イチゴはやっぱり甘くない 前編

 その日は、何か甘い物を食べたい気分だった。


 何がきっかけでそんな気分になったのかはわからない。昼食後の授業の時からずっと口の中がどうも寂しい気がしていたのだ。


 なので放課後、部室に行く前に購買に寄ってチョコレートを買った。


 部室に行くと桐花はおらず、仕方ないので一人漫画雑誌を広げながらチョコの封を開ける。

 

 チョコを一つ口の中に入れると、少し酸味の効いた甘さが広がる。午後からずっと甘みを求めていた体に心地よい。


 そのままゆっくり漫画を読みながら、一つ一つ味わうようにチョコレートをつまんだ。


 しばらくすると、慌ただしい足音と共に部室の扉が開かれた。


「あれ、吉岡さん早いですね?」

「よう」


 部室にやってきた桐花は俺の対面の椅子に座る。


「聞いてくださいよ吉岡さん。清水先生この前友達に誘われて合コンに行ったらしいんですけど、その時……ちょっと待ってください、吉岡さんなんですか、それは?」

「え、何?」


 話を途中でやめて震える指で俺が買ったチョコを指差した。


「よ、吉岡さんが、味のチョコ食べてるーー!」

「はあ?」


 急に大声を上げられる。


「どういうつもりですか! イチゴアンチの癖に! イチゴが甘くないんて抜かした癖に!!」

「だからイチゴアンチじゃねえよ! いいだろうが別にイチゴ味のチョコ食ってもよお!」


 桐花は立ち上がり、両手を机に叩きつけて抗議してくる。


 いちいち大袈裟なんだよこいつは。


「許せません! イチゴを貶した人がイチゴ味のチョコを食べるなんて! 罰として、一個所望します!」


 桐花は俺の方に身を乗り出し、目を瞑って催促するように口を大きく開けた。


「あーもう。仕方ねえな」


 桐花の開けられた口にチョコを一個放り込んでやる。


「うん、美味しい。やっぱりイチゴ味はハズレがありませんね。チョコとの相性もバッチリです。しかもこれチョコ単品ではなく、チョコが染み込んだ焼き菓子の上にチョコをコーティングした商品ですね。初めて食べる食感です。どれ、もう一つ」

「おい、一個って話だろ。てめえ何個もパクつくな!」


 桐花はそう言ってもう一つどころか、何個も俺のチョコを横取りし始めた。


 俺は恐るべき速さで口の中にチョコを運ぶ桐花の両手を抑える。


「てめえ……人様が買ってきたチョコを何個もかっさらいやがって。どういう了見だ?」

「放してくださいよ……このチョコはイチゴを愛する私にこそふさわしいんです」


 机を挟んだ形でジリジリとこう着状態が続く。


 桐花の両腕を抑えているが、少しずつチョコの方へと動いていく。この女なんて力だ。どれだけ食い意地が張ってんだ?


 そんなことをしていると、いるはずのない第3者の声が部屋の中に響いた。


「……楽しそうね」


 振り向けば、前髪を上げてカチューシャでまとめた銀縁メガネの女子が入口に佇んでいた。


 風紀委員の藤枝宮子だ。


「藤枝?」

「な、なんであなたがここにいるんですか!?」


 桐花が悲鳴のような叫び声を上げる。しかし藤枝は涼しい顔だ。

 

「あら? ノックはしたわよ。あなたたち聞こえていなかったみたいだけど」

「そんなことを言ってるんじゃありません。あなたはこの前の件以来、相談部を出禁にしたはずです!」

「……それは俺も初めて聞いたぞ?」


 桐花がここまで藤枝を嫌うのも無理はない。


 彼女は学園内の無断恋愛を問答無用で取り締まる『鉄の女』であり、しかも以前できたばかりの相談部を廃部にすると脅しをかけてきたのだ。


 桐花からすれば不倶戴天の敵と言っても過言ではないだろう。


「……別に、用が済めばすぐに出て行くわよ」

「用?」

「ええ、あなた達に確認したいことがあるの」


 そう言ってこちらに氷のように冷たい視線を向けてくる。


「九条真弓さんと柔道部の剛力さん。および守谷エリカさんと合唱部部長の杉原さん。この二組がそれぞれデートをしたというのは事実なの?」

「……は?」


 予想外の質問に固まる。


「九条さんと守谷さん。この二人が特定の男子とデートをしたという噂が広まっているの。そして、そのことに相談部のあなた達が関与しているという噂もね」


 事実だ。


 というより、俺たちがそのデートをするように焚き付けたよなものだ。


「……なんの話かわかりませんね」


 当然、桐花はしらばっくれる。無断恋愛を取り締まる藤枝にその手の情報を与えることはリスクしかない。


「たとえ何か知っていたとしても、あなたに話すわけないじゃないですか」

「……別に、その二組を取り締まるつもりはないわ」

「信用できるわけないでしょう!」


 桐花は頑なな態勢を貫く。

 

