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 霧の中を進む車内に、直季たちは小一時間ほど籠城していた。


「……あの、もっとスピード出せないんですか?」


「お望みなら飛ばそうか?ただし、命の保証はできないぞ。ほら、目先の信号すら霞んで見えない」


「じゃあ、なんで送って行くなんて言ったんですか?」


「おまえ、徒歩だろ。徒歩よりは早い」


 多分、な。


 直季は語尾を聞き逃さなかった。文句を言いかけ、予想に反して真面目な貌をしている三黒を見て口を噤む。


 かれこれ時速二十キロメートルほどで国道を走っている。気のせいでなければ、霞掛かった標識には十五キロメートルの文字。この町に来た当初こそ、直季は己の目を疑ったものだが、今ではそれも慣れつつある。


「少し窓を開けてもいいですか?」


「ああ、勝手にしな」


 ロック解除の鈍い音が響き、半分ほど開かれた窓から直季は夜気を吸い込んだ。


「おい、噎せるなよ」


 噎せそうになり、思わず窓から貌を逸らすと、三黒の眼が嗤ったような気がした。


「おい」三黒がバックミラー越しに、後部座席にいる直季に眼をやった。「霧の向こうに、何が見える?」


「えっ?」思わず窓の外に目線を戻した。「べつに、何も見えません。でも、ここと同じように、町が広がっているんじゃないですか」


「ふうん」


 不意に会話は途切れてしまった。


 何かを言おうとして三黒を見やると、彼はやはり真顔で、フロントガラス上の霧の道を見つめていた。


 ぼんやりと、何度目だろう、と思った。


 開かれた窓からひんやりと夜気が流れ込んでくる。どこまでも同じような灰色の景色を横目に、直季はわけのかわらぬ煮え切らない感情が、鉛のように心に重く沈んでゆくのを感じていた。


「何か……見えるんですか?」


 直季はようやく言葉を絞り出した。「こんな霧の中に?」


「…さあな」三黒はあくびとともに、気怠そうな声を出した。「なんも見えねえよ」


 直季がこの教師と出会って既に二週間が経つ。


 最初は、些細な違和感に過ぎなかった。


 新しい学校生活が始まり、数日が経った頃に、訊いたのは直季の方だった。


(あの……前に、どこかで――)


 どこかで、会いましたっけ。


 少なくとも記憶の中に三黒という男の存在はなかった。ただ会話をしていて、少なからず直季は確信したのだ。三黒は自分を、初めて会った人間、或いは{生徒}として接していない、ということに。


 車は今にも細い路地に差し掛かろうとしていた。


 いつから降り始めたのか、か細い雨粒がボンネットを弱々しく打ち付けた。煙のような霧がわずかに晴れ掛けていた。


「……ヒセキくん」


 鈍いブレーキの音とともに、車体ががこんと揺れた。


 直季は、無意識に俯いていた顔をゆっくりと上げた。


「さあ、着いた…」



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