姫乃さんは僕のことを変態だと思っている

ツネキチ

僕は変態じゃない

 僕、平田涼介ひらたりょうすけと姫乃さんの出会いは高校入学初日のことだった。


 これから始まる高校生活。胸躍る素敵な出会いに期待してドキドキしていた時、彼女と出会った。


 隣の席に座った彼女を見た時、心臓が止まったのかと思った。


 長く艶やかな黒髪、涼しげな切長の目元、シュッと通った鼻筋。


 僕の貧弱な語彙力じゃ彼女の魅力を100分の1も表現できないだろう。だけど間違いなく、僕の人生の中で彼女ほど綺麗な人を見たことがなかった。


 衝撃を受け彼女に見惚れていた僕の顔はさぞ間抜けだったであろう。だけど彼女はそんな僕の視線に気づくと笑顔を返してくれた。


『初めまして、これからよろしくね』


 再び衝撃。


 雷を受けたような、いやいっそのこと天地全てがひっくり返ったかのような衝撃だった。


 その時の彼女になんて返事したのか覚えていない。



 高校生活初日、僕は彼女に恋をした。



 その日から僕の姫乃さんに対するアプローチが始まった。とは言っても、ヘタレな僕には少しでも多く彼女に話しかけることしかできなかったけど。


 姫乃さんの席が僕の隣だったのは人生最大の幸福だろう。おかげで話しかける機会に恵まれた。


 話の内容はどこの中学だったのかとか、部活は何をするつもりなのかとか、そんな他愛もない内容だった。


 だけどそんな他愛もない話であっても、彼女とのおしゃべりは本当に楽しかった。僕のくだらない冗談に笑ってくれる姫乃さんの笑顔を見ることはとても幸せだった。


 そんなこんなでおよそ一月、4月も終わりになるころ僕は焦り始めていた。

 

 そう、席替えだ。


 この一月で彼女とはかなり親しくなったと思う。だがそれはあくまで隣人としてだ。このまま席が離れてしまっては彼女との接点が失われてしまう。


 そんなことに悩まされていたある日の朝、いつも通り登校した姫乃さんはおはようと僕に声をかけながらカバンを机の上におき、彼女の友人の元へ向かおうとした。


 その時だった。


 姫乃さんが机に足を引っ掛けて前から倒れかけた。


『危ないっ!』


 咄嗟に立ち上がり彼女を受け止めた。


 ポンっ、と胸元に思っていたよりも軽い衝撃。


『ひ、平田くん?』


 戸惑うような姫乃さんの声。だけど僕はそれどころじゃなかった。


 近い近い近い柔らかい柔らかいなんか良い匂いがするなんだこれシャンプー?シャンプーってこんなに良い匂いがするの?柔らかい姫乃さん思ってたよりも小さいし軽いでも柔らかいし良い匂いがする女の子ってこんな良い匂いなの?姫乃さんが近い姫乃さんが近いえ何これ抱きしめてもいいの?大丈夫?犯罪になんない?柔らかい特にお腹の当たりがすごい柔らかい!!!


 時間にして2秒もたっていなかったと思う。その間に僕の頭はフル回転したがこれといって役に立つことは考えていなかった。


 僕から離れた姫乃さんは顔を赤く染めながらもはにかんだ。


『あ、ありがとうね。平田くん』


 その表情があまりに可愛くて、僕は再び混乱に落ち入った。


 何か返事をしなければ。


 ここで気の利いた返事をしなくてはならない。今姫乃さんは僕に感謝している、返答次第で好感度をさらに上げることが可能だ!


 だけど僕はその時混乱の極みにあった。姫乃さんから漂った香り、柔らかい感触、そして笑顔。その全てが脳裏から離れなかった。


 やがて僕の脳みそは一つの結論を出した。脳みそに命じられるままに僕の口は動いた。



『姫乃さんって着痩せするんだね』



 今考えても最悪の一手だったと思う。


 僕の言葉の意味がわからなかったのか姫乃さんは固まる。だがそれも一瞬のことですぐさま顔が真っ赤になっていった。


『な、何を!?』


 自らの体を庇うように抱きしめる姫乃さん。そこに来てようやく僕は自分の失言を理解した。


『い、いや違うんだ! 姫乃さん!』


 なんてことを口走ったんだ僕は!? これじゃただの変態じゃないか!