 それが当然のはずだ。その二組は俺たちとも関わりが深い存在で、風紀委員に話せるわけがない。


 だが、冷徹な『鉄の女』の表情からわずかに焦りのような感情が見えることがどうにも気に掛かった。


「話して。この二組は直接関係ないの。この事件は蛇川へびかわさんのーー」


 藤枝は慌てて口を閉じる。まるで言い過ぎたと言わんばかりの態度だ。


「蛇川? 1年の蛇川イチゴか?」


 俺にも聞き覚えのある1年の有名な女子生徒の名前。


 ここ数日のうちに俺たちに寄せられた相談内容。蛇川イチゴの名前。そして風紀委員藤枝の焦りよう。


 それぞれの情報を照らし合わせた時、一つの可能性が思い浮かんだ。


「もしかして、関係の話なのか?」

「……ええ。そうよ」


 俺の言葉に、藤枝は躊躇いながら頷いた。


「……藤枝。一方的に情報をよこせってんじゃ虫が良すぎるだろ。まず先にお前が抱えている事情を話せ」

「ちょっと吉岡さん! 何を勝手に!?」


 慌てる桐花。そんな桐花を俺は説得する。


「桐花。ここは藤枝の話を聞いた方がいい。場合によっちゃ、俺たちにも責任のある話かもしれない」

「一体何の話をしているんですか? だいいち派閥ってなんです?」

「派閥を知らないのか?」


 学園内の噂に目ざといこいつが珍しい。


「正直言えば私もよく知らないのよね。そう言った存在があるのを知っているだけで」

「藤枝もか? ああいや、まあそうか。派閥なんて、男連中が女子の耳に入れないようにコソコソやってるものだしな」


 藤枝がなぜ相談部に訪れたのか? その事情を聞くためには、まず派閥について知ってもらう必要があるな。


「しゃーない。俺がこの学園に存在する派閥について講義してやる」


 

「さて、派閥を知ってもらうためには、3人の女子生徒についての知識が必要だ」


 桐花と藤枝を椅子に座らせ、俺は以前桐花が強奪してきたホワイトボード前に立って解説を始めた。


「知っての通りこの学園は生徒数が非常に多い。3学年合わせて1000人近くって話だっけな」


 そして今年入学した新入生だけで300人を超える。


「これだけ生徒がいれば当然綺麗どころも多い。『あの子が可愛い」やら『あの人は美人だった』なんてのは話のネタとしてはうってつけだ。そしてこの話を突き詰めていくと『誰が一番人気のある女子なのか?』って話になってくる」


 そう言って俺はホワイトボードに3人の女子生徒の名前を書いていく。


「今年入学した新入生女子。その中でも特に人気のある女子生徒が『九条真弓』『守谷エリカ』、そして『蛇川イチゴ』だ。彼女達はただ見た目がいいってだけじゃなくその性格や個性、つまりキャラクターが受けて支持を集めている。通称トップスリーだ」


 ここだけの話。見た目だけなら目の前にいる桐花も藤枝もかなり良い方だ。だけどこの二人が男子に人気があるなんて話はとんと聞かない。やっぱあれだな、普段の行いとか、どぎつい個性が見た目の良さを全て打ち消しているんだろうな。

 

「派閥って言うのは、この3人をそれぞれ支持する連中の集まりのことだ。まあアイドルのファンクラブと一緒だな」


 他にも人気のある女子に対する派閥はいくつかあるが、1年の中ではこの3人の派閥が最大勢力だろう。


「あ。一応言っておくが、この派閥ってのは九条達の意図しないところで自然発生したもので、本人が自主的に立ち上げた物じゃないからな?」


 九条の人柄を知っていれば、そんなことするような女子じゃないことは言うまでもないことだが。


「さて、ここまでで質問のある奴はいるか?」

「はい! 吉岡さんは友達がいないのに、なんでこの手の話に詳しいんですか?」

「友達がいない言うなや」


 友達がいない奴には、そいつなりの休み時間の過ごし方というのがあるのだ。自席で寝ているふりをすればそう言った噂話は嫌でも聞こえてくる。


 それに最近は進藤がクラスでも話しかけてくるようになったため、自然と情報が集まるのだ。


「じゃあ次はそれぞれの派閥について詳しく見ていくぞ」


 強い個性を持つ女子生徒のファンの集まりだけあって、その派閥にもそれぞれ個性というものがある。


「まずは学園の小動物系アイドル、九条真弓について。まあ九条についてはもう今更だろう。学園で一番小柄で可愛らしい容姿。そして誰にでもフレンドリーに接する明るい性格。トップスリーの中じゃ一番正統派な人気だな」


