第14話「赤い瞳の少年と約束」


「『外国に売られれば、ちゃんと食べさせてもらえる』なんて言葉、本当かどうかわからないじゃない」


 私の言葉に、青年たちが押し黙ります。

 本当は気づいていたのでしょう。その言葉が、嘘であるという可能性に。

 それでも一縷の望みを、信じたかったのですね。


「じゃあ、どうすればいいんだよ。俺たちは何を信じればいいんだよ」


 青年の手を握りました。

 びくりと震えたのは、一瞬のことでした。


「自分を。そして隣にある温もりを、信じれば良いのではないの?」


「……それじゃあ、腹は膨れない」


「そうね。でも、そんな風に泣くくらいなら……。やりたくないことはやらなくてもいいのよ」


「泣いてなんかない」


「泣いているわ。ずっと、泣いていたのよね?」


 青年がようやく顔を上げました。

 その目に、涙が滲んでいます。


「泣いたって、腹は膨れない」


「ええ。そうね。それでも、悲しい時は泣いてもいいのよ」


 ──ポロリ。


 涙が、こぼれ落ちました。


「俺、こんなことしたくない。悪いことなんかしたくない。……ヨハンを、外国になんかやりたくない」


 穏やかな言葉で綴られた思いは、彼の本当の心の叫びです。


「わかりました」


 ぎゅっと、強く。その手を握りしめます。


「来るのが遅くなってしまってごめんなさいね」


 青年が首を傾げました。


「私は、あなたたちを助けにきたのよ」


 ──ガシャーン!


 ──ドカ、ドカ!


 階下から、大きな物音が響きました。

 予定通り、助けが来たのでしょうか。


 ──ギンッ!


 剣と剣がぶつかり合う音。これは予定外です。


「下に誰かいるの?」


「人買いの仲間。大きな商談があるからって、昨日の昼からここにいるんだ」


 二階にいる私に存在を悟られないよう、気をつけていたようですね。


「何人いるかわかりますか?」


「十人くらい。用心棒もいる」


 助けに来るはずの四人が、その存在に気づいていないはずがありません。

 大きな物音を立てて侵入するとは、どうしてそんな方法をとったのでしょうか。


「あなたたちの仲間と子供は?」


「えっと、仲間が十二人。子供はヨハンを入れて六人」


「他の子達は下にいるの?」


「うん」


「わかりました。あなた達は、この部屋にいるのよ」


 部屋の外の様子を伺います。

 二階に異常はありません。階下からは男達の争う声と剣戟音、家具や壁が壊れる音が響いています。


「どうするの?」


「予定とは違う何かが起こっているようです。助けが必要かもしれません」


 予定通りであれば、四人の騎士によって簡単に制圧できるはずでした。

 ところが、武器を持った大人が十人。場合によっては、子どもを人質に取られてしまいます。

 彼らを信用していないわけではありませんが、楽観できる状況ではありません。


「何か、武器になるものを貸してもらえるかしら?」


「うん。でも、お嬢様なのに助けに行くのか?」


「あら。お嬢様だってね、戦うことくらいできるのよ」





 玄関ホールは大きな吹き抜けになっていました。

 二階の廊下から、そっと階下を見下ろします。

 そこでは、一人の若い男が他数人の男達に囲まれていました。


 ……あれは、誰でしょうか。


「貴様!」


「いい加減にしろ!」


 次々と斬りかかってくる男達を、見事な剣技でかわして反撃しています。

 部屋の隅には、すでに気絶している男が数人転がっています。


「さあ、どんどん来ないと! 俺一人に全員斬られちゃうぞ!」


 大人数に囲まれて分が悪いようにも見えますが、若い男は楽しそうな様子さえ見せています。


「ちっ!」


「ムルシア様、ここは逃げましょう」


「それでは、商談が!」


「命より商談ですか!」


 見れば、一人だけ身なりの良い男が紛れています。

 彼が『ムルシア様』でしょう。

 状況から見て、人身売買のために子供達を買っていく商人。そして、子供達に罪を着せる『悪い大人』です。


「逃すかよ!」


 若い男が斬りかかりますが、それは防がれてしまいました。


「待て!」


「私が!」


 二階の廊下から柵を乗り越えて、一気に飛び降りました。

 青年から借りた小さなナイフを、一人目の男の肩に突き立てます。


「ぐわっ!」


「誰だ!」


「誘拐したお嬢様だ! 傷をつけるな!」


 『ムルシア様』の叫びで、男達が怯みます。

 その一瞬を、見逃すはずがありません。


「うわっ!」


「ぐぅ!」


 二人の足を、立て続けに斬りつけました。


「あと三人!」


「おう!」


 私の檄に、若い男が応えました。

 応えた男の赤い瞳は、どこか懐かしい色をしていました。


 



「遅かったですね」


 四人の騎士たちが来たのは、子ども達と協力して『ムルシア様』をはじめとする悪党達を縛り上げている頃でした。


「これは、どういう状況ですか?」


「この男が、諸悪の根源のようです。こちらの男性と協力して捕縛しました。騎士団に引き渡して、しっかり絞り上げてもらいましょう」


「子ども達は?」


「この男に騙されていたのです。彼らに罪はありません」


 マース伯爵が、私の瞳をじっと見つめます。


「騙されていたとはいえ、彼らは令嬢を誘拐して身代金を奪いました」


「そのお金も九割以上を、このムルシアという男が搾取していました。誘拐に使った道具や香の使用料だと言って」


「彼らは貧民街から子どもを連れてきて、国外に売り払っていました」


「子供達を思ってのことでした。『外国に行けば、ちゃんと食べさせてもらえる』という言葉を信じたのです。この男が、彼らの優しさにつけこんだのです」


 無理のある言い訳かもしれません。

 どんな事情を並べたところで、彼らの罪は明白でもあります。

 法に則れば彼らにも罪を問うべきだと。そう言うでしょうか。


 マース伯爵がため息を吐きました。

 次いで、呆れたように微笑みます。


「……そのようですね」


 言い訳を、受け入れてくださったのです。

 ほっと息を吐きました。

 子供達も安心したのでしょう、揃ってその場に座り込んでしまいました。


「坊主ども、大丈夫だ。この人に任せとけば、悪いことにはならねえよ!」


 若い男の言いようは、まるで私のことを知っているかのようです。


「どこかで、会ったことがあるかしら?」


「俺のこと忘れちまったのかよ、姫さん」


 『姫さん』

 その呼び方に、ハッとしました。


「イヴァン?」


 白銀の野原を駆けるオオカミを思わせる灰色の髪、褐色の肌、赤い瞳──。


「あなた、イヴァンなの?」


 私がその名を呼ぶと、赤い瞳が喜びの色に染まりました。


「約束通り、来たぞ!」


 十歳の頃。

 別れの日は雪が降っていました。


『俺、必ず行くよ。姫さんのそばに。……俺が姫さんを守るよ』


 赤い瞳の少年と交わした約束を、今でもはっきりと覚えています。

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