Y妻にはAB2とAB4と同い年の2人の子がいる。今すぐフルタイムで働くのは難しい。

 やはり先立つものがないと、離婚にはふみきれないのだ。


 今更ながらB妻は、産院で「不妊(避妊)手術をした方がいい」と言われた意味がわかった。

 子どもがインフルエンザや手足口病など、うつる病気にかかったとすると、どこにもあずけられずに家で面倒を見ることになる。それが4人同時にかかることなく連続してかかると、B妻は一ヶ月のあいだ家にこもることになる。

 子どもが大好きなB妻は子どもを重荷に思ったことなどないが、予告なく病気にかかる子ども4人を抱えて、家庭を支える収入を得られる就職先を探すのは不可能に近い。


 B妻は、どうにかしようともがくものの、どうしようもない現実に、打ちのめされていった。

 「誰かに相談すればなんとかなるかもしれない」と思えていた頃は、辛い現状を話すことも頑張れていたが、現状を話したところでどうにもならないことがわかってきた今は、相談することすらおっくうに感じるようになってきた。


 最初はA夫に対して「目の前から消えてくれないかな」とうっすら思うだけだったのが、だんだん「死ねばいいのに」になってきて、そう思ってしまう自分を嫌悪するのを繰り返していた。そのうち、「もうむしろ自分が死んだ方が早いじゃないか」と思うようになった。

 子どもを保育園に預けたあとの帰り道で涙が止まらなくなったり、このまま道路に飛び出たらラクになれるかな、どこから飛びおりたら死ねるかな、ときょろきょろしたり。

 

 「躾が悪いんじゃないか」と言われた話をY妻に話したところ、「いやいやB妻は子煩悩だよー。それでネグレクトってないわー」とY妻は言ってくれた。


 しかしB妻父は「A夫がそんな風になったのも、子供が言うこときかないのも、B妻の責任だ」と言う。「すべてB妻の躾が悪いのだ」と。


 E妻は言う。「現状で子ども達が不登校とかになってないのなら、A夫の言動はB妻が言うほど酷くなくて、大丈夫なんじゃないの?」と。


 今までB妻は必死に子ども達をフォローしてきた。それでなんとか子ども達の心を守ってきたつもりだった。

 それが「子ども達に症状が出ていないのなら大丈夫だ」といわれるのなら、(今までの自分の努力は無駄だってこと? フォローする方が間違っているの?)。


(A夫に話が通じないのは自分の話し方が悪いから? 子供がうるさくてA夫がイライラして怒鳴るのは、子供たちを躾できていない自分が悪いから?)


 B妻は今まで考えなくてもできていた子育てすらできなくなっていった。


 粉々になったB妻は精神病と診断され、保育園にはそのまま通えることになった。

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