イチゴはやっぱり甘くない 後編

「派閥について一通り説明したところで……藤枝、あんたが抱えている案件について話してもらおうか」


 派閥の知識としては十分だ。あとは藤枝に俺たちを訪ねてきた経緯を話してもらう必要がある。


「……わかった。話すわ」


 諦めたようにため息をつきながら、懐から白いカバーのついた手帳を取り出す。


「私があなた達を訪ねてきたのはある事件、蛇川イチゴさんの持ち物が盗難にあった件について聞きたいことがあるからです」


 そう言って手帳をパラパラとめくる。


「事件が起きたのはつい先日のこと。放課後の空き教室で蛇川さんが派閥のメンバー……お兄ちゃん同盟だったかしら? 彼らに日頃の感謝を込めて『イチゴちゃんの大感謝祭withお兄ちゃんズ』を開催した直後のーー」

「ちょっと待ってください」


 桐花が藤枝の言葉を途中で止める。


「え、なんですって? イチゴちゃんの大感謝祭withお兄ちゃんズ? あの……本気で言ってます?」

「……私は、聞いたことをそのまま伝えているだけだから」


 藤枝はそう言いつつ、自身が言っていることの馬鹿馬鹿しさを自覚しているのか、桐花から視線を逸らした。


「話を戻すわよ。その感謝祭では蛇川さんがアイドル風の衣装やメイド服など、さまざまな装いで歌って踊って、参加者はそれを見て応援しながら用意された軽食やジュースを楽しむ。そんな内容だったそうよ」

「……ちょっと楽しそうですね」


 それは俺も思う。


「とんでもない盛り上がり見せて大成功……だったんだけど。その感謝祭が終わった直後に蛇川さんの鞄、リュックサックが失くなっていたことに気づいたそうよ」

「失くなっていた……何故それが盗難だと?」

 

 確かに今の話だけでは、単に失くした可能性もある。


「蛇川さんはその日、会場となった空き教室の隣の部屋を着替えのための控え室として利用していたらしいわ。そこにリュックサックを置いてあったのは間違いないから、誰かに盗られた以外の可能性は考えられないそうよ」

「なるほど」

 

 桐花は口元に手を当ててふむふむと頷いている。


「その後派閥の面々で学園中を捜索したそうなんだけど、遂に見つからず。派閥の人たちから風紀委員である私のところにこの件を持ち込まれたわけ『盗ったのは間違いなく他の派閥の連中だから見つけて取り締まってくれ』って」

「ん? なんでそこで他派閥の人が犯人だと思ったんですか? 蛇川さんの私物なんだから、蛇川さんのファンである人たちの犯行だと思うのが普通では?」

「失くなった鞄が問題ね。その鞄はピンク色にイチゴ柄と、蛇川さんを象徴するいわゆる彼女のトレードマークだったのよ」

「んー? それがなんで他派閥に狙われるのか、やっぱりわかりません」


 桐花の疑問はもっともなものだ。派閥のことを理解しきれてない人間にとっては意味不明な言いがかりにしか聞こえないだろう。


「さっき派閥はアイドルのファンクラブみたいな物って言ったろ? 大抵の奴は自分が推している女子を遠くから眺めてるだけで満足するんだが、中には自分の推しが一番人気じゃなきゃ気が済まない過激派がいるんだ」


 九条の派閥も、エリカ様の派閥も、蛇川の派閥にも例外なく存在するだろう。


「盗まれた鞄は蛇川イチゴのトレードマーク。そのトレードマークを盗むことで彼女のアイデンティティを一つ奪った形になる。他の派閥の人間が、蛇川の人気を落とすために仕掛けた派閥争いだって考えられんこともない」

「派閥争いですか」


 やはり桐花はピンときていないようだ。


「この派閥争いは結構過激だぞ? 平穏な学園生活の裏では、常にトップスリーの派閥が血みどろの抗争を繰り広げてるんだ。全ては自分の推しを1年女子の頂点に据えるために!」

