本格ミステリ入門

「全く。読み終わるのに時間がかかったじゃないですか」


 あの後もたっぷりと泉先輩から桐花の昔の武勇伝とやらかしを聞くことができた。


 泉先輩が話すたびに桐花が止めようとしたりツッコミを入れるせいで、読み終わるまでかなりかかった。


「で、何か情報はあったのか?」


 もしここで情報が得られなければいくら桐花でも当時何が起きたのかわからないだろう。


 最後の望みだと思って問いかける。


「ええ。収穫はありました」

「まじか!? 部誌に事件のことを書いてる先輩がいたのか?」

「いえ。事件について触れている作品はありませんでした」

「はあ?」


 じゃあ何が収穫なんだ?


「越前さんの作品です。彼が書いていた小説のジャンルはミステリーでした。それも、本格ミステリと呼ばれるジャンルばかり書いていました」

「本格ミステリ?」


 なんだそれは?


「本格ミステリとは……まあ細かい定義やらなんやらを省いてざっくり説明しますと……探偵役が事件の真相を解き明かすまでに、事件の手がかりとなる情報全てが作中で読者に示されているミステリー小説のことです」

「……はあ」

「要するにね、読者自身も謎解きができるようにヒントがしっかり書かれている小説のことやよ」


 いまいちピンときていない俺に泉先輩が助け舟を与えてくれる。


「なんとなくはわかったけど、越前先輩が書いてた小説のジャンルがわかったからなんだってんだ?」


 当然の疑問。


 だが、桐花は俺の質問を一旦スルーした。


「そしてもう一つ収穫があります。それはこの部室です」

 

 部室の存在を示すように、桐花が両手を大きく広げる。


「部室って、まさか当時の事件の痕跡でも残ってたなんて言わねえよな?」


 5年も前の話だぞ?


「まさか。残ってるわけありませんよ」

「だよな」

「そもそもですよーー」


 ここで桐花は言葉を一旦区切る。



「そもそも、事件が起きた現場はこの部室じゃないんですから」


 

 一瞬何を言っているのか理解できなかった。


「は、え? いやだって日記にーー」

「書いてませんよ、事件の舞台が文芸部の部室だなんて。『乙姫に呼び出されていた』『部屋の中に入る』そう書かれているだけで、部室なんて一言も書かれていません」


 桐花の言葉が信じられない俺と泉先輩は一緒に日記を読み直した。


「……本当や。部室なんて言葉、一個もあらへん」


 放課後に文芸部の部員が集まる場所、と聞けばまず思い浮かべるのは部室だ。その先入観に騙されたということか?


「確かにそうだけど、わざわざ書いてなかっただけじゃねえのか?」

 

 俺の疑問に桐花は首を横に振る。


「いえ、舞台は絶対に部室じゃありません。ちゃんと根拠もあります」

 

 桐花は俺たちの手から日記を取り、机の上に開いて一つの文章を指差した。


『乙姫に促され、扉をガラガラと開けて部屋の中に入る』


「この『ガラガラ』という表現おかしいと思いませんか?」

「いや別に……普通に扉開ける時に使う表現だろ」

「そうですね、その扉がであればよく使います」

「…………あ」


 桐花の言葉をようやく理解する。


 俺は慌てて部室の入り口に目を向ける。


「気づきましたか? 文芸部の部室の扉は開き戸なんですよ。普通あのタイプの扉を開ける時の音は『ガチャリ』といったような表現をするはずなんです」


 ガラガラは引き戸特有の車輪がレールを転がる音。そして開き戸であれば桐花の言う通りガチャリとドアノブを回す言葉をオノマトペとして使うはずだ。


「根拠はまだあります。乙姫さんのこの言葉を見てください」


『流石に教室に置いたままだと怖いよ。朝イチで来てこの部屋に置かせてもらったんだ』


「吉岡さん。教室にケーキを置いておくと何が怖いんだと思いますか?」

「そりゃあ、人の出入りが多い教室だとなんかトラブルになりそう、って意味じゃねえのか?」

「それもあるかもしれませんが、おそらく違います。乙姫さんが本当に恐れていたのは別のことです。ヒントは日記の日付」

「日付?」

「あ、わかったわかった!」


 俺には何が何やらさっぱりだったが、泉先輩が手を挙げた。


「7月22日ってことは真夏やんか。そんな暑い日にケーキ放置しとったら悪くなるんとちゃうかな?」

「あ、そっか」

「正解です。ショートケーキみたいな乳製品を使ったナマモノを朝から放課後まで真夏の教室に置いておけるはずがありません」


 となれば当然部室に置いておくなんてこともしないだろう。冷房をガンガンにつけていたとしても不安が残る。


「ということはケーキはきっちりと冷蔵されていたはずなんです。文芸部の部室には冷蔵庫はありませんし、それがおけるようなスペースはない。つまり事件が起きた部屋は文芸部の部室ではなく、冷蔵庫が置かれていて生徒が自由に使うことのできる部屋」