『こんなこと言うつもりじゃなかったんだ! ただその、びっくりしちゃって!』

『び、びっくり?』

『そう、そうなんだよ!』


 必死に言い訳を重ねる。


 考えろ僕! ここで返答に失敗すると詰む!


 脳みそをフル回転させる。過去にこれほどまでに脳みそを酷使したことがないと思うほどにだ。


 だけど僕は、僕の脳みそがどれだけポンコツか理解できていなかった。


『お腹に当たった姫乃さんのおっぱいの感触があまりに気持ち良かったから混乱しちゃったんだ!!』

『っっっ!!??』


 あ、やばい。


 そう思った時にはすでに遅く、キッと僕を睨んだ姫乃さんの鋭い右のビンタが僕の頬を張り飛ばしていた。


『この……変態っ!!』


 その日以来、僕は姫乃さんに口を聞いてもらえなくなった。



「ーーというわけで、2人には姫乃さんと仲直りする方法を考えてもらいたいんだけど」


 昼休みの教室。僕は一緒に昼食をとる友人2人に相談していた。


 中学からの友人である、寺沢進てらさわすすむ御手洗唯子みたらいゆいこ


 あれから1ヶ月、姫乃さんに存在を無視されている僕は、彼らに相談すれば何か活路を見出せるのではないかと藁にもすがる思いだった。


「ヒラと姫乃さんが仲直りする方法?」

「そうなんだよみたらし、何かないかな?」

御手洗みたらいね、み・た・ら・い。このやりとり1000回目ぐらいだけど」


 大きなお団子ヘアーが特徴的な彼女は眠たげな目でパックの牛乳をすすってる。


「僕としてはやっぱり僕が変態であるという誤解を解くことが先かなと思ってるんだけど」

「ヒラが変態であるという誤解を解く? そりゃ無理だ」

「な、なんでだよススム!」


 長めの茶髪の男(高校デビューだ)に抗議する。


「だって……なあ」

「……まあ、そうだね」


 ススムとみたらしはお互いに顔を見合わせて何やら頷き合う。


「なんなんだよ、言いたいことがあるならはっきり言ってくれ!」

「……そうか? なら言わせてもらうが」


 苦虫を噛み潰したような顔のススムは言いづらそうに口を開く。


「誤解も何も、お前は正真正銘変態だ」

「なんてこと言うんだ!!」


 親友のあまりにあんまりな発言に憤慨する。横にいるみたらしもうんうんと頷いている。


「違う! 僕は変態じゃない!!」


 そんなこと、長い付き合いの彼らならよくわかっているはずなのに。


「いやいやお前が変態だってことは俺らが一番よくわかってるって。あの事件がなくても姫乃にはいずれバレてたぜ、絶対」

「私としては、よく1ヶ月も隠し通せたなって感じなんだけど」


 なんてことだ! 裏切られた気分だ!


「おっぱいの感触が気持ちよかったです、なんて大声で宣言する奴は誰がどう考えても変態だろ」

「あー、あれ隣のクラスまで聞こえてたらしいね」

「あんなことやっといてまだ話しかけようとするなんてどんだけだよ。お前今日も姫乃に一緒に昼飯食わないかって誘ってただろ? まあ、姫乃ガン無視してどっか行ったけど」

「メンタルの強い変態」


 なんて言い草だ! これが本当に僕の親友なのか?


「もうさ、姫乃は諦めろって。あんなセクハラ発言しといて仲良くなろうなんて流石に無理だって」

「姫乃さん可愛いけどさ、他にも良い娘いるよ?」


 この2人は全くわかっていない。


「姫乃さんの美しく輝く髪! 切長でありながら温かみを持つ目! 小さくて可愛らしいのにスッと通った鼻筋! まるで花畑を思わせる芳醇な香り! 姫乃さん以上に素敵な女子なんているわけないだろ!」

