第9話 家族会議と別居

 家族会議までにB妻は、A夫B妻どちらの両親にも、現在までの状況を簡潔にまとめた長文のメールを送った。

 どうしてメールにしたかというと、今までに何度も困っている詳細をB妻両親に話そうとしたところで、B妻父にさえぎられて最後まで話しきれたためしがなかったからだ。面と向かって話せば、きっとまた肝心の部分になる前に脱線すると思ったからだ。


 そして、最初は両家両親とA夫B妻で話し合いたかったが、その間B妻の幼い子供たちをどうするかという問題が出て、B妻両親が子供達をみるしかなく、話し合いにB妻両親は不参加となった。

 その代わりに、これまでずっとメールでB妻の相談にのってくれていたE妻の夫であるA夫の兄弟D夫が参加することとなった。


 ちょうどその頃、ストレスから血尿になっていたB妻は、内科で診断書をもらい、診断書を理由に、B妻と子供達がB妻実家へ別居するという流れにしよう、と考えていた。

 事前にA夫にA夫家族が来ると伝えればまた激昂するだろうから、A夫には知らせなかった。

 話し合いにB妻側がB妻しかいないのは不利だろうとE妻は指摘し、話し合いの前にB妻宅でA夫家族とB妻父が話した方がいいだろう、と提案してくれた。


 しかし結論から言うと、家族会議は微妙な結果に終わった。


 まず、B妻の父親が「結婚すれば最後まで添い遂げるべき」という考えだったため、B妻のあずかり知らぬところで、B妻父は、「困難を乗り越えて家族になるべき」という一般的には良い話を熱弁していたようなのだ。


 そしてB妻としては、A夫の両親に、A夫が暴言暴力をふるうのをたしなめて欲しいと思っていたのだが、A夫が帰宅すると集まっていたA夫家族に対して、A夫は「現状が辛い」と泣き出したのだ。「会社の上司が酷くて家でもイライラしてしまう」と。


 結局、「A夫は頑張り過ぎてしんどいのだから、しばらく一人でゆっくりしたらいい」という流れになっただけで、子どもへの暴力暴言についての言及はまったくなかった。(なにはともあれ別居はできるようになったから良かった)と、とにかくすぐにでも離れたかったB妻は思った。


 遠方からわざわざきてくれたA夫家族を駅に送り届けたB妻が帰宅すると、A夫は言った。

「おまえは俺を売ったんやな。顔見てたら殺したくなるから、さっさと出て行け!」


 それでもB妻は期待していた。

 (とにかく子ども達と離れればA夫は冷静になるのではないか。A夫がいうところのうるさい子ども達がいない空間で過ごせば、少しは落ち着くのではないか)と。


 別居して一週間たった頃、荷物を取りに戻ったB妻とA夫が顔を合わせた。


「もう帰ってくるんやろ?」

「もう落ち着いたの? まだならもう少し離れてるつもりやけど?」

「離婚するんやったらこんな準備期間いらんから、さっさと離婚したらいいねん!」


 子ども達がいないのだから静かでさぞ心安らかに過ごせているだろうと思っていたのに、まったく落ち着いていない様子だった。聞くと、「帰宅してから家事をするから睡眠時間が削れて辛い」と言う。

 食費は多めに置いてきたのに、いちいち自炊し、そのあと洗濯をしているという。


 (なんで全部帰ってからしようとするんだろう?)とB妻は思った。

 ご飯を作るにしても、まず洗濯をしかけてから作れば、衣類を洗濯機が洗っている時間が無駄にならない。そもそも自炊せずに買って帰ればいいし、洗濯量も少ないのだから、夜しかけて寝て、朝起きてから干せばいいのでは?


 (そういう根本的なことが考えられないくらいA夫も追い詰められている?)


 B妻は別居している間に、子ども達がいるとなかなか進まなかった家の片付けをしたかったので、片付けに戻るついでに洗濯をするようにした。

 するとB妻父が「別居ごっこしてんのか?」と言い出した。どうやら、B妻がかいがいしく家事をするために戻っていると思ったらしい。


 (どれだけロマンチストな発想なのか)とB妻は思った。

 B妻の別居の目的はA夫と子どもたちを離すことでどちらも落ち着かせることだ。A夫が回復しなければ暴言暴力がおさまらない。誰もが回復するために別居したのにA夫に落ち着く様子がないから、片付けついでに洗濯しただけなのだが、家に戻る行為自体がB妻父には不評だった。


 くわえて、4人も子どもがいれば自然とにぎやかになる。

 B妻にとっては日常でも、80歳近いB妻両親にとっては4人の幼児たちとの同居は激しいものだった。

 B妻父は「ずっと家にいてもいい」と言ってはくれるが、B妻は「一ヶ月が限度だな」と感じた。そういえば、1人目出産後に実家に頼った時も「いてもいい」と言いながら「いつまでも寝てばかりいて」「いつ帰るんだ」と言われていたのをB妻は思い出した。


 B妻父はいつもそうだった。

 話の結論を2つ用意し、いつでもどちらにでももっていけるようにしている。

 しかもアルコールが入るとB妻父の話は迷走する。よくわからない理論で自分の大事なことをけなされるのはたまらないので、幼少期のB妻はだんだんと自分の考えを隠すようになっていった。どこのお貴族様かと思わないでもないが、そうしなければ無駄に傷付くだけなので、自分を守るためにそうするしかなかったのだ。