「……はあ」

「もちろん派閥は1年だけじゃない! 上級生にはさらに四天王と呼ばれる存在がーー」

「吉岡さん、さっきから話盛ってませんか? なんか無理やり盛り上げようとしてる感がすごいんですけど」


 うるせえな。普段は話を聞く側の俺が知識を披露できるせっかくの機会なんだ。多少盛ってもいいだろうが。


「まあ、彼の言ってることはほぼあってるわ。蛇川さんの派閥の人たちも同じような主張をしてきたもの」

「だとしても、圧倒的に疑わしいのは蛇川さん派閥の人たちでしょう?」

「まあそうね、私もそう思うわ。でも、ある噂が立っていると主張されたの」


 そこで藤枝は一拍置いて喋り出す。


「他のトップスリー。九条さんと守谷さんには想い人がいて、つい最近その想い人とデートをしたってね」

「つまりだ、自分の推しの熱愛が発覚して人気が落ちると考え、蛇川の人気を少しでも落とそうと考えた奴がいるんじゃないか? そう主張されたんだな?」

「その通りよ」


 藤枝は深いため息をついた。


「まさか……そんな馬鹿な話……」

「ここで重要なのはその噂が事実かどうかよ。ただの出鱈目な噂ならいい。九条さんと守谷さんの派閥の人がただの噂を信じて犯行を行ったなんて主張は馬鹿馬鹿しいと一蹴できる。だけど事実だったら? その事実を知った上で計画的に犯行を行なった人間がいる可能性を否定できる?」


 桐花は苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべるが、藤枝の言葉を否定しなかった。


「その噂について調べるなかで、あなた達が九条さんと守谷さんのデートに関わっているという情報を掴んだの」

「だから私たちにその噂の真偽を確かめにきたと? 本人に直接聞けばいいじゃないですか」


 突き放すような桐花のセリフに、藤枝は表情を歪める。


「……聞けるわけないでしょう。私だって周りから自分がなんて言われているのか知ってるのよ。そんな私に誰かとデートしてました。なんて素直に言うわけないじゃない」


 そう自嘲する。


「だからあなた達から話を聞きたいの。九条さんと守谷さんは本当にデートをしたのか?」


 改めて藤枝は俺たちに向き合う。


「約束する。決してこのことで二人を取り締まったりしない。そもそも守谷さんは同じ部活の先輩と遊びに行っただけ。流石にこれを咎めるほど風紀委員は狭量ではないわ。九条さんに至っては許可証持ちだから、デートをしようがなんの問題もないしね」


 こちらをまっすぐ見据える真摯な瞳。おそらく藤枝の言葉に嘘はないだろう。


 そしてついに、桐花が折れた。


「噂は本当です。九条さんと守谷さんはそれぞれの想い人とデートをしました」

「……そう。やっぱりね」


 そう言って藤枝は疲れたように空を仰いだ。


「正直言って、そんな噂デタラメです。って言われた方が楽だったわ。これで容疑者の数が跳ね上がったから」


 藤枝の言う通り九条とエリカ様の熱愛の噂がデタラメであったら、蛇川の派閥の『他派閥の人間が犯人だ』という主張の信憑性が低くなる。しかし熱愛の噂が事実である以上調べないわけにはいかないだろう。


 面倒なのは容疑者の数が増えて犯人探しが難航することだけじゃない。もし本当に他派閥の人間が犯人ならば、派閥間の対立が悪化する。


 流石に血みどろの抗争は言い過ぎだが、元々他派閥の人間にいい感情を持っていない奴がいることは確かなのだ。


 風紀委員の藤枝からすればそんな状況見過ごせないのだろう。


「情報提供感謝するわ。ではこれでーー」

「待ってください」


 立ち去ろうとした藤枝を桐花が引き止める。


「これからどうするつもりですか?」

「まず今の情報を風紀委員に持ち帰って……そうね、さっき吉岡くんの言っていた犯行をやりかねない過激派のピックアップからかしら?」

「そこから容疑者となる生徒を一人一人しらみ潰しで探るつもりですか? 派閥の人が何人いるか知りませんが、10人そこらの話じゃないんでしょ? 不可能ですよ」


 桐花は呆れたようにため息をついた。


「仕方ありません、協力します。事情を聞いた上で放置したんじゃ目覚が悪いですから」


 

 立ち上がった桐花はホワイトボード前に移動し、話を始めた。


「容疑者を一人一人洗い出すのはあまりに効率が悪いです。時間がかかればかかるほど、犯人を見つけるのは困難になるでしょう」


 それに派閥間の対立の悪化という問題もある。


「なのでまずは『誰なら犯行を行うか?』ではなく、『誰なら犯行を行えるのか?』を考えるべきです」


 そう言って桐花は藤枝に質問をする。


「事件当日、蛇川さんの鞄は感謝祭が行われた部屋の隣の控え室に置いてありました。この感謝祭ですが、事前に行うことは告知されていましたか?」

「いえ。感謝祭は蛇川さんがゲリラ的に行ったもので、ほぼ予告はなかったはずよ。空き教室の手配、会場の設営、お菓子やジュースの準備なんかは全部蛇川さん一人で行ったみたいだし」