「……女子の好きなポイントで匂いを持ち出すあたり、やっぱ変態っぽいなこいつ」

「……流石に私も引く」


 なぜか引き気味の2人。


 心外だ。姫乃さんの魅力はまだまだこんなもんじゃないのに。


「まあいい。百歩譲ってヒラが変態じゃないとし仮定して、どうやって誤解を解くつもりなんだ?」

「言い方が気になるんだけど……そうだね、やっぱり僕が変態なんかじゃなくて、むしろ紳士的な人間であることを知ってもらうことが一番だと思うんだ」

「紳士? ヒラが、紳士?」


 何か言いたげだなこのみたらしは。頭のお団子をむしりとってやろうか。


「とにかく! 姫乃さんに僕が紳士だとアピールする必要があるんだ!」

「紳士っぷりをアピールって、どうするつもりだよ?」


 呆れたような顔のススムに対して、僕は前から温めていたアイデアを披露する。


「まずはこの前の件を改めて謝罪しようと思うんだ。あの事件のせいで僕はおっぱい好きの変態だと誤解されたわけだし」

「だからそれは誤解じゃ…………まあいい、続けろ」

「女性へ謝るには何か贈り物をするのが効果的だと何かで読んだことがある。だから僕は薔薇の花束を用意しようと思う」

「薔薇って……」

「教室で姫乃さんに花束を差し出してこう言うんだ。『誰のおっぱいでもいいわけじゃない。姫乃さんのだからーー』」

「「絶対やめとけ」」


 2人に途中でセリフを遮られる。


「え、だめだった?」

「お前やべーよ。なんでそれでイケると思ったんだ?」

「しかもそれ教室でやるつもりだったの? 姫乃さんからしたらとんでもない羞恥プレイだよ。いくらなんでもドSがすぎる」


 僕がドSだって!? 違う!


「僕はドSなんかじゃない! むしろ女の子に意地悪されて興奮を覚えるタイプだ!」

「……おい、今日一で変態っぽいセリフが飛び出したぞ」

「……性癖を訂正するにしても、言葉は選んでほしかった」


 2人から哀れみとも恐怖ともつかない視線を送られる。


「ヒラお前、流石に自分を抑えることを覚えろよ? 友人が捕まったなんてニュース俺は聞きたくないぞ」

「このままだとストーキングとか、盗撮とか普通にしそう」

「やらないよ!」


 僕を一体なんだと思っているんだ!?


「ストーキングなんて姫乃さんを怖がらせるような真似僕がするわけないだろっ!!」

「まあまあ、わかってるから落ち着けって」

「それに盗撮だなんて、僕は姫乃さんの着替えやお風呂やトイレを覗き見るようなこと絶対にしたりしない!」

「……私が言った盗撮ってせいぜい隠し撮り程度のつもりだったんだけど」


 憤る。


 僕の友人たちは僕のことを根本的に誤解しているようだ。


 僕は立ち上がり、彼らの誤解を解くために熱弁を振るう。


「いいかい! 僕にとっての優先事項は姫乃さんなんだ! 姫乃さんの誤解を解きたいというのも、同じクラスに変態がいると思い込んで怖がっているかもしれない姫乃さんの不安を取り除くためなんだ」

「お、おう」

「私欲のためじゃないんだ! 全ては姫乃さんのため。だからこそ姫乃さんを傷つけるような真似を僕は絶対にしない!」

「ヒ、ヒラ。もうちょっと声を抑えたほうがーー」

「第一盗撮なんて! そんな不純な方法で姫乃さんの裸を見たいなんて僕はちっとも思わないね! こういうことはお互いの気持ちが大事なんだ! ちゃんと姫乃さんとお付き合いした上で、お互い合意の上で姫乃さんの裸をーー」


 この時ふと気付いた。


 あまりに熱が入りすぎてかなり声が大きくなっていたようだ。クラス中の注目を集めてしまっていた。


 いや正確には、注目されているのは熱弁を振るっている僕ではなく、その後ろのーー



「私の裸が、何?」



 ゾッとするほど底冷えした声。


 恐る恐る振り返れば、羞恥なのか怒りなのか顔を真っ赤に染め上げながら僕を睨む姫乃さんがいた。


「ひ、姫乃さん!? 戻ってーー」

「あんな破廉恥なこと大声で堂々と……!」


 直後右頬に衝撃。


 グーだった。


 ビンタなんて生やさしいものじゃなくて、グーだった。


「この……変態」


 肩を怒らせながら席へと戻る姫乃さん。


「姫乃さん、聞いてくれ!」


 必死に言い訳しようと姫乃さんに手を伸ばすが、すでに遠い。僕の言葉はまるっきり無視された。


「こいつは、本当に……悪い奴じゃねえんだけど」

「ヒラの最大の欠点は、間の悪さと声のデカさだよね」


 親友2人から憐れみの視線を向けられる。


「ち、違うんだ……!」


 僕は、違う!



「僕は変態なんかじゃないんだ!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

姫乃さんは僕のことを変態だと思っている ツネキチ @tsunekiti

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