 B妻父は「ここ(実家)で子ども達を一緒に育てよう。守ってやる」とも言ってくれたが、自分と同じように感情をかくす微妙な癖がつくのかと思うと、B妻実家で子どもを育てるのに踏み出せなかった。


 それにA夫ほど表に出さないが、B妻父も子どもの声が苦手そうなのだ。おそらく一緒に住んでしまうと、かつてB妻がされていたように、アルコールが入った状態で延々と「おまえはダメなヤツだ」と存在を否定され続けることになるだろう。

 実家はたまに頼るくらいが一番よい距離感なのだ。


 いつか保健センターで相談していた、別居先として候補に上がっていたB妻実家が、B妻の中で候補から外れた。


 それを思えば、A夫はよく耐えているとも言える。

 まぁ4人の子供をつくったのはA夫本人なので、「自業自得だ」「当たり前だ」と周囲からは言われるだろうが。


 B妻自身もよく言われた。

「そもそもそんなに子供をつくらなければ良かったんじゃない?」と。


 それに関しては、2人目ができたとき、穏やかな家庭になった時期があったので、B妻は勘違いをしてしまったのだ。

 子供ができればおだやかになる、と。

 今思えば、穏やかになったのは連続子育て講座のおかげだとわかる。効果期間は、通っている間とその後1週間程度だったけれど。


 そして、(そもそも、今さら「子どもをつくらなければ良かった」などと話し合ったところでどうしようもないのに、なぜそもそも論を展開するのか)とB妻は思う。


 周囲からよく言われるセリフは他にもある。

「あなたが選んだ相手でしょ?」


 B妻はこのセリフの意図がわからなかった。

「自分で選んだからあきらめろ」ということなのか「自分で選んだから自己責任」ということか、ズバリ「男を見る目がない」ということなのか。


 でも、おそらくだが、パートナーの早死にあった人に「そんな人選んだのはあなたでしょ」とは誰も言わない。

 言わない理由は、パートナーの生死は事前にわからないからだろう。

 なら、例えばパートナーが罪を犯したら?

 (犯罪なら「そんな人選んだのはあなたでしょ?」などと言われそうだな)とB妻はぼんやり思う。


 なぜか周囲は、パートナーの生死は事前にわからないが、パートナーの人格はわかるようなのだ。

 (その人たちは、どれだけ恋愛マスターでコミュニケーション上級者なのか)とB妻は思う。


 余談だが、B妻はかなり本気で結婚する意思がなかった。

 家で接する男性が癖の強いB妻父なのだ。あんな難しい生物と一緒に暮らせるとは思えなかった。

 だから20歳までは、シェアハウスできそうな女友達を探していた。


 しかし話しやすいA夫と出会った。

 それまでも何人かの男性とつきあってきたが、その誰よりもA夫は嘘がなかった。

 家で相手の裏を読むことに疲れていたB妻は、誠実な相手を探していた。

 それでも一緒に暮らせるかわからなかったので、10年間つきあった末に結婚した。

 十年以上、子供ができるまでは、今からは想像もできないだろうが「万年新婚夫婦」と言われるほどラブラブカップルだったのだ。


 それが、この体たらくである。


 10年かけて審議した結果がこれでは、「見る目がない」と言われても反論できない。


 B妻父は「ここ(B妻実家)で子供たちを育てよう」と言っておきながら「(A夫と)最後まで添い遂げろ」とも言う。


 B妻にとって現在の状況は「ブラック企業に就職していたのがわかったから退職したい」と思うのに似ていたが、B妻父とE妻はなぜか「最後まで勤め上げろ」と言う。それはB妻にとって「精神的に死ね」もしくは「B妻の人生をA夫に捧げろ」と言われているようなものだった。子供たちは大きくなれば巣立つがA夫はそのまま残る。A夫が成長しなければ同じ問題をずっと起こし続けるのだ。そのフォローをするのはB妻だ。

 もしA夫が荒れるというのが子どものせいだというなら、少なくともあと20年は荒れることが確定している。

 あと20年このままやり過ごせるとはとても思えなかった。20年経つ前にB妻がストレスで死にそうだ。それは困る。B妻は子供たちに孫ができた時に、いいおばあちゃんとして助けになりたかった。

 

 B妻父はいつもの二択なのでわかるのだが、なぜE妻は離婚を忌避するのかB妻は不思議だった。


 E妻に話を聞くと、どうやらE妻の両親が離婚していたからのようだった。

 E妻は「両親が力を合わせて問題を乗り越える姿を子供たちに見せるべきだ」と言う。


 しかし、同じように両親が離婚していた昔からの友達1は真逆のことを言った。

「父と別れた母はすっごい精神的にラクになってたから、離婚はアリだよ」と。


 2つのことから、どうやら離婚自体が問題なのではなくて、離婚後の生活が良かったか悪かったかで離婚に対する印象が違うのだとわかった。

 E妻は両親が離婚した後も大変だったようだが、友達1は両親の離婚後の方が心穏やかに過ごせたようなのだ。


(今の不毛な問題に悩まされるより、離婚後の生活について考える方が前向きでいいんじゃないか)

 B妻の心は少しずつ離婚に傾き始めた。

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