「……すげえな蛇川。一人でやったのか」


 ふざけた名前の感謝祭に反して、そこにかけた努力が半端ではない。


「ちなみに鞄が置いてあった控え室ですが、他に誰かいたりしましたか?」

「それはなかったはずよ。さっきも言ったけど、その部屋は蛇川さんの着替えのために用意された部屋で、誰も立ち入らないように厳命されてたって話だから」

「着替え……衣装チェンジはどれくらいの頻度で?」

「詳しくは聞いてないけど、結構な頻度だったみたいよ。アイドル風の衣装。メイド服。セーラー服。アニメのコスプレ。バニー。少なくとも5回は衣装を変えたって派閥の人は言ってたわ」

「ちなみのその衣装は?」

「蛇川さんの私物を持ってきたみたいよ」

「蛇川すげえな」


 そこまで行くとプロ根性と呼んでも差し支えないだろう。


「つまり、蛇川さんが衣装を変えてから、また着替えるまで控え室は無人だったと……部屋の構造はわかりますか?」

「ちょっと待って」


 藤枝は立ち上がり、ホワイトボードに書き込みを始めた。


「着替えの部屋は3階の角部屋で、中から鍵がかかる構造になってたわ。カーテンを閉め切れば外から部屋の中が見れない構造になってたから、蛇川さんはこの部屋を選んだんでしょうね」

「3階ということは窓からの侵入は?」

「まず無理でしょうね」


 だろうな。2階なら多少無茶はできるかもしれないが、3階への侵入は不可能だ

 

「角部屋……ということは、この部屋に行くためには感謝祭が行われている部屋のすぐそばを通らなければならないということですね」

「……そういえば感謝祭の部屋、窓があって廊下が丸見えだったわ」


 二人とも、何かに気づいたように目を見開いた。


「蛇川さんの鞄。どれくらいの大きさでしたか?」

「ちょっと待って、その鞄の情報が載っているメーカーのホームページがあったはず」


 そう言って藤枝は自身の手帳を確認すると、スマホで検索をかけた。


「これよ。結構な大きさだわ」


 スマホの画像を確認すると、そこにはどぎついピンク色とイチゴ柄の派手な鞄が写っていた。


「革製で、折り畳んだりするのも厳しそうね」

「懐に隠し持って運ぶのは無理ですね」


 蛇川の鞄を盗み出すための条件をまとめると。

・控え室で鉢合わせしないよう、蛇川の着替えから着替えのタイミングをしっかり見計らう。

・派閥の人間がごった返す感謝祭が行われている部屋の真横を見つからないよう通って、控え室に侵入する。

・隠し持つことが困難な大きくド派手な鞄を持って、もう一度感謝祭が行われている部屋を誰にも気づかれずに通り抜ける。


「無理じゃね?」


 他の派閥の犯行なのか、なんてそれどころの話じゃない。こんなの不可能犯罪だろ。


「これは……ちょっと」


 藤枝すらも困惑した表情を浮かべている。


「……」


 桐花は口元に手を当てて考え込み、部室内を無言で歩き回った。


「……鞄」


 そしておもむろに呟く。


「そうだ……蛇川さんの鞄の中身は?」

「え? ああ、ほとんど物は入ってなかったみたい」

「は? こんなでかい鞄に?」

「形が崩れるのが嫌で、普段から中にはほとんど入れないんだって。入ってたのは充電器とか、化粧品とか、ちょっとした小物くらいだって」

「……やっぱり」


 桐花はそう呟く。


「最後にもう一度確認しますが。鞄は本当に見つからなかったんですね? 部屋の物陰に隠れてたのを見逃したとか、そういうオチはないですよね?」

「……ないはずよ。学園中調べられるところは徹底的に探したって。部活動中の部室に突撃してちょっとした騒ぎになったんだから」


 それを聞いて、桐花は頷く。


「わかりましたよ。犯人と、消えた鞄の行方が」



 桐花は改めて俺たちに向き直り、自身の推理を披露し始めた。


「この事件において、肝となる部分は『蛇川さんの鞄はどこへ、どうやって消えたのか?』という点です」


 どこへ?


 どうやって?