 その実態は超がつく肉食系女子。狙った獲物は逃さない捕食者プレデターだ。


「正統派なだけあって派閥としては一番規模がでかい。他の派閥と違って女子がいるのも特徴だな」


 中にはロリコンが混じっているという話を聞くが、真偽不明だ。


「ただし、この派閥は派閥意識というものが薄い。九条と交流を持って『ああ、この子いい子だな』って感じでなんとなくこの派閥に所属している奴が圧倒的多数だ」

「つまり、九条さんの交友関係がそのまま派閥になったってことですか?」

「その通り。通称『真弓ちゃんのお友達軍団』だ」

 

 最近は柔道部の連中もこの派閥入りしたと聞く。


「さて次はエリカ様の派閥についてだ」

「エリカ様?」

「この男の言うことは無視してください」


 疑問符を浮かべる藤枝に桐花が釘を刺した。


「学園の女王様、守谷エリカ様。金髪ハーフの美人という圧倒的に華やかな見た目、そして歯に衣着せないその毒舌っぷり。その強烈なキャラクターにやられたドMどもの集まりがこの派閥だ……何故か体育会系が多い印象だな」


 やっぱあれか? 貴重な青春を、体を酷使して過ごす連中にはドMが多いということだろうか?


「他の二つの派閥と比べれば規模は小さいが、体育会系が多く所属しているだけあって勢いのある派閥だ。ただな、どうにも結束力がない。他の連中を出し抜いて『俺を罵倒してください!』って連中が多い」


 合唱部の伊達と飛田がいい例だろう。


「あと、どうもエリカ様はこの派閥を鬱陶しく思っているらしい。合唱部で迷惑をかけられたとかで」

「あー確か守谷さんのいる合唱部、一時期大変だったらしいですね」

「その話は風紀委員でも噂になってたわ。守谷さん目当てで合唱部に入部する男子が増えた時期があったって。最終的にまともに練習しない人たちを守谷さんが追い出したそうね」


 最後まで残った伊達と飛田は真剣に部活に取り組んでエリカ様に認められたということなんだろう。あいつら変態の癖して根性はある。


「とまあ、エリカ様から存在を拒絶されながらも、『それはそれで……』という変態の集まりが『下僕衆』と呼ばれている」

「……ただのドMの集まりのくせに、物々しいわね」

「あと、吉岡さんどちらかというとこの派閥所属ですからね」


 心外だ。俺をあんな変態どもと一緒にしないでほしい。


「そして最後。学園の妹、蛇川イチゴ」

「妹って……」

「黒髪ツインテールにハイニーソックス。ゴテゴテついたリボンにピンク色の小物で固められた、あざと可愛いと一部の男子の間で熱烈な支持を受けている女子生徒だ。あとそのキャラクターが凄まじい。皆の妹を自称して、同級生の男子すら問答無用で『お兄ちゃん』とよんで甘えてくる性格にやられた男子は数知れず」

「あー。たまに廊下から『イチゴちゃーん!!』って野太い歓声が上がってるのはそれですか」

「そうだ。そんな蛇川イチゴのお兄ちゃんを自称する連中が集まった派閥が『お兄ちゃん連合』だ」

「……今まででぶっちぎりに酷い名前ね」


 藤枝の頬が引き攣っている。


「この派閥のすごいところはその結束力だな。エリカ様の派閥の仲の悪さは言うまでもない。九条の派閥も仲が悪いわけじゃないんだが、さっき言った通り派閥意識が薄く、どっちかって言うと友達の友達って感じだ」

「蛇川さんの派閥は仲が良いんですか?」

「いや、結束しているだけで仲が良いわけじゃない。一時期『誰が真のお兄ちゃんなのか?』ってことで殴り合い寸前になるまで揉めたらしい」

「酷い話ね。真のお兄ちゃんなんて、いるわけないのに」


 藤枝の指摘はごもっとも。


「寸前ってことは、殴り合いは回避されたんですか?」

「ああ。ギリギリのところで蛇川が現れて『お兄ちゃん達、みんな仲良くして欲しいニャン♡』の一言で収まったらしい」

「……本当に酷い話ね」

「……男の人って」


 女子二人がドン引きしてる。


「とまあこんな具合に、表面上は蛇川のために皆結束してるが、裏では真のお兄ちゃんの座を争い続けているそうだ」


 お兄ちゃん連合は、魑魅魍魎が蔓延る魔境となっている。


「さて、派閥についてはある程度わかったか?」

「まあ。私の知らない世界があることは理解しました……正直知らないままでいたかった気もしますが」


 桐花はなんとも言えない表情を浮かべていた。

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