第13話「あの日の私」
──ゴトゴト、ゴトゴト。
麻袋のまま運ばれ、しばらくすると荷車に乗せられたようです。
速度はそれほど速くありませんから、人力で引いているのでしょう。馬蹄の音もしません。
「ちょろかったね」
「こうしゃく令嬢らしいけど、屋敷のけいびはザルだったな」
「明日の朝には、大騒動だ」
数人のヒソヒソ声が聞こえてきます。
悪戯に成功した子供のような物言いです。
「兄さんたちは、大丈夫かな?」
「追手がなければ、すぐに追いつくさ」
「今回は、今までよりも高い金額で『こうしょう』するって言ってたよね」
「ああ」
「しばらくは、やわらかいパンが食べられるかな」
「肉だって食べられるさ!」
そんな話を聞いている内に、何人かが合流したのが気配でわかりました。
さらに数刻後、ようやく荷車が止まりました。
「気をつけろよ」
「そっとだ」
「起こしちまったら、びっくりしちまうからな」
『兄さんたち』と呼ばれた男たちが悪っぽい口調で話していますが、その内容は優しいものです。人質を驚かせないように、怪我をさせないように、と年下の子たちを注意しています。
「ちょっとの辛抱だからな。金を受け取ったら、すぐに帰してやるからな」
麻袋に向けられた言葉に、胸がギュッと締め付けられました。
彼らの根城となっている建物は二階建てのようです。
私は2階に運ばれ、麻袋から丁寧に出されました。そのまま、ベッドに寝かされます。
「よし。見張りはしっかりな」
その一言を最後に、私は部屋の中に一人きりになりました。
彼らなりに、できる限りに清潔にしているらしい部屋です。
ドアはしっかりと施錠され、窓には鉄格子がはめられています。板で塞がれているので、外の景色は見えません。
予定通りと言えば聞こえは悪いですが、予定通りです。
あとは、助けが来るのを待つだけ。
──翌朝。
誰かが部屋の中に入ってきた気配で、すぐに目が覚めました。
「俺たちは何もしないから、暴れたりするなよ」
部屋に入ってきたのは、一人の青年でした。
若い。
やはり、まだ少年と呼んでもいいくらいの年齢です。
「わかりました」
返事をすると、青年がほっと息を吐きました。
抵抗されたら、と緊張していたようです。
「朝食」
差し出された盆には、水と小さなパンが一欠片。
「ありがとう」
「足りるか?」
少量とはいえ人質にも食事を出してくれる。その上、量が足りるかと聞いてくる。
昨夜の様子からも、彼らは人質に危害を加える気が一切ないことが分かります。
「大丈夫よ」
青年はそう言うと、改めてしかめ面をしてから部屋を後にしました。
彼らは素人。間違いありません。
何故こんなことをするに至ったのでしょうか。
「……彼らに入れ知恵した誰かがいるのかしら?」
いるとすれば、それは人身売買の売り先の商人に違いありません。
眠り香の出どころも気になります。かなり高価な代物ですから。
「お昼ご飯だよ」
昼食は水とパンに温かいスープでした。
持ってきてくれたのは、小さな男の子。
「あなたたちは、ちゃんと食べているの?」
「うん」
「あなたは、ここで働いているの?」
「そうだよ。でも、もうすぐここを出ていくんだ」
「出ていく?」
「うん。他の場所で働くんだって。兄さんが言ってた」
彼は売られるためにここに連れてこられた子供なのでしょう。
そして、買い手がついた。
それにしても、商品である少年に人質の世話をさせるとは。
「他のお兄さんたちは?」
「街が騒がしいからって、みんな出かけたよ」
予定通り、
おそらく、今夜中には決着がつきます。
「ねえ、聞いてもいい?」
「うん」
「私はあなたたちに誘拐されてきたんだけど。それが悪いことだって言うのは知ってる?」
「……うん」
「悪いことなのに、どうしてこんなことするのかな?」
「お金がないから」
「でも、お金がなくてもちゃんと働いて暮らしている人もいるし、子供なら貴族の屋敷に行けばパンがもらえるでしょう?」
「でも!」
男の子は俯いてしまいました。
「兄さんが……」
「うん」
「俺たちは奪われてばかりだから。ちょっとくらい奪い返したっていいんだって」
「……そう」
「ごめんなさい」
「ううん。私もごめんなさいね。話してくれてありがとう」
男の子は、小さく手を振ってから部屋を出ていきました。
「夕飯」
夕飯は水だけでした。
持ってきた青年が私を睨みつけます。
昼食の際のやりとりについて、聞いたのでしょう。
「怒っているの?」
「怒ってる。ヨハンはまだ五歳なんだぞ」
「そんな小さな子を売ろうとしている人が、何を怒っているの?」
──バシャッ!
水をかけられました。
相当、怒っているようですね。
「俺たちの気持ちが、
ああ、怒りではありません。
「毎日毎日綺麗な服着て、旨いもの食べて、あったかいベッドで寝てる! あんたに、何がわかるんだよ!」
悲しみです。
「どうした!」
「兄さん?」
大きな声に驚いたのでしょう。
彼の仲間たちが次々と部屋に顔を出してきます。
「食べるものといえば、貴族様に恵んでもらった食べ残しのパン。夜は寝る場所もなくて、仲間たちとくっついて寝る。隣で寝てた仲間が朝には死んでたこともある!」
五歳のヨハンも、不安そうな表情を浮かべてドアの陰から見ています。
「俺たちは、明日には死ぬかもしれないんだ。そんな暮らし、知らないだろう!」
彼の言う通りです。
私は、彼らのことを何も知りません。分かっていません。
戦場もまた死と隣り合わせの場所でしたが、それとは違います。
普通の暮らしの隣に、いつでも死がある。
それは私たちには経験することのできない、不安と恐怖でしょう。
「人に頭を下げずにまともな暮らしをするためには、悪いこともしなきゃならない」
そして、ただ普通に暮らすだけで尊厳を傷つけられる日々。
「俺たちは、まともに暮らしたいだけだ! それを、あんたは責めるのか!?」
彼らの望みを、誰が否定できるでしょうか。
彼らは、ただ普通に暮らしたいだけ。尊厳を傷つけられず、ただ普通に。
『誰にも踏み
『尊重されて、生きていきたい』
──私と同じです。
私の目の前にいる彼らは、追放されたあの時の私です。
「けれど、そのために小さな子どもを犠牲にしてもいいの?」
「ぎせいなんかじゃない!」
ヨハンが部屋に飛び込んできました。
強く拳を握る青年の腕を、ぎゅっと抱きしめます。
「外国に売られれば、ちゃんと食べさせてもらえるって聞いた」
ぼそっと言ったのは、ドアの外で見守っていた青年の一人です。
「ちゃんと温かいベッドもあるって」
──そういうことですか。
そう言って、彼らをそそのかした大人がいるのですね。
「……結局、あなたたちは奪われてばかり。これからもそうだわ。ずっと奪われる側でしかない」
私の言葉に、青年の顔が真っ赤に染まりました。
自覚があるのでしょう。
大人たちにいいように使われて、搾取されているという自覚が。
「このままでいいの?」
いいはずが、ありません。
必ず、救い出して見せます。
私が……。
私が、やらねばなりません。
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