 桐花はその言葉をホワイトボードに書き出す。


「まず『どこへ?』控え室から消えた鞄は学園中探し回っても見つからなかったという話でした。もし学園のどこかに隠されているのだとしたら、あれだけ大きくて派手な鞄です、目撃証言の一つや二つあってもおかしくありません」

「……一応、ゴミ捨て場なんかも確認したけど、なかったそうよ」

「ならばすでに学園の外に持ち出されていると考えるのが自然です」


 どこへ? →学外


 ホワイトボードにそう書き出す。


「では次『どうやって?』犯人は蛇川さんの鞄をどうやって部屋から持ち出したのか? 控え室に行くには感謝祭を行なっている部屋の真横を通る必要があります」

「それも、窓ガラスがあるせいで廊下が丸見えの部屋の真横をね」

「そうです。なので少なくとも、蛇川さんの鞄を持っているのを見られるわけにはいきません」


 それはかなり難しいだろう。あれだけ大きくてド派手な鞄を持っていれば嫌でも目立つ。


「蛇川さんの鞄は大きく、材質のせいで折り畳むのも難しい。ならばあの大きな鞄がすっぽり入る、より大きな鞄、もしくは袋に入れて運んだと考えるべきです」


 どうやって? →より大きな鞄に入れて


「もちろんその方法にも問題があります。そもそもそんな大きな鞄を持ち歩くこと自体が目立ちますし」

「だよなあ。っていうか、女子が着替えている部屋に行くってだけで目立つだろ?」


 控え室の位置関係を考えると、犯行を行える人物はいないように思えてくる。


「……待って」


 藤枝が何かに気づいたように顔を上げた。


「一人だけいる。蛇川さんの鞄がすっぽり入るほどより大きな鞄を持った状態で控え室に入っても怪しまれ人物が」


 藤枝は言葉と裏腹に、信じられないと言うような表情を浮かべていた。


「あなたが考えている通りです」

「でも、まさか……」

「それ以外の可能性はありません」


 そして桐花は、犯人の名前を口にする。



「そうです。犯人は蛇川イチゴさんです」



 桐花の言葉に俺は混乱した。


「いや待てよ、蛇川が犯人て……」

「そうとしか考えられないんですよ。控え室へと続く唯一の道は感謝祭が行われている部屋から丸見えなんです。そんなところに外部の人間が忍び込んで鞄を持ち出すなんて不可能です」


 確かにその通りだ。


 蛇川が着替えている部屋に忍び込もうなんて輩がいたら、その時点で派閥の人間にタコ殴りにされているだろう。


「じゃあ鞄は? いったいどこに消えた?」


 そもそもの問題は、あれだけでかい鞄がいったいどこに消えたのか? という点だ。 


 もし途中で蛇川がトイレに行くから、なんて言い訳して感謝祭から抜け出して鞄をどこかにやったのだとしても、あの鞄を人目に触れず控え室から移動させるのは不可能なはずだ。


「それはもちろん、控え室の中に隠したんですよ」

「控え室の中って……」


 派閥の人間がその控え室も含めて、学園中くまなく探して見つからなかった言ってただろうが。


「いいですか? 派閥の人たちは蛇川さんが犯人だなんて全く疑っていないんです。そこが盲点となっているんですよ」


 盲点? 


「蛇川さん衣装は私物を持ってきたって言ってましたね? じゃあその衣装はどうやって持ってきたんでしょうか?」


 その言葉に藤枝はハッとした表情を浮かべる。


「……確か蛇川さん、衣装は大きな袋に入れて持ってきたって」

「でしょうね。メイド服にセーラー服にバニーでしたか? 話には出てきませんでしたが、それだけの衣装を学校に持ち込むためにはそれなりの大きさの袋が必要でしょう」


 もちろん、それだけ大きな袋なら蛇川の鞄もすっぽりと入るだろう。

 

「じゃあ、鞄を袋の中に入れて隠したってことか?」

「ええ、そうだと思います」


 桐花はコクリと頷いた。


「しかし、それだと袋から他の衣装が溢れないか?」


 袋の大きさは知らないが、元々の衣装にプラスしてでかい鞄が入るわけだ。もしそれで衣装が溢れれば不自然になってしまう。


「それは大丈夫です。蛇川さんの鞄の中はあまり物が入ってなかったんですよね? ならその鞄の中に衣装のいくつかをしまってから袋に入れればそこまで嵩張ることはないでしょう」

「……なるほど」


 スペースの有効活用ってわけだ。


「手順はこうです。まず控え室にトレードマークの鞄と大量の衣装が入った袋を置きます。そしてそのまま感謝祭開始。都度控え室に戻っては袋から衣装を取り出してお色直し。そして最後、空になった袋の中に衣装の入った鞄を入れ、その上からさらに衣装を入れて覆い隠したんです。仕上げに鞄が失くなったと大騒ぎをして、事件が発覚」


