第15話 近衛さんに会った。

 2021年、9月、10月と、私が口にするのはタイガースと近衛さんだった。今『近衛文麿と帝国陸軍と戦争』というタイトルで文章を書いていると、友人に云うと、「それでは、近衛さんに会って見ないか」と云う。不思議そうな私の顔を見て「それ、死んだ人を呼び戻すという、あれ。なんでも戦前の政治家、軍人には秀逸らしい」ということで、友人に連れられてそこに出向いた。

 瀟洒な和風の一軒家であった。玄関の表札が近衛になっているではないか?友人に訊くと「偶然、偶然」と笑った。控えの間で待つこと1時間、次の間に通された。和座敷であったが、テーブル席に座らされた。襖を開けて白髪の品のいい老人が現れ、向かいの椅子に座った。

「どなたを呼び出せばいいのですか」と、静かな口調で訊かれた。友人が「近衛文麿さんで、こいつが今小説を書こうとしていまして、なんでもここ二か月『近衛さん,近衛さん』なんです」と問われてもないことまで喋った。「じゃ~、頑張って見ます!違う人が出たらご容赦」、大丈夫かいなと思う。

 老人が出て来た部屋に通された。大きな神棚祭壇があり、燈明が灯されていた。老人は神棚に一礼をしてテーブル席に座った。向かいに座らされ、暫く目をつぶる様に云われた。私は何故か眠気を感じた。あと一つ勝っていれば優勝できたのにと昨夜は寝つきが悪かったのだ。暫くそのままと云って老人は部屋を出て行った。


 待つこと10分ぐらい、あの近衛さんが現れたのである。例の黒のフロックコート姿で、私の前に立ったのである。私も立とうとしたのだが、そのまま、そのまま、と云う感じで、声は晴朗にして明確、話すより聞き上手であった。戦前の話では、山本七兵さんの派兵予算をストップする話をしたのだが、「そうですね、議会も内閣もしっかりしなければいけませんね」と話されただけで、私の松岡と同時に東条を切れば良かったのに云うと、「松岡を切るには陸軍大臣の協力が要ったのだよ、でも結果は君の云う通りだね。惜しいね、僕の秘書に成れたのに」と、おだてないで下さい、近衛さん。

 独ソ戦が始まって、信義を破ったのはドイツなのだから、三国同盟なんて止めちゃったら良かったのにの話には、「そうだね、僕もそれは軍のトップにも話したんだけど」と、話しただけじゃ~、あかんやないですか、近衛さん!既存政党に乗っかったっていいじゃ~ないですか、新党を作って、国会を使って軍と対峙する、政治はすべからく権力闘争であるのです。

「絆創膏を貼ったようなつぎはぎでなく、もっと、根本を正してですね、そんな政府でなければなりません」と、近衛が西園寺に語った。あとで西園寺は「絆創膏を貼ってないような政府が何処にある?」と秘書原田に語ったと云う。


 小さな会社さへ、満足に経営出来なかった者が、あの激流の時代を首相として努めた人に、これ以上何を質問するや・・。後は戦後のことを私が主に話し、近衛さんは聞き役だった。昭和研究会にいた人たちが、戦後自民党や社会党で活躍した話は関心を持って聴いてくれた。和田博雄の農地改革、吉田茂や石橋湛山が首相になった話は嬉しそうだった。敗戦国だった日本、ドイツが戦後目覚ましい経済復興を成し遂げたこと、ソ連が国名をロシアに戻したこと、中国は一時混乱があったが、今やアメリカに次ぐ国力を持っに至ったことなどの話には、驚きを持って聞き入っておられた。今、世界は新型コロナで世界中の人がマスクをする大変なことになっていること。厚生労働省が人々の暮らしに今や欠かせない省庁になった話には、産みの親、近衛公は殊のほか嬉しそうだった。嬉しそうな顔にちょっと悪いけど、朝鮮は分断国家になっていること、台湾海峡が緊張関係にあることを話した。「まだ、日本の戦後は終わっていないのですね」と曇った顔に・・悪かったかな?

 暫くして友人が入って来て、帰るぞ、早く目を覚ませと、どうやら私は白髪の老人に催眠をかけられていたようだった。


 ここまで来たのだから今更引けない東条の気持ちもわかる。私も同じ思いで失敗もした。あの激流の時代、誰が個人として戦争の防波堤になり得たのだろう。満州まで兵を引き揚げれば日米開戦は避けられる可能性は大だった。確かに!しかしその後の歴史を見れば、ソ連、毛沢東の中国との戦争は必死だっただろう。


                               了





 

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