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日が沈み、薄暗くなった校舎の窓から外を眺める。
下校時刻はとっくに過ぎていて、部活動に参加している生徒ですら皆帰宅するほど、時刻は廻っている。
昏い教室に一人残されるというのは、どうにも心地が悪かった。鞄からヘッドフォンプラグを探り出し、手もとのタブレット端末に繋げる。少しの躊躇いののち、直季はしっかりとヘッドフォンを耳に充てた。
陰鬱な音楽が流れ始めると同時に、教室のドアが開いた。
「待たせて悪かったなあ」
歪んだ銀縁眼鏡――少なくとも直季には、縁が曲がっているように見えた――を指で押し上げながら、男は器用にその指の間に黒いファイルを挟んでいた。
「変わったイヤホンだな。スタイリッシュっていうの?最近はそういうのが流行りなのか」
ゆっくりとヘッドフォンを外す。
冗談めいた独特の口調。顔を見なくても、それが己の担任の教師であることがわかった。
「あの、話って…?」
「いや。とくに話はないんだ」
「えっ?でも――」
話したいことがあるから、しばらく教室に残っていてほしいと直季に言ったのは、目の前にいるこの教師自身の筈だった。
思わず直季は言葉を詰まらせた。この街に越してきて二週間になるが、直季には未だにこの教師のことがまったく理解できずにいる。
唐突に、まあ改まるなよ、と男は言った。
「帰り道はわかるかな?霧の中を歩くのが怖いなら、送って行ってやろうか、ヒセキくん」
わずかな沈黙。頭の痛くなる、妙な感覚。
「…怖くない」直季はようやく声を絞り出した。
「べつに、怖くないです。どうして、そんなこと訊くんですか?」
「そう改まるなよ」男はもう一度繰り返した。「おれたちの仲じゃないか」
おれ、改まったような会話、嫌いなんだよ。
一体何を改まっているというのか、直季にはわからなかったが、見ると男はやはり笑っていた。
転校当初、挨拶に行った職員室で、直季は三黒(みくろ)という教師を紹介された。
「あんた、夜気に噎せるだろ」開口一番に、三黒は直季に言ったのだ。「多分、ここだけだ。他じゃべつに、そうでもない」
口もとには笑みが浮かんでいた。
直季が黙っていると、霧だよ、と男は小さく付け加えた。そしてすぐに、いや、と首を横に振った。
「なんでもない。よろしく、碑石くん」
――ヒセキくん。
今思えば、その時には既に頭痛を覚えていたように思う。
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