 全て蛇川の狂言だったというわけだ。


「学園中探しても見つからないわけです。失くなった鞄は、蛇川さんが持っている衣装の入った袋の中にあるわけですから」

「まさに盲点ね」

「あとはその袋を堂々と持ち帰ればいいだけです」


 女子の着替えの入った袋。そんなの男子が探れるわけがない。


「でも、蛇川はなんでそんなことを? 自分の鞄だろ?」

「さあ、そこまでは。色々推測することはできますが、そういうのは本人に聞いた方が早いでしょう」


 そう言って、桐花は藤枝に視線を送る。


 藤枝はその視線に応えるように立ち上がった。


「本人を問いただすのは、風紀委員である私の役目ね」



 それから数日。


 相談部に藤枝が再度訪れ、ことの顛末を話してくれた。


「結論から言えば、蛇川さんが犯人で間違いないそうよ。犯行方法も桐花さんの言った通り」

「なるほど。やはりそうですか」


 さして驚いた様子もなく桐花は頷く。


「で、なんでそんなことをしたんだ?」


 今回の事件。最も不可解なのはその動機だ。


「……鞄が気に入らなかったそうよ」

「は?」


 藤枝の言葉の意味が一瞬わからなかった。


「あの鞄、重いし大きいしで普段使いは最悪だったそうよ。だから盗まれたことにして処分するつもりだったんだって」

「はあ!? なら使わなきゃいいだけだろそんなの!」


 そんな理由であんな狂言を起こしたのか?


「使わざるをえなかったみたいよ。以前一度家に置いてきたら派閥の人たち全員に『鞄はどうしたの?』って言われたんだって。あの鞄が蛇川さんのトレードマークとして認知されているせいで、変なプレッシャーをかけられてたみたい」

「じゃあ失くしたか、壊れて使えなくなったってことにすればいいだけだろ?」

「自分の過失にしたくなかったんだそうよ。少しでも人気が落ちるのを避るためって言ってたわ」

「……人気者も大変だな」


 俺には理解できない苦労があるんだろう。


「派閥争いがどうのこうのに関しては、蛇川さんも予想外の出来事だったみたいで、話が大きくなりすぎて慌てていたわ。今更狂言でしたなんて言えるはずもないしね」

「結局どうするんですか?」


 桐花の質問に藤枝はため息をつきながら答えた。


「鞄は袋に入れていたことを忘れていたってことにしたわ。多少無理はあるけど、そこから先は蛇川さんにうまく誤魔化してもらいましょう」

「ま、それしかねえわな」


 元々盲信的に蛇川を慕っている連中の集まりだ。蛇川が言えば信じるだろう。


「これで事件は解決。感謝するわ、ありがとう」


 藤枝が思いの外素直に頭を下げてきた。


「ならよかったです。これで私たちもなんの憂いもなく部活動をすすめられますね」

「……普段特に何もしてねえけどな」


 藤枝の話を聞いていた時の方がよっぽど部活動してたよ。


「さて、そうなるとちょっと小腹が空きました。吉岡さん、チョコ持ってますよね?」

「は? お前なんで知って……」

「ふふふ、さっき購買で吉岡さんを見かけたんですよ。この前食べてたイチゴ味のチョコ、また買ってましたよね」


 桐花の言う通り、前に食べたチョコが結構美味かったのでまた買ったのだ。


「お腹が減ってるのでそのチョコください」

「お前なあ、俺にたかるなよ。ていうか購買まで行ってたんなら自分で買えよ」

「無事事件を解決した私にはご褒美があってもいいでしょう?」


 ニヤリと挑発的に笑う。


「クッソ、少しだけだからな?」


 そう言って買ってきたチョコの袋を開ければ、目にも止まらぬ速さで中のチョコを掻っ攫っていく。


 遠慮なしに俺のチョコがぱくつかれる。なんとか阻止しようとするが、抵抗虚しく消えていく俺のチョコたち。


 そんな俺たちのやり取りを、藤枝はじっと見ていた。


「あー、あんたも食べるか?」


 なんとなく気まずくなった俺はそう提案したのだが、藤枝は首を横に振った。


「いえ、いいわ。それイチゴ味でしょ?」

「ん? イチゴは嫌いか?」


 そうなるとまた桐花がうるさそうだ。いや、イチゴが嫌いなくらいじゃ怒らないって言ってたか?


「イチゴは好きよ。でもイチゴってそんなに甘くないでしょう? だからイチゴ味の食べ物って甘さが不自然だから嫌いなのよね」


 ……考えられる限り、最も桐花がブチギレそうなセリフだった。


 案の定桐花はチョコを食べる手をぴたりと止め、わなわなと震え出した。




「信じられません! よくも私の前でそんなことを! やっぱりあなたは出禁です、吉岡さん塩持ってきてください!!」

「だからねえって、そんなの」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る