 そんな部屋、学園でも限られてくる。


「さらに絞り込めます。ケーキを食べる時、お皿とフォークを部員で準備していましたね?」


『カチャカチャとお皿を準備しながらグッピーが愚痴る』


「カチャカチャという音が鳴っているということから、用意していたのは保管のしやすい紙製の皿ではなく陶器かプラスチック製の皿のはずです」

「つまり冷蔵庫と、割としっかりした皿とフォークが置かれていて生徒が自由に出入りできる部屋」


 そこまで言われれば、流石の俺でも察しがつく。


「事件現場はこの学園の家庭科室です」


 桐花は胸を張って自身の推理を披露する。


 だが俺にはまだ疑問があった。


「……なあ、犯行現場が部室じゃなく家庭科室だってわかったところで、何か変わるか?」


 こんな少ない情報でここまで言い当てられるのは流石だと思う。だが、これだけで犯人を特定できるような状況に変わったとは思えない。


 しかし、桐花はやれやれといった様子で首を振った。


「何をいってるんですか吉岡さん、随分と変わりますよ。だって容疑者の数が変わるんですから」

「容疑者の数?」

「ええ。もし部室が犯行現場だった場合、容疑者は部室に出入りできる文芸部員だけでした」

「家庭科室って、この学園の人なら誰でも入れるもんね」

「はい。つまり容疑者は当時学園にいた人物全員となります」

「かえって難しくなってんじゃねえかよ」


 5年前の生徒数も今と同じく1000人を超えるだろう。


 その中からどうやって犯人を探し当てろというのだ。


「しかしですね。日記の中で越前さんはこう言ってるんです」


『混乱した頭の片隅でただ一つだけ確信していたことがあった。犯人は間違いなく、この場にいる文芸部の2年生だということだ』


「なぜ越前さんは犯人が文芸部の2年生だと確信を持てたのでしょうか? 事件が起きた家庭科室は誰でも出入りできる状態だった。ケーキを冷蔵庫に入れた朝から放課後まで、その気になれば誰だって犯行が可能なのに」

「それは……なんでだ?」


 考えてもわからなかった。


「私が思うにニュアンスが違うんじゃないでしょうか? つまり、言葉の意味が我々の認識とは違うと思うんです」

「どう違うんだ?」

「私たちは先ほどの文章を『犯人は文芸部2年生の中にいる』と捉えていましたが、越前さんは『犯人は文芸部2年のあの人だ』と言いたかったんでしょう」

「それって、越前先輩は犯人がわかっていたってことなん?」


 泉先輩の問いかけに桐花は頷く。


「越前さんは事件があったあの時……少なくとも日記を書いていた時点で犯人がわかっていた。そう考えると一つの仮説が立てられます。越前さんはこの日記に犯人につながるヒントを全て残しているのではないか? という仮説が」

「情報は全部書かれていると?」

「はい。越前さんは本格ミステリを書く文芸部員です。先ほど言った通り本格ミステリでは真相につながる手がかりが全て公開されます。今思えば、犯行現場が家庭科室であるというヒントもしっかりと書かれていました」

 

 そうだ。そのヒントを読み解いて桐花は犯行現場を言い当てたのだ。


 つまり越前先輩は本格ミステリを書くのと同じ要領で日記を書いたということか。


「そうとなればあとは簡単です。今回の事件、一番の懸念は情報不足でした。もしこの日記に書かれていないだけで、あの場に6人目の部員がいたとか、冷蔵庫が倒れるような地震がその日あった、なんてことがあると流石にお手上げです」

「だよなあ」

「ですが必要な情報はすべて日記に書かれているのであれば、あとはその情報を拾い上げて推理をするだけです」


 ここまで来ればあとは桐花の独壇場だ。


「そして、この日記に書かれた情報から推理した結果、犯人がわかりました」


 ケーキをぐちゃぐちゃにして台無しにした犯人はーー



「犯人はケーキを作って持ってきた乙姫さんです」

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